「ラシィの帰省」
226話(ラシィの帰省)
私は実家の店先を、ちょっと覗いてみる。
お義兄さんはいるけど、お姉ちゃんはいないな……。
「ラシィじゃない。どしたの?」
「うわぁ!?」
お姉ちゃんは背後にいた。
私の実家は漬け物屋さんです。クラウヘン名物の岩塩を使った、根菜の塩漬け。
ヴァイトさんも好きだって言ってた。懐かしい味だって。
でもヴァイトさん、南西部の樹海出身らしいけど。
なんか不思議。
「こら、ラシィ。また別のこと考えてる」
お姉ちゃんが私の頭をぺしぺし叩くので、私は慌てて頭を守った。これ以上バカになったら仕事ができなくなる。
「やめてよ、お姉ちゃん。あ、それでね」
「うん」
「……なんだっけ?」
「知らないよ」
お姉ちゃんは呆れ顔でイスから立ち上がった。
「その調子じゃ魔王軍でも大して仕事してないんでしょ? ベルッケン様の推挙で大学まで通わせてもらったのに、ほんとにもう……」
「ちゃんと仕事してるもん!」
そりゃもう大活躍でしたよ。
たぶん。……んー。
中活躍ぐらい?
私の顔を見て、お姉ちゃんは溜息をつく。
「あんまり心配させないでよ。あんたは魔法の才能は凄かったけど、そのぶん他のところが抜けてるんだから」
「抜けてないってば」
私がぷんすか怒ると、お姉ちゃんは私の頭をぐりぐり撫でた。
「はいはい、抜けてない抜けてない。あ、お客さん来たみたいだから待ってて」
お姉ちゃんが店先に出ようとしたとき、表から声がかかった。
「ああいやいや、お気遣いはいらぬ」
「モヴィちゃん先生!」
先生ったら店に入るのに気後れして、うろうろしていたみたい。
魔王なのに奥ゆかしいモヴィちゃん先生だ。
「モヴィ……ちゃん……先生?」
首を傾げているお姉ちゃんに、私は胸を張ってちっちゃな先生を紹介する。
「こちらが私の先生、モヴィちゃ……違った、ゴモヴィロア先生だよ! なんと、魔王陛下です」
「この子が?」
お姉ちゃんが目を丸くした。
モヴィちゃん先生は見た目が子供だから、さすがにお姉ちゃんもびっくりしたみたい。
でもお姉ちゃんはふむふむとうなずき、モヴィちゃん先生に丁寧に挨拶をした。
「はじめまして、魔王様。ラシィの姉、ウェチカと申します。ここで夫と共に漬け物屋を営んでおります」
「はじめまして、ウェチカ殿。紹介に預かった通り、わしがゴモヴィロアじゃ」
にこにこしている先生に、お姉ちゃんが頭を下げる。
「魔王様、妹がお世話になっております」
「いや、ラシィは優秀な幻術師での。もう教えることはほとんどないのじゃ。魔術師の心得もできておるし、自慢の弟子じゃよ」
魔術師の心得って、もしかして「孤独を恐れず、静謐を愛すること」とかですか。
具体的には「お昼ごはんは一人で食べたい」ってヤツ。
あと少し気になったので、私はお姉ちゃんのほうを向いた。
「お姉ちゃん、よくモヴィちゃん先生が魔王様だって信じてくれたね?」
するとお姉ちゃんは当たり前のような顔をする。
「あんたがいい加減なこと言うはずがないからね」
意外と信用されてた。
なんか嬉しい。
でもお姉ちゃんはまた溜息をつく。
「いい加減なことは言わないけど、あんたの手紙や説明は全然要領を得なくて困るのよ。あたしはあんたほど頭が良くないから、もうちょっとわかりやすく説明してよね」
そのとき、店のほうが騒がしくなってきた。
「ウォーロイ様、こっちですよ。あとリューニエ様はちゃんとついてきてますか?」
「あっ、はい! すみません、今度は迷子にならないよう気をつけます!」
「バルナーク、この漬け物は珍しいな。試食させてもらえんか、頼んでみよう」
「その際には念のため、私が先に吟味いたしましょう」
「お肉の漬け物はないかな! ないね!」
「塩漬け肉食べたーい!」
ああ、やかましい。
ぞろぞろ入ってきた一団を見て、お姉ちゃんと義兄さんが慌てている。
「ラシィ、この方たちは何なんだ?」
義兄さんがとりあえずみんなに頭を下げながら、私に質問してきた。
だから私は胸を張る。
「神聖ロルムンド帝国の皇子ウォーロイ様と、その甥のリューニエ様だよ! そして剣聖と名高いバルナーク卿!」
さすがにお姉ちゃんも、これには驚いたらしい。
「え? 本当に? いや……本当なんだよね?」
