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託された騎士

213話



 ドニエスク家の最後の拠点、難攻不落のキンジャール城が炎に包まれる。

 そのとき俺は、城の中にいた。



「まさか……ヴァイト卿!?」

 俺を見て驚いているのはイヴァン皇子だ。久しぶりだが、ずいぶんとやつれている。健康状態も良くないようだ。

 まあどのみち、もう長くは生きられないだろうが……。

「久しぶりですな、イヴァン殿下」

 俺は腰の剣を抜くこともなく、普段と同じようにイヴァン皇子に会釈する。



「むう……」

 イヴァン皇子は周囲を見回したが、残っている者はいない。みんな討ち死にするか、降伏してしまったようだ。

 彼は俺をじっと見つめ、こう問いかけてくる。

「ヴァイト殿、どこから入ってきた?」



「地下道からですよ、イヴァン皇子」

 キンジャール城周辺の地下空洞を片っ端から調べて、ようやく城の抜け道を発見したまでは良かったが、地下道は迷宮のようになっていた。

 凶悪な罠も仕掛けてあったし、珍しいゴーレムの護衛までいた。人狼の知覚力と身体能力がなければたどり着けなかっただろう。



 イヴァン皇子は溜息をつく。

「抜け道まで露見しているとはな。しかもあれを単身で突破してくるとは恐れ入った。私の完敗だ、ヴァイト殿」

「恐縮です」

 イヴァン皇子を殺すのなら、人狼に変身すれば二秒とかからない。

 だがもちろん、そんなことをするために来たのではない。

 俺が手を下すまでもなく、彼はもうすぐ死ぬ。



 俺は敵の総大将に歩み寄り、それから彼の隣に立って窓の外を眺めた。

 眼下には無数の軍旗が翻っている。その多くはエレオラ皇女の軍旗だ。

 幾度も激戦をくぐり抜けるうちに、アシュレイ軍の大半はエレオラに忠誠を誓うようになったという。みんな生き残りたいから正直なものだ。



「壮観だな、ヴァイト殿」

「壮観ですね。そしてこれを御覧になれるのは貴方と私だけですよ、イヴァン殿下」

 俺が笑うと、イヴァン皇子も弱々しく笑った。

「確かにそうだ。……だがなぜ、私をすぐに殺さない?」



 俺は真顔になり、イヴァン皇子に向き直った。

「お聞きしたかったのです。なぜ、このように拙速な行動を?」

「もう気づいているだろう。私は長くない。そして北ロルムンドの将来について危機感を抱いているのは私だけだ。生きている間に、破滅を回避する道筋を整えておく必要があった」

 人間、差し迫った危機でなければなかなか動こうとはしない。

 自分の利害が絡むとなればなおのことだ。



 イヴァン皇子は弱々しく微笑む。

「帝位を武力で奪い取ることは十分に可能だと判断していたよ。だがエレオラのオリガニア家……いや、はっきり言えばヴァイト卿、貴殿の力を見誤っていたのだ。まさか戦況をここまで覆すとはな」

