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異端の星

229話



「帰ってくるなり急に出ていったかと思えば、また急に戻ってきたな」

 エレオラが呆れたような顔をして、スコーンをつまむ。

 ここは帝都のエレオラ邸で、今は悪党たちのお茶会中だ。

 マオとパーカー、それにリュッコが同席している。エレオラの腹心、ボルシュ副官とナタリアも一緒だ。



 エレオラは火酒入りの紅茶を一口飲み、ほっと溜息をついた。

「貴殿が帰ってきてくれて、少し安心した。マオ殿やパーカー殿もよく補佐してくれてはいるが、やはり貴殿がいないと不安だな」

「カストニエフ卿やレコーミャ卿がいるだろう。軍務ならボルシュ副官たちがいる」

「それは無論だが、この大それた陰謀の首魁は貴殿だぞ?」

 それはそうだけど。



 エレオラは苦笑した後、ふと真顔になる。

「ボリシェヴィキ公の件は気になるな。彼は先代を半ば強引に隠居させ、数年前に家督を継いでいる」

「ああ、ウォーロイ殿も『あいつは好かん』と言っていたな」

 彼は公弟のジョヴツィヤが親友だから、若干偏見が混じっているのかと思ったが、客観的な評価だったようだ。



 俺はボリシェヴィキ公との会談内容を、エレオラたちに伝えた。

 ボルシュ副官が眉をひそめる。

「ボリシェヴィキ公は有能な軍人になりそうですが、部下の犠牲には頓着しなさそうですな」

 エレオラがうなずいた。

「ああ、かつての私よりひどいな。詰め謀棋のように、最も効率の良い最短手順を躊躇なく選ぶ男のようだ」



 俺もそれには同感だが、少し気になる点があった。

「彼の無節操な変わり身の早さは、そういう男なのだということで理解できた。だがわからないことがある」

 リュッコを膝に乗せたパーカーが、興味深げに首を傾げる。

「それは何だい?」



「彼は家や領民や家臣を大事にしていて、それを守るために裏切った。だが同時に、ウォーロイ殿やリューニエ殿への同情心も持ち合わせているようだ。少しおかしい」

 この二つの感情は矛盾こそしないものの、どちらかを優先するともう片方が犠牲になる。普通はもっと葛藤があってもいいはずだ。

「しかし彼は自分のやっていることに、何の迷いも感じていない気がした」



 リュッコが小さなスコーンを両手で持って、もしょもしょ食べつつ言う。

「だからクソ野郎なんだろ?」

「まあそう言えばそうなんだろうが……どうも気になるんだ」

 この妙な割り切りの良さ、そして領民やウォーロイたちにまで向けられる慈愛の心。

 直接話していて感じたが、単なる偽善者とも違う、奇妙で異質な感覚があった。



 するとエレオラがふと気づいたように口を開く。

「その手の割り切り方をする連中に心当たりがある。ナタリア、そうだな?」

 リュッコに新しいスコーンをあげて頭を撫でていたナタリアは、急に話題を振られてビクッと振り返る。

「はっ、はい! 仰る通りであります、姫様!」

 さては聞いてなかったな。



 エレオラは苦笑しながら、俺のほうに向き直った。

「宗教者だよ。彼らは世俗とは異なる価値観や倫理観を有している。それゆえ一部の者は、我々には理解できない行動や思考に至ることがあるのだ」

 いかにも軍人らしい乱暴な物言いだが、彼女の言いたいことは理解できた。

 確かにそんな気もする。



 俺は納得し、深くうなずく。

「そうかもしれない。彼は自分の裏切りについて、微塵も後悔していない。一方でドニエスク家に対する愛着もあるようだった。おそらく彼の中では、これらが対立せずに整理されているのだろう」

 するとマオが書類の束を取り出し、こう言った。



「それに関係するかもしれませんが、ドニエスク家の機密文書を調べた結果、やはりボリシェヴィキ家は輝陽教を水面下で執拗に迫害していたようです」

 輝陽教司祭の娘だったナタリアが、驚いた顔をする。

「迫害って、輝陽教はロルムンドの国教ですよ?」

 だがマオは肩をすくめた。



「ボリシェヴィキ家からは何度も『領内の輝陽教勢力を抑えてほしい』という要請が来ています。要請に応じたのは先代のドニエスク公ですから、イヴァン皇子やウォーロイ皇子はご存じなかったかもしれませんが」

