人狼の留守番
200話
文字通り降って湧いた大量の積雪で、「炎上王女と雪の城」は無事に完成した。
分厚い雪の壁……石の壁よりずっと脆く軽いので、厚くせざるを得なかったのだが、とにかく分厚い壁だ。
高さも十分にあり、攻城兵器がなければ攻略は不可能だろう。
「これ投石機の攻撃くらっても、翌日には直りますよね」
カイトがそびえ立つ白銀の壁を見上げながら、あきれたようにつぶやく。
「飛んできた石、壁の中に埋めちゃえばいいんですから」
「まあ……そうだな」
そう都合よくいくかどうかはわからないが、石の城壁よりは修理しやすそうな気がする。
予定より早く工事が完了したので、エレオラがこんなことを言い出した。
「北進するアシュレイ軍に、私も同行することにした。兵を三千ほど連れていく」
「いいのか、エレオラ殿? アシュレイ軍は士気が低いぞ」
アシュレイ派の貴族が別に無能という訳ではないのだが、基本的にみんな他人任せの空気がある。主流派の尻馬に乗っている連中だから当たり前だ。
するとエレオラは困ったように笑った。
「だからだよ。帝室の誰かが見張っていないと心配だろう?」
確かにそうだな。
アシュレイ皇子は帝都から動けないし、他に適任者がいない。
アシュレイ皇子には姉、エレオラ皇女には妹がいるが、どちらも軍人ではない。ただのお姫様なので軍務は不可能だ。
しかしやはり心配だ。
「それなら俺が代理で行こう。いざとなれば単身でも、ここまで戻ってこられる」
だがエレオラは首を横に振った。
「ウォーロイ皇子は戦上手だ。彼を封じておかねば帝都が危険になるし、逆に彼さえ封じておけば、後は持久力の差で押し勝てるだろう」
エレオラは机上の地図に、友軍を示すマーカーをいくつか置いた。
「私たちがアシュレイ皇子に味方して以来、アシュレイ派貴族たちも少しずつ兵を出すようになってきている」
「日和見主義者どもが、こちらになびいてきたという訳か」
アシュレイ皇子が敗れることも計算に入れて状況を見守ってきた貴族たちが、ここにきて協力的な姿勢を見せてきたらしい。
「ウォーロイ皇子の猛攻が止まり、戦況が膠着しているからな。今ここで忠義面をしておけば、次期皇帝から冷遇されることもあるまいという打算だ」
アシュレイ皇子は穏和だが、あからさまに忠誠心のない者を重用するほど馬鹿ではない。
後々のことを考えれば、今のうちに参戦しておいたほうが賢明だと考えたらしい。
「この日和見主義者どもを逃がさないためにも、アシュレイ派優勢の雰囲気は維持しておきたい。皇女自らが敵地に進軍するとなれば、勝利は目前だと思いこむ連中も出てくるだろう」
「だからといってだな……」
偉い人は前線に出ちゃダメなんですよ。
困った皇女様だ。
しかし俺が何か言うよりも早く、エレオラは俺の反論を封じてきた。
「貴殿にはウォーロイ皇子を釘付けにするという、非常に難しい任務が待っている。これは私よりも貴殿が適任だろう。……何せ、私は貴殿に負けたのだからな」
あれはエレオラ側の状況が悪すぎただけだと思うが……。同じ境遇だったら、俺も負けていたと思う。
エレオラはこうも言う。
「アシュレイ派の増援は貴族たちの私兵だが、それだけに厄介だ。彼らはアシュレイ皇子に尽くす気などさらさらないから、戦いも嫌がっている。遠征には行きたくないと言う者も多い」
「鬱陶しいな……」
参加するだけしておいて、ろくすっぽやる気が感じられないのは本当に鬱陶しい。
しかしとにかく、今は数が必要だ。エレオラの白い指先が、地図上の帝都を示す。
「そんな連中でも、帝都とその周辺の守りを固めることはできるだろう。そうなるとウォーロイ皇子の攻勢も弱まる」
帝都への侵攻が難しいとなれば、ウォーロイ皇子としては北ロルムンドへの撤退か、重要拠点である湖上城を守り続けるかの二択になる。
