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人狼と妖狐

228話



 俺が客間のソファに腰掛けていると、身なりの良い青年がやってきた。

 二十代半ばぐらいだろうか。聡明そうな顔立ちだが、なんだか全体的に軽い。

「お招きしておいてお待たせしてしまい、大変申し訳ありません。私がボリシェヴィキ家の当主、シャリエ・ウォーベルン・ボリシェヴィキにございます」



 にこにこと笑顔を浮かべ、物腰は丁寧。ビジネスマナーのお手本みたいな男だ。

 でも俺には匂いでわかる。

 こいつ、俺には欠片ほどの敬意も好意も持っていない。

 これは敵の匂いだ。



 俺は素知らぬ顔で立ち上がり、彼に挨拶しようとした。

「こちらこそ……」

「ああ、いけませんいけません。お掛けになったままで結構ですよ」

 大仰に俺を制止するボリシェビキ公。

 一見すると善良そうだが、彼の意図が俺の発言を妨害するためだったのは何となく察しがついた。

 本当の善意から出た言葉とは、何かが違う。



 俺は挨拶を遮られ、再び腰を下ろす羽目になった。

 どうも嫌だな。

 ボリシェヴィキ公はにこにこ笑顔のまま、俺の対面に腰掛ける。

「ヴァイト卿にこうしてお会いできて大変光栄です。いやはや、素晴らしい」

 本心じゃないのはわかる。



 ボリシェヴィキ公、どうやら弟のジョヴツィヤとは真逆のタイプのようだ。

 俺は警戒しながら、彼の出方を見ることにした。

 ボリシェヴィキ公はまず俺に頭を下げる。

「こたびの反乱、投降した我らボリシェヴィキ家に寛大な処置を賜りましたことを感謝いたします」



「それはエレオラ殿下の御処置で、私は関係ありません。私はただの異邦人、今回の反乱にも巻き込まれて右往左往していただけです」

 俺はしらばっくれてみたが、ボリシェヴィキ公はニヤニヤ笑う。

「いえいえ、ヴァイト卿のおかげで無益な混乱は最小限の被害で終わりました」

「無益な混乱……貴殿はドニエスク家の姻戚であらせられるはずだが」



 するとボリシェヴィキ公は首を横に振る。

「それとこれはまた別の問題です。貴族の都合で戦乱を起こし、領民たちを巻き添えにすることは決して良いことではありません」

 それはそうなんだけど、お前が言うとなんだか真実味がないんだよ。

 ただ彼からは嘘をついている匂いがしないので、ある意味で本心だというのもわかる。



 彼はさらにこう続けた。

「結果的にイヴァン殿は亡くなられましたが、ウォーロイ殿とリューニエ殿は生き延びて国外に脱出なさいました。最善の落としどころであったと思っておりますよ」

 いや、それはそうなんだけど、お前が言うとな……。

 やはりこれも嘘をついている匂いではない。



 彼は目を閉じ、深々と俺にお辞儀する。

「お二人の命を救ってくださったこと、ボリシェヴィキ家を代表してお礼申し上げます。本当にありがとうございました」

 どういうことだ、嘘をついてる匂いが全くしないぞ。

 いやいや、いわゆるサイコパス的なタイプなのかもしれない。そのタイプだと、汗の匂いで感情を判別できない。



 俺はすっかり困惑してしまい、とりあえず口を開く。

「真っ先に投降してドニエスク家敗北の一因となった貴殿が、それを仰るのですか?」

「はい。それはそれ、これはこれです。私はボリシェヴィキ家の家臣たちを養い、領民を保護しなければなりませんから」

 確かに貴族としては間違ってないけど。



 ボリシェヴィキ家は北ロルムンドの名家だ。

 ドニエスク家が北ロルムンドに領地を持つようになる前から、この極寒の地で有力貴族として栄えている。

 ドニエスク家とは地位と実力を補い合う形で、強い関係を保っていた。

 ちょうどエレオラのオリガニア家が、新興貴族のカストニエフ家と結びついたようにだ。



 だがドニエスク家が起こした反乱の最中、ボリシェヴィキ家はエレオラ軍に降伏してしまう。

 それが一因となって、ドニエスク家は滅亡してしまった。



 俺の感覚では「ちょっとそれどうなの」と思わなくもないが、戦国大名みたいなものだと思えば納得できなくもない。

 さっさと降伏したおかげで、ボリシェヴィキ家は領地を安堵されたからだ。

 なお他の北部有力貴族たちはみんな何かの形で処罰されているので、たぶん北部貴族たちからは相当恨まれていると思う。



