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戒律を問う者

230話



 帝都の一角にある大きな神殿で、ザナワー大司祭は俺を出迎えてくれた。時刻は夕刻だ。

「急な来訪をお許しください、ザナワー殿」

 俺が頭を下げると、初老の大司祭は笑顔で俺を案内してくれる。

「エレオラ様にお味方されている方でしたら、いつでも歓迎いたしますよ」

 あれ、あんまり聖職者っぽい言い回しじゃないな。



「エレオラ殿の敵に対しては?」

 するとザナワー大司祭はニヤリと笑う。

「もちろん歓迎しますが、急な用事が立て続けに起きるかもしれませんな。神は人に試練を与え賜いますから」

 どうやら話せるタイプのようだ。

 よかった。



 俺は一気に安心して、そのまま彼の部屋に通してもらった。

 輝陽教の聖職者はどれだけ高位になっても、ひとつの神殿に一部屋しか持てない。妙なところで質素というか平等というか、彼らなりのこだわりがうかがえる。

 ザナワー大司祭はソファに俺を座らせ、自分も対面に座る。

「実はまだ、ヴァイト様の御用向きを伺っておりません。私にどのような御用でしょうか?」



 さて、どう切り出したものか。

 ザナワー大司祭にも立場があるだろうし、いきなり異教徒絡みの話題はしにくいな。彼も反応に困るだろう。

「実は、北ロルムンドで聖職者の方々が苦労されていると耳に挟みまして」

「北ロルムンド、ですか?」

 どうやらザナワー大司祭には思い当たる節はなさそうだ。彼は首を傾げている。



「北ロルムンドのある貴族について、輝陽教に対して冷淡すぎるとの声があがっております」

 伝聞形式にしつつ、「誰が」とは言わない。誰が言っているのか明らかにしなければ、こんなことは何とでも言える。他人を悪く言うときの悪辣な手法だ。



 俺は内心でこっそりボリシェヴィキ公に詫びたが、ザナワー大司祭は「ははぁ」という顔をする。

「ああ……あのお方ですか。つい最近、派閥を乗り換えられた公爵様ですね」

「はい」

 やはりボリシェヴィキ公、かなり前から輝陽教にマークされていたようだ。

 彼にとっては今さらな話題なのだろう。



 ザナワー大司祭は俺の顔をじっと見つめる。

「しかしあのお方は、今はエレオラ様の支持者です。エレオラ様にとって不利になるような話題をなぜ?」

 ザナワー大司祭はどうやら、俺と同じぐらいには政治的な感覚も持ち合わせているようだ。違和感を抱いたらしい。



 俺はどう答えるか迷ったが、面倒なのでざっくばらんに行くことにした。

「エレオラ殿にとって不利だから、ですよ。あまり厄介事を起こしてほしくないのです」

「なるほど、確かにそうですな」

 ザナワー大司祭は大きくうなずく。



 彼は少し考え、それからこう言った。

「ボリシェヴィキ家の輝陽教嫌いには、昔から手を焼いておるそうです。聖職者嫌いの貴族は他にもいくらでもおられますが、公爵家となるとあそこぐらいでしょうな」

 だいたいどこでもそうだが、地位が高くなると「金持ち喧嘩せず」の精神でトラブルを回避するようになる。トラブルによって失うものが大きくなるからだ。



 ザナワー大司祭は嘆いてみせる。

「あのお方は、領民にも戒律を守らせないそうです。ヴァイト卿もご存じのように、戒律は無意味に作られているのではありません」

「仰る通りです」

 適当に相づちを打つ俺に、ザナワー大司祭は力強く訴えてくる。

「戒律は日々の生活を豊かにするため、またロルムンドの地で危険を避けるための知恵なのです。守っていただかなくては困りますな」



 彼は南に面した窓を見て、こう続ける。

「例えば『陽拝』ですが、私の経験ではこれを熱心に行う信徒ほど冬でも健康なようです。……おそらくですが、日の光を多く浴びることが良いのでしょう」

 おや、そう分析したか。俺の見解と一致したな。

 これまでの言動通り、ザナワー大司祭は戒律についても世俗的な考え方をする人のようだ。



 俺はちょっと興味が湧いてきて、体を乗り出す。

「実はその『陽拝』ですが、ミラルディアにはありません」

「ほほう」

 ザナワー大司祭が俺の顔をじっと見つめてくる。興味を持ったようだ。

 俺は彼に、高緯度での日光浴の重要性を説明した。



「ミラルディアは日の当たる時間が長めです。そのため、陽拝をせずとも十分に日の光を浴びているのでしょう。その証拠に、信徒の方々は皆健康です」

「ふむふむ、つじつまは合いますな」

 ザナワー大司祭の何かに火がついたようだ。

 彼は質の悪い紙にペンを走らせ、俺の発言をメモする。



「私の仮説を裏付ける証拠が、またひとつ得られたようですな。私は輝陽教の戒律は、神が我々にお授けになった生活の知恵だと思っております。教えを尊ぶ者ほど、強く長く生きられるようにと」