 やはりボリシェヴィキ家は輝陽教と不仲なのか。

 とすると、ひとつの仮説が成り立つ。



 俺はおそるおそる、その仮説を口にしてみた。

「ボリシェヴィキ家は、もしかして異教徒の家系なのか?」

 エレオラたちロルムンド勢が、少し考え込む。

 それから彼らは顔を見合わせ、大きくうなずいた。

「その可能性は十分にあります」

 そう言ったのはボルシュ副官だ。ナタリアもうなずいている。



 それについてエレオラはこう補足した。

「北ロルムンドにはかつて、極星教と呼ばれる異教の一大勢力がいた。今は完全に消滅したとされているが、もしかすると……」

「ああ。実はその極星教徒たちが今もいるという話を、ウォーロイ皇子から聞いた。ボリシェヴィキ公は極星教徒、あるいは極星教徒たちの保護者なのかもしれない」



 もしボリシェヴィキ公が極星教徒なら、異教徒であるドニエスク家を見捨てることへの抵抗は薄れるだろう。

 見捨てることで自分の領地や勢力、つまり極星教徒たちの縄張りを守れたのだから、恥じる必要はない。

 だとすれば、少し厄介なことになる。



「まずいな」

 深刻な表情になったのはエレオラだ。

「もしそうなら、我々は異教徒を味方に抱え込んでしまったことになる。ミラルディアと違い、ロルムンドの輝陽教は異教徒の存在を認めない。確認が必要だ」

 するとリュッコがスコーンの粉だらけになった手をぺろぺろ舐めながら、気楽な口調で応じる。



「じゃあ『こいつ異教徒らしいですぜ』って、輝陽教のお偉いさんに通報してやりゃいいじゃねえか。俺たちがチクッたってバレなきゃ大丈夫だろ」

「まだ異教徒と決まった訳でもないし、決定的な証拠が何もないからな。ドニエスク家の機密文書は軽々しく公開できない」

 それに連座制が好きなお国柄も心配だ。

 有力貴族であるボリシェヴィキ公が異教徒となれば大問題になる。その場合、エレオラまで飛び火してこないとも限らない。



 よし、決めたぞ。

「リュッコの案は基本的にいいと思う。だがその前に確認調査と、輝陽教上層部への根回しをしておいたほうが良さそうだ」

「根回しか? どうやるんだ?」

 リュッコは妙に御機嫌な様子で俺を振り向く。褒められたのが嬉しいらしい。



 俺はスコーンをひとつ口に放り込むと、上着をつかんで立ち上がった。

「俺が帝都の輝陽教上層部に挨拶しておこう。エレオラ殿、手配を頼む。できるだけ早いほうがいい。確認調査はマオが続行してくれ。方法は任せる」

「おいおい、輝陽教のお偉いさんがお前に会ってくれるのかよ?」

 リュッコが首を傾げたが、俺はウィンクしてやった。



「こう見えても、俺はミラルディア輝陽教で聖人に認定されてるんだぞ。巡礼者の守護聖人だ」

「まじかよ!? お前人狼だろ!?」

 ミラルディアの街道沿いに避難所代わりの砦をいくつか作ったおかげで、俺は巡礼者の守護聖人にしてもらっている。

 まだエレオラが敵だった頃の話だ。



 エレオラはうなずくと、ボルシェ副官に命令した。

「ボルシェ、第三教区のザナワー大司祭に連絡を取れ。本日中にお会いしたいとな」

「はっ!」

 ボルシェが部屋から出ていくと、エレオラは俺を振り返る。

「ザナワー大司祭は東ロルムンドの出身で、オリガニア家の支援を受けている聖職者の一人だ。彼の紹介があれば、枢機卿の誰かに面会できるだろう」



 それからエレオラは、ちょっと苦笑してみせた。

「ザナワー大司祭は信頼していいぞ。ナタリアの父上が異端審問で追放刑になったとき、連座を最小限に食い止めるため助力してくれた人物だ」

「それなら信頼できそうだな」

 俺はナタリアをちらりと見る。

 ナタリアは少し困ったような顔をして、弱々しく俺に微笑んでくれた。



 彼女とその家族、そして父親の弟子たちはまだ完全に許された訳ではなく、エレオラが身元引受人になっている。

 宗教絡みで何かあれば、ナタリアたちの身も危険になる。

 世俗でトラブルを起こした者は聖職者が救済し、信仰でトラブルを起こした者は貴族や皇族が救済する。

 だがその救済システムにも限度はある。あまり無茶はできない。



 エレオラは他にも訳ありの部下たちを抱えていて、そういった部下たちを守るために輝陽教にはあまり深入りしないようにしているらしい。

 俺がバカなことをすれば、彼らの立場が悪くなる。慎重に行動しよう。

 でも俺は不信心者だから、ちょっと不安だな……。

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― 新着の感想 ―
古今東西、ついでに異世界でも世俗的権力を持つ宗教ってのは害悪の側面が強いな。 主人公はよくもまあ上手く立ち回りしてるよ。
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