 俺は嫌みのひとつも言ってやりたくなり、ちょっと意地悪に返す。

「結果、貴家だけが所領を安堵されましたね。他家の方々は快く思っておられないのでは?」

「そうでしょうね」

 けろりとした顔でうなずくボリシェヴィキ公。

「ですが他家はみんな没落してしまいましたし、恨まれようが憎まれようが大して関係ありません。私は私の務めを果たしたまでのことです」



 あ、こいつ手段を選ばないタイプだ。

 俺はだんだん怖くなってきたが、ボリシェヴィキ公はにこにこ笑う。

「今後はエレオラ殿下を支持する貴族たちが、北ロルムンドに配されることでしょう。私どもは彼らのお手伝いをできればと思っております」

 思考の切り替えが早いのか、そもそも人情が希薄なのか。

 どちらにせよ、あまり味方にしたいタイプではないな。



 とはいえ、彼はエレオラに降伏した。今はエレオラ派貴族とみなされている。

 俺が彼とトラブルを起こせばエレオラ派のイメージダウンになるし、エレオラも投降してきた彼を処罰しづらい。

 うーん、毛虫が襟首に入ってきたような気分だ。



 しょうがない。これも務めだ。適当にあしらっておこう。

 俺は彼の言葉にうなずく。

「そのお気持ち、大変嬉しく思います。エレオラ殿下もお喜びでしょう」

 するとボリシェヴィキ公は笑った。

「ヴァイト殿にそう言っていただけるとは光栄です。エレオラ殿下の腹心、影の実力者ですからね」

「ははは、買いかぶりすぎですよ」



 俺は首を横に振ったが、ボリシェヴィキ公はなおも言う。

「いえいえ、あなたがおられなければ戦いの結末は違っていたはずです。ミラルディアの底力を思い知らされました」

 あんたに褒められても全く嬉しくないんだよ。

 ああ、帰りたい。



 話題を変えよう。

「ところでボリシェヴィキ公、アシュレイ殿下にはお会いになられましたか?」

 するとボリシェヴィキ公は困ったような笑顔をみせる。

「いえ、まだです。アシュレイ殿下は私のことを警戒しておられるようですから、なかなかお会いできません。残念ですよ」

 なるほど、アシュレイ派とはパイプがないのか。



 ……と俺が信じると思ったら大間違いだ。

 今お前、嘘をついたな。

 しっかり嘘の匂いがするぞ。

 どうやらこの男、アシュレイ派ともよしみを通じているらしい。

 今後エレオラ派とアシュレイ派で抗争が起きれば、すぐさま有利なほうに鞍替えするつもりだろう。



 こいつ、アシュレイ派の日和見貴族たちに似ているが、手ごわさが段違いだ。

 本当は極星教のことなども聞いてみたかったが、これは危険な気がする。俺が何に関心を持っているか、あるいはどんな情報を持っているかを彼に知られたくない。

 いったん引き上げよう。



「今日はボリシェヴィキ公にお目通りがかない、大変光栄でした。今後ともエレオラ殿下のために尽力賜りますよう、よろしくお願いします」

 俺は丁寧に頭を下げ、彼との面会を終わらせる。

 するとボリシェヴィキ公は目を細めてうなずき、ソファから立ち上がった。

「こちらこそありがとうございました。近いうちにまたお会いいたしましょう。あなたとは良いお話ができそうですから」

 冗談じゃない。



 帰り際、屋敷の庭で当家の三男坊・ジョヴツィヤが俺を待っていた。庭園の木に隠れるようにして、彼は俺に会釈する。

「頂いた手紙は文面と筆跡、それに魔術紋で未開封の本物とわかりました。以降、可能な限り俺は貴殿に味方します」



 やはり通常の手紙とは違う仕様だったらしい。

 こういうのは最後の切り札として、普段は使われないものだからな。発行された数が少なければ少ないほど、偽造されにくくなる。

 おかげで信じてもらえたようだ。



 それにしてもボリシェヴィキ家の中に協力者がいてくれれば、何かと心強い。

 しかし彼、兄を裏切る形になるがいいのだろうか。

 ……いや、これだけ性格が違えば軋轢もあるだろうな。こっちは見るからに義を重んじる武人肌だ。

 俺は無言でうなずき、立ち止まらずに彼とすれ違う。



 何だかドッと疲れたので、エレオラ邸に帰ってみんなと飯でも食おう。

 また陰謀合戦で忙しくなりそうだ。

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