「同感です」

 俺は神様なんか信じちゃいないが、輝陽教の戒律に一定の合理性があるのは認めている。



 それから俺たちは少しばかり、戒律の話題について話をした。

 軽い雑談のつもりだったのだが、ふと気づいたら俺たちは熱心に戒律の意味について議論をしていた。

「病が長引くときは巡礼に出るのが良いと、昔から言われております。ヴァイト卿はどうお考えですかな?」

「軍医から聞いたことがありますが、転地療法というやつでしょう。その土地の食べ物や気候が病気の原因となっていることがありますので、地元を離れることで症状が和らぐのですよ」

「なるほど。論理的ですな」



 彼がメモを取っている間に、俺はさらにまくしたてる。

「巡礼は他にも、いくつかの効果があると思っております」

「といいますと?」

「輝陽教徒の大半は農民ですが、彼らはあまり遠出をしません。しかし巡礼によって強制的に旅をさせることにより、最低でも三つの利点を生みます」

 俺は自分がここに何をしに来たか完全に忘れて、ずっと考えていた仮説を唱えた。



「まず経済的な利点。巡礼者が道中で金を使うことにより、経済が潤います。金は循環し続けなければいけませんから」

「ほほう……うむ、貴族的な視点ですな。続けてください」

「次に文化的な利点です。訪れた土地で珍しくて有益なものがあれば、それを故郷に持ち帰るでしょう。それは優れた農法かもしれませんし、新しい歌や踊りかもしれません」

 俺は差し出されたコップを受け取り、ぬるい水を飲み干す。



「そして最後に、軍事的な利点」

「軍事ですと?」

「はい。巡礼者たちのために、領主たちは街道を整備しなくてはいけません。その結果、有事の際には軍隊が街道を行軍しやすくなります」

 誰が思いついたのか知らないが、うまいこと考えたものだ。

 輝陽教のみが認められるこの国で、輝陽教の巡礼者を保護することは絶対的な正義だ。



 巡礼者保護を名目にして領主に負担を強いることができるのは、為政者にとっては実に都合がいい。

「ミラルディアにおける戒律との差異も、両国の歴史や地理によるものが大きいのでしょう」

 俺はそこまで言って、ハッと我に返る。

 こんな話をしに来たんじゃなかった。

 楽しくてつい話し込んでしまったが、いったい何をやってるんだ。



 しかしザナワー大司祭は満面の笑みで、何度もうなずいている。

「素晴らしい。素晴らしい見識をお持ちだ。戒律を検証する精神をお持ちとは、実に素晴らしい」

「……検証しても良いものなのですか?」

「無論です」

 彼はぐっと拳を握りしめる。目がギラギラ輝いていた。

 どうやらこの人、エレオラと同じ学者肌らしい。道理で彼女と親交があるはずだ。



「なぜ神はこのような戒律を我らに与え賜うのか。輝陽教の戒律は、決して不自由を強いるものではありません。戒律そのものが神からの贈り物なのです。戒律を検証すればするほど、私は神の愛を感じるのですよ」

 嬉しそうにザナワー大司祭は早口で言い、俺の発言をメモした紙束を紐でくるくると巻いた。

「もちろん、このような信仰のありかたは主流派ではありませんからな。ひっそりと楽しむことにしておりますよ」

 異端審問怖いからね。

 俺も気をつけよう。



 ザナワー大司祭は鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌で、今度は上等な羊皮紙を一枚取り出す。

「八人の枢機卿のうち、私と立場が近いトゥラーヤ枢機卿に紹介状を書きましょう。どうやらあなたは、輝陽教の神髄に触れるだけの素養をお持ちのようです。きっとあなたの利益となるでしょう」

「輝陽教の神髄?」

「ええ」



 ザナワー大司祭は書状をまとめ、封蝋をしてから俺に差し出す。

「輝陽教徒は位階に応じて、必要な知識を授かります。私は大司祭ですが、私にも触れ得ぬ知識がいくらでもあるのですよ」

「私が触れても問題ないのでしょうか?」

「それはおそらく、トゥラーヤ卿がお決めになられるでしょう。トゥラーヤ卿は教典庁の長を務めておられます。西ロルムンドのウィロン大書院におられますよ」



 俺は紹介状を受け取り、立ち上がって一礼した。

「ありがとうございます。ザナワー殿」

「こちらこそ、大変有意義で楽しい時間をありがとうございました。いや、素晴らしい」

 そう褒められると照れくさいな。

 話のわかる人で良かった。

 特に学者タイプの人とは話が合いやすいので助かる。



 それにしてもエレオラのやつ、ちゃんと皇女らしい人脈を持ってるじゃないか。おかげでロルムンド輝陽教にもコネが作れそうだ。

 やればできるお姫様なんだから、もっと自信を持っていいんだぞ。

※明日3月3日(木)は更新定休日です。

※次回予告:第231話は「人狼猟兵」です。

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