「もちろん本当だよ! ウォーロイ様たちはミラルディアで新しい街を作るために、こっちに引っ越してきたの!」
するとウォーロイ様が軽く会釈をしてくれる。
「ウォーロイ・ボリシェヴィキ・ドニエスク・ロルムンドだ。今の身分はミラルディア連邦の客将といったところだ」
「あっ、いえ、その……」
「突然の来訪をお詫びさせてくれ。ラシィの実家と聞いてな、最初の視察先はここにしようと決めていた」
見るからに身分の高そうなウォーロイ様が丁寧な挨拶をしたから、お姉ちゃんがびっくりしている。
あ、そうだ。
「で、あっちが元老院時代からの同僚でカイトさん。探知魔法の達人で、今はヴァイトさんの副官してる人。お酒めっちゃ弱いよ。たぶん義兄さんより弱い」
「余計なこと言うなって言ってるだろ!」
カイトさんすぐ怒るから苦手だなあ。
「あとは魔王軍で働いてる犬人族の……」
「パンです!」
「パカです!」
「パーンです!」
「三人あわせて、パンパカパーンです!」
一人本名じゃない人がいるけど、芸名だからいいか。
犬人族って自分の名前にこだわらないみたいだし。
お姉ちゃんと義兄さんは慌ててみんなに挨拶するけど、まだ事情がよくわからないらしい。
「ラシィは今、いったい何をやってるんだ? ロルムンドに仕事で行くってとこまでは、こないだ聞いたけど……」
義兄さんが首を傾げているから、私はますます胸を張る。
「今はウォーロイ様たちの案内役だよ!」
今の私は異国の皇子様御一行をお守りする、クールでビューティな幻術師なのです。
相棒の探知術師のカイトさんと共に、魔王様から授かった魔法で大活躍する……予定です。
いやあ、かっこいいなあ私。
「ラシィ、よだれ、よだれ」
カイトさんが私の背中をつついたので、私は慌てて法衣の裾で口を拭った。油断するとすぐに口が緩んじゃうんだよね。
アホっぽいとよく言われる所以です。
そこに太守のベルッケン様が、衛兵さんたちをぞろぞろ連れてやってきた。
「ウォーロイ殿下、いけません。せめて街中ぐらいは衛兵をお連れください」
「ベルッケン殿、心配はいらぬ。クラウヘンは治安もよく、皆親切だ。区画もよく整備されていて、迷う心配もない」
「あ、でもさっきリューニエ様が迷っ……」
そう言いかけた瞬間に、カイトさんにブーツを軽く踏まれた。
「ラシィ、漬け物の試食はできるかな?」
「あっ、はい! できます! お姉ちゃん、ウォーロイ様が試食したいって!」
危ないところだった。
さすが「副官の副官」ことカイトさん、ナイスアシスト。
「この味、単に岩塩に漬けただけではありませんな。香りも歯ごたえも非常に良いです」
「ああ、熟成された力強い旨味を感じる。おそらく、ここでしか作れぬ味だろう。俺はロルムンドの酢漬けよりこちらのほうが好みだな」
皿に山盛りにされた漬け物を、バルナークさんとウォーロイ様がもぐもぐ食べている。試食ってレベルじゃないけど、まあいいか。
あとで「ウォーロイ公御用達」の看板でも作らせてもらおうっと。
入り婿の義兄さんも別の漬け物を運んできながら、すごく嬉しそうな顔をしてる。
「クラウヘン名物の『廃坑漬け』は、樽に詰めて廃坑で寝かせて作りますが、同じ樽と同じ廃坑でないと同じ味にはできません。うちは百年以上前から同じ樽と廃坑を使っています」
死んだお父さんに厳しく仕込まれてたもんなあ。
いやあ大変だったよね、義兄さん。
そんなことを考えていたら、お姉ちゃんが私にしみじみと語りかけてきた。
「あんた、ほんとに偉くなったんだねえ……。小さい頃から普通の子とは少し違うと思ってたけど、いい方向に違ってて本当に良かったよ」
「それ褒めてるの?」
「さあ、どうだろうね」
お姉ちゃんは笑うと、また私の頭をぐりぐり撫でてくれた。
でも私は知ってる。
あの日、ヴァイトさんが私を助けてくれなかったら、こんなふうにはなっていなかった。
本当なら偽聖女「ミルディーヌ」のままヴァイトさんに殺されているか、味方に罵られながら処刑されておしまいだったはずだ。
だから私は照れて笑う。
「魔王様の副官の人が、すごくいい人だったからだよ。私の力じゃないよ」
「あら、珍しく謙虚ね」
「あー、謙虚にならざるをえないというか……」
ヴァイトさんには頭が上がりません。
だからヴァイトさん、無事に戻ってきてくださいね。
まだまだ、あなたのお力になりたいですから。