竜の息吹
21話
霧に包まれた魔王の居城、グルンシュタット。
俺はいつも通り人狼へと変身しながら、重い溜息をつく。
「申し開きって、具体的に……」
振り返った俺は、口を閉ざした。
師匠がいない。
どうやら師匠、俺一人をここに転送させたらしい。
「リューンハイトの留守番してくれるのかな?」
俺は首を傾げながらも、城門へと歩き出した。
魔王軍の拠点であるグルンシュタット城は、各師団の拠点でもある。
第一師団は、竜人族だけで構成された精鋭。「近衛師団」とも呼ばれる。
総戦力は不明だが、おそらく第二師団と第三師団を合わせたよりも強いだろう。竜人族は全員、魔王の信奉者なのだ。
第二師団は獣鬼や巨人など、破壊力のある魔族が集められている。
好戦的で凶暴なので、俺とは話が合わない連中だ。
戦力としてはかなりの規模だが、師団長に至るまで全員戦闘馬鹿なので、発言力は大したことない。
第三師団は人狼や吸血鬼など、一癖ある魔族が多い。下級兵士は第二師団とノリが合わない、穏和な連中がそろっている。
副官のほとんどは、大賢者ゴモヴィロアの弟子だ。だから魔術師でもある。自慢ではないが、魔王軍の頭脳と言ってもいい。
ただし総数が少ないのが泣き所で、奇襲でしか都市を攻略できないのが残念なところだ。
普段はこれら三つの師団が訓練や補給などで出入りしていて、なかなかに活気がある。
だが今日は第二師団がやけに物々しい。徴募されたばかりの新兵まで、ぴかぴかの鎧を着て緊張した様子で走り回っている。
「大きな作戦でもあるのかな?」
俺は首を傾げながら、衛兵に案内された一室で魔王を待つことにした。
竜人に伝わる鉄鉱茶をすすりながら、鶏肉入りクッキーをつまむ。
こう言っては悪いが鉄鉱茶は錆びた水道管の水みたいな味だし、鶏肉入りクッキーに至っては悪い冗談としか思えない。
わざわざ俺を呼びつけた割に、魔王への謁見はなかなか始まらない。
鉄鉱茶を二杯飲み、鶏肉入りクッキーを全部平らげてしばらく経って、ようやくドアが開いた。
魔王が現れたかと思った俺はすぐに立ち上がったが、入ってきたのは竜人族の士官だった。
第一師団の副師団長だ。確か名前は、バルツェだったな。称号は『蒼騎士』。
「バルツェ殿、お久しぶりです」
俺が一礼すると、称号通り蒼い鱗を持つ竜人は小さくうなずいた。
「お久しぶりです。お待たせしており、大変申し訳ない」
竜人はトカゲみたいな顔をしているので表情がわかりにくいが、どうやら恐縮しているようだ。それに疲れている様子でもある。
「魔王陛下は先ほど軍議を終えられたばかりで、少しお疲れです。よろしくお願いします」
「わかりました」
どうよろしくしていいのかわからないが、どうもタイミングがあまりよくなかったようだ。
仕方ない、発言には気をつけるとしよう。
俺はすぐさま、会議室に通された。ここは師団長クラスの最高幹部しか入れない特別な場所だ。俺も初めて入る。
副師団長のバルツェと共に入室した俺は、すぐさま恭しく一礼した。
「魔王様、第三師団副官、『魔狼』ヴァイトにございます」
「うむ、大儀であった」
円卓越しに、魔王が俺にうなずきかけてくる。竜人族は表情が読みづらいので、今の感情はさっぱりわからない。
魔王は開口一番、俺に質問をぶつけてきた。
「バイトよ、問いただすことがある」
実は俺は、魔王に名前を呼ばれるのが嫌だ。
竜人族は口の構造の関係で、ヴァイトと発音できない。バイトになってしまう。
当人たちはちゃんと発音できているらしいのだが、俺には違いが全くわからなかった。
副師団長というそこそこ偉い地位なのに、どうも自信がなくなってくる。
だが俺のそんな困惑をよそに、魔王は言葉を続けた。
「犬人の商人に、木炭と硫黄と硝石を発注したそうだな」
「はっ、左様にございます」
ああ、火薬の件か。
犬人隊の戦力増強のために、火縄銃でも作れないかと思っているのだ。彼らは非力だが、手先が器用で物覚えも早い。いい射手になると思う。
だが、それを明かしてしまっていいものだろうか。
などと思っていたら、会話は予想外の方向に発展した。
「『竜の息吹』の調合材料を、どこで知った?」
「えっ?」
もしかして、もうこの世界に火薬は存在しているのか?
困惑していると、バルツェが横から口添えしてくれる。
「『竜の息吹』は火気によって爆発を起こす秘薬。竜人族の秘伝中の秘伝ですぞ。魔王軍においても、最高軍事機密に属しているのです」
「そ、そうでしたか」
えらいことになってしまった。
魔王は俺を凝視して、返答を待っている。急いでうまく答えないと、最高軍事機密に触れた件で処罰されてしまう。
俺は腹を決めた。
「修行時代に我が師ゴモヴィロアの蔵書を読んで、この組み合わせなら爆発を起こせるのではないかと推察いたしました」
「ふむ、ゴモヴィロアの蔵書か……」
魔王がうなずいたので、俺はここぞとばかりに弁明する。
「犬人隊の戦力増強になればと思い、研究のために発注した次第です。最高軍事機密とは知りませんでした」
正直に言う覚悟はないが、師匠になすりつけて後で謝る覚悟は決めた。我ながら苦しい言い訳だが、黙っているよりはずっといい。
魔王は俺の苦し紛れの言い訳に、鷹揚に応えた。
「さすが大賢者の愛弟子だけあって、軍略だけでなく薬学にも秀でているようだな。よい、その見識に免じて不問としよう」
どうやら許されたようだ。毎回心臓に悪すぎる。
魔王は続けて、俺にこう言った。
「だがおぬしとて、『竜の息吹』の配合比率までは知るまい」
「存じません」
これは本当だ。最初は同じ割合ずつ混ぜてみるつもりでいた。
すると魔王は小さく首を振った。
「重量比で硝石十に対して木炭が二、硫黄が一だ。今後のために覚えておくがよい。ただし危険ゆえ、調合は固く禁じる」
そんなに硝石が必要だったのか……それにしても、教えてくれたのに調合は禁止というのは、意味がわからない。
だが魔王は俺の考えを読んだかのように、重々しく告げた。
「少量ではあるが、特別に『竜の息吹』を支給する。取り扱いが難しく専門家が必要ゆえ、第一師団から技師班を派遣する。おぬしの指揮下に加えよ」
「ははっ、謹んで拝領いたします!」
「機密が漏れた場合は、事情に関わらず厳重に処罰する。よいな」
「……はっ」
ほんのりと後悔したが、もう遅い。
俺は深々と一礼した。