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教典の管理者

235話



 ロルムンド輝陽教の教典を管理するウィロン大書院は、ウィロン山全体に広がる山岳寺院だ。

 前世でいえば、比叡山や高野山のイメージに近いかもしれない。

「この山全部が、ウィロン大書院なの?」

 読書があまり好きではないファーンお姉ちゃんが、信じられないといった表情で山を見上げている。



 俺はエレオラから聞いた話を、そのままみんなに伝えた。

「市街地に書院を作ると、戦争や火災で教典が失われかねない……というのが、表向きの理由らしい」

「へえ、表向きなんだ?」

 モンザがちょっと興味を惹かれた様子で、俺の顔を見る。

 俺はうなずいた。



「ここ、本当は輝陽教の軍事施設なんだよ。よく見ろ、攻城戦に備えた造りをしてるだろ?」

「ああ……ほんとだ」

 人狼隊も幾度かの実戦を経験しているので、建物を見ればそれが軍事的なものかどうかはすぐわかるようになっている。



 俺は石段を登りながら、みんなに説明した。

「普通の神殿は市街地にあるほうが参拝しやすいし、街の行政的な拠点にもなる。世俗への窓口だな。一方こっちは軍事拠点で、異教徒や世俗の軍隊と戦うための備えだ」

 するとジェリクが建物を眺めながら、俺に尋ねてくる。



「なあ大将。俺にはよくわからないんだが、宗教ってのはそういうのと無縁の存在じゃないのか? 坊さんが戦争の準備してるってのは、よくわからんぜ?」

「綺麗事で世の中が回るんなら、誰も苦労しないってことだな。信仰を守るのも命がけなんだよ。俺たち魔族が魔王様のために命を懸けるのと同じだ」

「なるほどな」



 山の中腹には巡礼者を迎え入れる建物がいくつかあり、人狼隊はここで休息することになる。ここの指揮はファーンとパーカーに任せた。

「マオ、お前だけ来てくれ」

「私ですか?」

 休む気まんまんだったらしいマオが、ちょっと嫌そうな顔をする。



「パーカーとお前が、対人交渉の専門家なんだよ。パーカーには人狼隊の面倒を見させるから、お前は俺の補佐を頼む」

「私は静月教徒なんですけどね」

「俺たちだって魔王崇拝者だよ。ほら、行くぞ」

 よく考えると輝陽教徒が一人もいないな。



 ウィロン大書院は山頂近くにあるが、ここは巡礼者が来ないので閑散としている。警備も老兵二人しかおらず、拍子抜けするほどだ。

「閑職だというのは本当らしいですね」

「来る意味あったのかな……」

 マオと俺はひそひそ話しながら、大書院前の門をくぐる。



 しかし俺は門の守衛たちの間を通り抜けるとき、彼らが微かに殺気を放ったのを匂いで感じた。

 ただの老兵ではないらしい。

 俺はマオと並んで歩きながら、彼にそっと告げる。

「どうやら言動には注意したほうが良さそうだぞ。神罰が下る」

 マオは俺の口調で察してくれたらしく、軽くうなずいた。

「留意しておきましょう」



 ウィロン大書院に入ると、すぐに年少の見習い神官が出てきて、俺たちを奥に案内してくれた。

 通された部屋には、三十代半ばぐらいの男性が立っている。枢機卿にしてはずいぶん若いが、彼の法衣は枢機卿のそれだ。

「はじめまして、ヴァイト・グルン・フリーデンリヒター殿。私はウィロン大書院の管理者、トゥラーヤと申します」

 やはりこの人が枢機卿か。



 ロルムンド輝陽教を束ねる最高幹部・枢機卿は、全部で八人。どこまで割っても奇数にならず、多数決をしにくいようにして、議論を尽くすための人数だという。

 トゥラーヤ卿は枢機卿では末席らしいが、それでも侮れない相手だ。

 彼らは信徒に対して絶大な権限を持ち、そこらの貴族など足下にも及ばないほどの影響力を持っている。

 彼らがその気になれば民衆を煽動し、エレオラの人気を失墜させることも可能だ。

 発言には気をつけよう。



 俺とマオはロルムンド輝陽教の作法に従って挨拶をする。

「ミラルディアのリューンハイトにて輝陽教の加護を得ました、ヴァイトにございます。お会いできて光栄です、トゥラーヤ枢機卿」

 するとトゥラーヤ枢機卿は、静かに微笑む。



「ご丁寧にありがとうございます。ヴァイト殿が守護聖人の称号を得ておられることは存じておりますので、どうかもっとくだけた口調でお願いいたします。私など枢機卿の末席ですから、恐縮してしまいますよ」

