北の人狼
234話
俺は立ち上がると、ぶっ倒れたままのボルカを見下ろした。完全に気絶しているので、スリーカウントは必要なさそうだ。
「勝負あったな。すぐ治療する」
人狼は恐ろしく頑丈だから、これぐらいでどうということはないはずだ。
でも一応、お年寄りなので治療魔法はかけておこう。
「いやあ、派手に負けちまったねえ!」
戦う前より元気な口調で、ボルカが豪快に笑う。
治療しすぎたか?
彼女は人狼の姿のまま、どっかりと腰をおろして俺を見上げていた。
「アンタたいしたもんだよ。アタシらが組み討ちが苦手だと、すぐに見抜いたね?」
俺はうなずいた。
「ミラルディアの人狼はレスリングをよくやるが、ロルムンドの人狼はあまりレスリングをやらない印象を受けたからな」
今の投げ技、ガーニー兄弟やファーンお姉ちゃんなら受け身ぐらいは取っていただろう。
しかしボルカはとっさに受け身が取れず、まともにくらってしまった。
ボルカは溜息をつく。
「その通り、アタシらは殴る蹴るが本領だからね。ご先祖様たちゃ、ロルムンドのバカでっかい魔物と戦ってきたから、組み討ちはしてこなかったんだよ」
寒冷地の動物は、放熱を防ぐために大型化する。魔物も同様らしい。
そういえばロルムンドの人狼たちも、なかなか体格がいいな。
そしてボルカは嬉しそうに笑う。
「ま、何にしても一騎打ちで負けたんだ。しかもこれ以上ないぐらい、堂々と負けたよ! アンタは今、ロルムンドで一番強い人狼になったのさ!」
「いや、今回たまたま勝っただけで……」
もう一度勝負したら、次はどうなるかわからないと思う。
しかし人狼たちはそんなこと気にしていない様子で、口々に俺たちを称えてくれる。
「おう、母ちゃんの言う通りだ! アンタおっそろしく強えな!」
「そっちの婆さんも強かったぞ! どうせヴァイトに勝てるヤツなんて、そうそういねえよ!」
「なんせ俺たちの隊長は、勇者殺しの英雄だからな!」
「勇者殺し!? まじかよ……」
「ああ、本物の勇者だぜ! 俺たちの大将は、そいつをやっつけちまったのさ!」
あれは手負いの勇者にとどめをさしただけです。
ボルカは人狼隊の言葉を聞いて、あっけに取られた様子で口を開いていた。
「なんだい? アンタ、勇者を倒したことがあるのかい?」
「いや、ボロボロになった勇者を苦労して倒しただけなんだが……」
「ボロボロになってたって、勇者ってのはそうそう倒せるもんじゃないって聞いてるよ。勇者ドラウライトなんか、一万の軍勢を葬り去ったそうじゃないか」
「言っておくが、俺はそんなことできないからな?」
俺は念を押したが、ボルカは苦笑してよっこらしょと立ち上がる。
「何にせよ、アタシにゃちょいと荷が重かったかね。どうやら出直したほうが良さそうだ」
「じゃあ、どさくさに紛れて俺を殺すのは諦めてくれるんだな」
彼女が一騎打ちにかこつけて、俺を暗殺しようとしたのは明白だ。
人間ならこんな見え透いた手には乗らないんだが、人狼は戦うのが大好きだからな。
するとボルカは苦笑した。
「あわよくば、とは思ってたさ。でも勇者殺しとやり合うなんて御免だよ。アタシらはもう、アンタに手出しはしない。力の差がわかった以上、無益なことはしないさ。それがロルムンドの人狼の掟だからね」
「ミラルディアの人狼も同じだよ。できれば共に戦えると嬉しいんだが」
俺は期待をこめてそう言ってみたが、ボルカは首を横に振った。
「申し訳ないけどね、そいつはできないよ。人狼同士で対立するのは心苦しいけど、アタシらにも義理や立場があるからね」
「人狼同士というだけで仲間になれるのなら、人間同士があんなに戦争するはずがないからな」
「はは、違いないねえ!」
ボルカは苦笑してみせると、こう続ける。
「まあでも、同じ人狼ってことで親しみを感じてくれるんなら、何かあったときはひとつ頼むよ。アタシたちも、この地で生きていくのに必死なのさ」
「ああ、もちろんだ。ロルムンドの輝陽教は魔族を認めていないから大変だろう。……極星教はそうでもないようだが」
俺がさりげなく言うと、ボルカが流し目で笑う。
「鼻のいい狼は嫌いじゃないよ。でも未亡人の事情を詮索するのは、程々にしておくれよ?」
未亡人……。
俺の記憶が「未亡人」という単語を再定義している間に、ボルカは仲間たちに命令する。
「さあ引き上げだ! お前たち、強者への礼儀を忘れるんじゃないよ!」
ボルカの言葉に、ロルムンドの人狼たちが右手を胸に当てて一礼する。あれが彼らの挨拶らしい。
そして彼女たちは身を翻し、森の奥に姿を消してしまった。
彼らがまだ殺し合いをするつもりだったら、切り札のソウルシェイカーで全員動けなくしてから、魔撃銃の掃射で一網打尽にするつもりだった。
だがそれも杞憂に終わったので、俺はホッとする。
そこにモンザがすすす……と寄ってきて、目をキラキラさせた。
「追跡、しちゃう?」
「しない」
俺は首を横に振った。
「連中はまだ敵だ。大勢で追跡すれば見つかるし、少数だと返り討ちに遭う。相手は人狼だぞ?」
「それもそうだね」
モンザが肩をすくめたところで、俺も人狼隊に命令した。
「全員、変身を解いてから街道に戻れ! 予定通り、ウィロン大書院に向かうぞ!」
俺は異国の同族たちのことを考えながら、再び進路を西に取った。
輝陽教に敵視され、極星教に匿われている人狼たちか……。
まだ必要なパーツが揃っていないが、うまくいけば味方に引き込めるかもしれないな。
パーカーはボルカたちが去っていった方角をじっと見つめながら、まじめな口調でつぶやく。
「見た感じ、彼女たちは極星教徒という訳ではなさそうだね。魔王という単語に敏感に反応していたから、やはり魔王崇拝の風習は残っているのだろう」
「ああ。ロルムンドには魔王が一度も現れていないようだし、指導者不在のまま人間相手に数を減らしていったのかな?」
そう考えると気の毒な話だ。気候は厳しいし、生きていくのは俺たち以上に大変だっただろう。
「何とかしてやりたいが……うーん」
今のところ、彼らに手助けできることはなさそうだ。
完全に敵だしな……。
随行員で唯一生身の人間であるマオが、ふとつぶやく。
「人狼も大変ですね。あんなに強いのに、苦労ばかりしてるじゃありませんか」
「そうなんだよ。お前ら人間が強いせいだ」
俺が溜息をつくと、マオが不思議そうに眉を寄せた。
「一人の人間としてはまるで実感がありませんが、我々はそんなに強いですかね?」
人狼は人間専門の肉食獣に進化したけど、そもそも人間の集団って恐ろしく手強いんだよな。異質な者をすぐに見破る。
そのせいで、人間の集団に紛れて彼らを捕食するというライフスタイルは、とっくの昔に破綻してしまった。
今後、人間たちはますます手強くなっていくだろう。
それは前世の歴史が証明している。
だから俺は、マオに笑いかけるしかなかった。
「強いさ。とてつもなくな」
「そうですか……」
人狼に転生したらわかるよ。
※明日3月10日(木)は更新定休日です。
※次回予告:第235話は「教典の管理者」です。