 イヴァン皇子は窓際から離れ、ソファに腰掛ける。俺の耳には聞こえるが、呼吸が不安定だ。



 イヴァン皇子が手招きするので、俺もソファに腰掛ける。

「元より電撃作戦で一気に片をつけ、持久戦には持ち込ませないおつもりだったのでしょう? 長引けば国力の差が如実に出ます。私はただ、長引かせただけですよ」

 ウォーロイ皇子が一騎打ちを挑んできたので捕虜にできたが、それはあくまでも結果にすぎない。



 少しずつ火の手が回ってきているようで、この部屋も少し煙臭くなってきた。人間の嗅覚でもわかるはずだ。

 だが俺たちは落ち着き払って、静かに会話を続ける。

 イヴァン皇子は溜息をつき、額に手をやった。

「私が貴殿の強さを見誤ったせいで、弟を戦死させてしまった。せめてもの慰めは、名将と名高い貴殿が相手だったことだな……」



 イヴァン皇子はどうやら、弟が捕虜になったことまでは知らないらしい。

 俺は笑って首を横に振った。

「御安心ください。ウォーロイ殿は生きておられますよ」

「本当か!?」

 イヴァン皇子が驚いて顔を上げたので、俺はにっこり笑う。

「ええ。私が匿っております」



「なぜそのような危険なことを?」

「もちろんウォーロイ殿に利用価値を認めたからです。そして私が利用価値を認めたからには、ウォーロイ殿をこのまま死なせるようなことはありません」

 あんな有能な人物を死なせるぐらいなら、ミラルディアがもらう。

 ロルムンドの貴族連中がゴチャゴチャ言おうが、俺はロルムンド人ではないからな。知ったことではない。



 だから俺はイヴァン皇子に約束をする。

「ウォーロイ皇子の命は、このヴァイト・グルン・フリーデンリヒターがミラルディア評議員の名誉に懸けてお守りいたします」

「おお……」

 イヴァン皇子は目頭を押さえる。

 弟のこと、心配だったんだろうな。



 俺はその流れで、彼にもうひとつ提案をした。

「御子息のリューニエ皇子も、同様にお助けしたく思っております。リューニエ殿はどちらに?」

 するとイヴァン皇子は寂しげに笑った。

「少し前に、抜け道から逃がしたところだよ。バルナーク卿を護衛につけてな。だがすぐに追っ手がかかるだろう。無駄だとわかっていても、やはり生き延びて欲しいのだ」

 入れ違いだったか。俺が変なとこで迷ったせいだな……。



「御安心ください。リューニエ皇子も私がお助けいたします。例えエレオラ殿下が反対なさったとしてもです」

 するとイヴァン皇子はまじまじと俺の顔を見つめる。

「気持ちは嬉しいが、なぜそこまでしてくれる? 息子に利用価値はあるまい」



 彼の疑問ももっともだ。

 だから俺は正直に答える。

「確かに私の『今の戦い』では、リューニエ皇子に利用価値はありません。『次の戦い』でも、利益よりは不利益をもたらすでしょう」

 ドニエスク家との戦い、そしてアシュレイ皇子との戦い。

 どちらもリューニエ皇子は必要ない。



「ですが『次の次の戦い』では、リューニエ皇子は切り札となりえます。それだけのことですよ」

 そのときに俺がリューニエ皇子の身柄を確保していれば、彼には途方もない価値がある。

 ……かもしれない。



 イヴァン皇子は俺の顔をじっと見つめる。

「なるほど。だが本当にそれだけか? 私を死に損ないの病人と侮ってくれるなよ、決闘卿」

 さすがにドニエスク家の跡取りだけあって鋭いな。

 しょうがない。



「どうせ殿下は死にゆく身。冥土の土産に、私の真意を教えて差し上げましょう」

 俺はニヤリと笑い、それからこう続けた。

「嫌なんですよ、子供が殺されるのは」

 イヴァン皇子は俺の顔をさらにまじまじと見つめ、不思議そうに言った。

「……それだけなのか?」

「それだけです」



 イヴァン皇子は溜息をついた。

「不思議だな。理屈で考えれば馬鹿にされているとしか思えないのだが、今の答えで腑に落ちてしまった」

 正真正銘、俺の本音だからな。

 俺の目と手が届く範囲で、そんなことはさせない。



 するとイヴァン皇子はソファから立ち上がる。

「貴殿の真意はわかった。少し待っていてくれ、ヴァイト殿。なに、逃げはしない」

 俺は無言でうなずき、別室に消える彼を見送る。

 すぐにイヴァン皇子は戻ってきた。

 木でできた騎士の置物を持っている。



 北ロルムンド名産の寄せ木細工だ。ロルムンド式チェス、謀棋の駒を模している。

 かなり古めかしいが、精巧で仕上げも丁寧だ。

 イヴァン皇子は微笑む。

「謀略家の末裔として、私も最後にひとつだけ策略を仕掛けておこう」

「私に、ですか?」

「そうだな」

 なんだか面白そうだ。



 イヴァン皇子は俺に寄せ木細工の騎士を差し出す。

「これをリューニエに渡してくれ。先に言っておくが、魔法で調べてもおそらく無駄だ。息子にしかわからん。そしてこれは、貴殿に計り知れない利益をもたらすだろう」

 ますます面白そうだ。



 俺はそれを受け取り、悪役っぽく笑ってみせる。

「お預かりしましょう。私を心変わりさせないための策ですかな?」

「そうではないよ、ヴァイト殿」

 イヴァン皇子はなぜか、晴れ晴れとした笑顔で首を横に振った。

「私の背負っていたものを全て、貴殿に託した。それだけのことだ」

 どういう意味だろう?



 イヴァン皇子は俺が口を開く前に、こう言った。

「さて、私はそろそろ父上と妻へ詫びに行くとしよう。何なら貴殿が私の首を取るか? 大手柄になるぞ」

 俺は首を横に振った。

「手柄に興味はありません。無粋な真似はいたしませんよ」



 イヴァン皇子はうなずき、ドアノブに手をかける。

 それから俺に背を向けたまま、こう言った。

「貴殿に会えて良かったよ。さらばだ」

 その言葉を残して、彼は扉の奥に消えていく。



 しばらくした後、隣室から血の匂いが漂ってくるのを感じて、俺はドアに向かって一礼した。

 それから俺は、小さな騎士の置物を見つめる。

 またひとつ、責任が増えてしまったらしい。

 しょうがない。これもなんとかしよう。

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