「いえ、そのような訳には……」

 まるで日本人同士みたいな押し問答をした結果、俺たちはもう少しくだけた口調で会話することになった。



 トゥラーヤ枢機卿は俺たちにテーブルとイスを勧め、彼もイスに腰掛ける。

 俺がザナワー大司祭からの紹介状を手渡すと、彼は素早く目を通して顔を上げた。

「ザナワー殿はお元気でしたか?」

「ええ、とても。大変に研究熱心な方ですね」



「どうやら相変わらずのようですね。あの方は私の兄弟子にあたるのですが、現場主義でして枢機卿への就任を断り続けておられるのですよ」

 トゥラーヤ枢機卿が苦笑する。

 なるほど、そういうつながりか。

 枢機卿は紹介状を丁寧にしまうと、俺に笑いかけた。

「あの方によると、あなたは『聡明な理論家、冷静にして情熱的な真理の探究者』だそうですね」

 褒められてる気が全くしない。



 しかしトゥラーヤ枢機卿は楽しげな様子で、テーブルの上のお菓子の箱を開ける。焼き菓子のようだ。

「ザナワー大司祭がそこまで仰るとなれば、私も安心してお話を切り出せます。……単刀直入に申し上げますが、あなたは魔族ですね?」

 単刀直入にも程があるだろ。



 俺はギョッとしたが、ここが胆力の見せ所だ。

「ええ、そうです」

「ヴァイト様!?」

 マオが悲鳴みたいな声をあげるが、枢機卿は俺を魔族だとわかった上でここに招待しているのだ。腹をくくるしかない。

 するとトゥラーヤ枢機卿はますます笑顔になる。

「素晴らしい。ザナワー大司祭が推挙した理由がわかりましたよ」



 彼は菓子箱から焼き菓子をひとつ取り出し、にっこり笑う。

「あなたは今、『こいつは俺のことを魔族だとわかった上で、ここに招き入れている。だから否定しても意味がない』と判断なさいましたね?」

「その通りですよ」

 見事に見抜かれている。

 大国の国教最高幹部ともなると、頭の回転が違うようだ。



 トゥラーヤ枢機卿は焼き菓子を口に放り込み、それから真顔になった。

「私があなたを魔族だと判断できたのは、信徒から寄せられた無数の情報があったからです。ひとつひとつは小さく無力ですが、集まったものを分析することで優れた情報となります」

 彼が嘘をついている様子はない。

 どうやら輝陽教勢力は、俺が思っている以上に手強いようだ。



「ですがヴァイト殿、どうか御安心ください。輝陽教は別に、魔族と敵対している訳ではありませんよ」

 そんなはずはないだろ。

「しかしロルムンド輝陽教は、魔族の存在を認めないと聞いていますが」

「確かにそうです。最古の教典のひとつ『聖ザハキト戦記』によって、魔族や異教徒は明確な敵とされています」

「矛盾していませんか?」

 するとトゥラーヤ枢機卿は、なぜかとても嬉しそうに笑った。



「その矛盾を説明するため、枢機卿クラスしか知らない、輝陽教の最高機密をお教えしましょう」

 彼は枢機卿は立ち上がると、部屋の奥にある扉へと歩き出す。

「『聖ザハキト戦記』もそうですが、古い教典の大半は後の世になってから発見されたものです。そしてそれらの原書が保管されているのが、この大書院なのですよ」



 ウィロン大書院は輝陽教初期の古い神殿で、各地から集められた教典が納められているという。

 膨大な数なので整理が終わっておらず、未発見の教典が発見されることも数年に一度はあるのだと、トゥラーヤ枢機卿は語った。

 それらの教典の保管や修復も、彼の管轄らしい。



「この扉の奥は、教典の修復を行う神聖な工房です」

 工房の中では大勢の職人たちが、忙しく作業をしている。

 ボロボロになった紙に、インクで文章を書いている職人。

 本の背表紙を修復している職人に、インクの調合をしている職人。

 トゥラーヤ枢機卿は俺に説明しつつ、彼らに指示を出す。

「教典の整理や修復には正式な身分と知識が必要ですので、彼らは全て正規の神官として遇されています。あ、その頁の模写ができたらマダル殿に提出してください。文面はまだ機密扱いで、ええ」



 俺たちが部屋に戻ると、トゥラーヤ枢機卿は分厚い扉を閉めて鍵をかける。

 そして俺たちを振り返った。

「今修復しているあの教典、実は先日発見されたばかりの重要な書物なのですが……」

 彼はとても嬉しそうな顔をして、そっと告げる。

「修復前はただの真っ白な紙の束で、一文字も記されていませんでしたよ」

 俺は彼の言っている意味を即座に理解した。

 こいつ、とんでもない秘密を打ち明けたぞ。



「それはつまり、教典を捏造しておられるということですか」

「はい」

 否定しろよ。

 俺はあきれたが、トゥラーヤ枢機卿はますます嬉しそうな顔になった。

 この人だいぶ危ないな。



「ロルムンド輝陽教は昔から必要に応じて、『発見された古い教典』を作り出しているのです」

 マオが驚いた声をあげる。

「何のためにですか?」

「もちろん、人々を正しい方向に導くためですよ。古い教典に記されていたとなれば、誰も異論を挟まずに従います」

 おいおい。



 トゥラーヤ枢機卿は上機嫌で、鼻歌でも歌いだしそうな笑顔だ。

「ここには古びた紙や革の風合いを出す職人や、古典文法に通じた学者など、いかにもそれらしい教典を作るのに必要な専門家がそろっているのですよ」

「では彼らもこの秘密を?」

「いえ、彼らのほとんどは本当に教典の修復をしていると思っていますよ。修復部分や作業工程を分割し、誰にも全体像がつかめないようにしています」

 この枢機卿、予想以上に悪党だった。



 俺は不安になってきて、彼に尋ねる。

「しかし教典の捏造は、信徒を欺いていることになりませんか?」

「そうですね。まあ必要なことですから」

 彼の言葉からは、罪悪感の欠片も感じられなかった。



「せっかくですので、輝陽教の成り立ちについてもお話しさせてください。私たちの立場、そして何を望んでいるかもおわかりいただけると思います」

 トゥラーヤ枢機卿は俺たちににっこり笑いかけた。

 怖いからおとなしく聞いておこう。

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