ウォーロイ軍は北ロルムンドの精鋭だから、おとなしく籠城してくれるのなら大歓迎だ。
俺は少し考え、うなずいた。
「ウォーロイ軍からの追撃を阻止するだけなら、俺にでもできそうだな。では貴殿には兵を率いて華々しく戦ってもらおうか」
「ありがとう」
エレオラが笑ったので、俺はついでにこう言っておく。
「ただしエレオラ殿、兵は一万連れていけ」
「一万!?」
エレオラが驚いた顔をして、俺をまじまじと見つめてきた。
この澄まし顔のお姫様をびっくりさせるのは、いつでも楽しいな。
俺は机上のマーカーを手に取り、ニヤリと笑う。
「今ここには一万七千の兵がいる。籠城だけでいいなら、こちらは七千で十分だ。魔撃兵がいるからな。騎兵や槍兵はあまり必要ない」
理論上だが、籠城戦の魔撃兵は強い。槍兵数人分の働きができるだろう。
籠城戦では接近してくる歩兵や攻城兵器を攻撃することになるから、一撃必殺の威力が何よりも物を言う。
「貴殿は実家のオリガニア家の家臣団を率いて北進するつもりだろうが、カストニエフ家の兵も連れていけ」
カストニエフ卿は年齢が年齢なので冬の合戦に従軍していないが、彼の息子たちが来ている。エレオラにとっては従兄にあたる面々だ。かなり信頼できる。
「北進するアシュレイ軍は二万。イヴァン皇子は二万の援軍を用意できるのだから、こちらも二万では心許ない」
「それは確かに懸念していたが……」
「三万いれば、敵の砦や城を攻め落とすのも容易になるだろう。春までには戻ってきてもらわねばならんのだ。兵の出し惜しみは良くない」
この砦、冬季限定だからな。
「それにもしアシュレイ軍が壊滅した場合、貴殿が安全にここまで戻ってくるための兵が必要だ。一万いれば一戦できるぞ」
アシュレイとエレオラ、どちらが討たれても困る。
「しかしだな……」
渋るエレオラに、俺は畳みかけた。
「次期皇帝の軍が貧相では、後世の歴史家が落胆するぞ。派手にやってこい。ここは俺が死守する。任せろ」
エレオラは腕組みをして考え込んでしまったが、やがて顔を上げてこう言った。
「死ぬなよ?」
「俺を誰だと思っている。悪名高きリューンハイトの黒狼卿だぞ」
本当はそこまで自信がある訳ではないが、ここはエレオラ軍も大勝負に出るべきだ。
ここでエレオラが帝位争いに決着をつけたとなれば、彼女の発言力は一気に増す。アシュレイ皇子も頭が上がらなくなるだろう。
そしてドニエスク家滅亡後、北ロルムンドの占領政策などにエレオラが口を挟めるようになる。
その後、日和見主義者のアシュレイ派貴族たちをじわじわ削り取って味方につけていくのだ。
うまくいけば、北ロルムンド・東ロルムンド・西ロルムンドの全ての地方にエレオラ派が誕生することになるだろう。
ふふ、玉座が見えてきたぞ。
俺のじゃないけど。
俺がニヤニヤ笑っているせいか、エレオラが苦笑した。
「貴殿は実に楽しそうに悪巧みをするな」
「悪党だからな」
一般的に魔王の副官といえば、悪巧みをするのが仕事みたいなものだ。悪の参謀で狡猾な知将と相場が決まっている。
まあ俺は知将ではないが、それっぽい気分に浸るぐらいはいいだろう。
「それと魔撃兵のうち、貴殿の親衛隊である第二〇九魔撃大隊は連れていけ。彼らがいれば安心だ」
彼らは絶対に裏切らないし、彼らまでもが裏切るようなときはエレオラも終わりだろう。
エレオラはまた驚いた顔をする。
「いいのか?」
「残りの第二〇三から二〇八までの魔撃大隊がいれば十分だ。それとアシュレイ皇子から、第一〇四・一〇五魔撃大隊を借りる約束を取り付けた。俺の隊の者に迎えに行かせる予定だ」
行軍中にウォーロイ軍に襲われたら困るから、鼻の利く先導をつけておかないとな。
こうしてアシュレイ軍二万とエレオラ軍一万の連合軍は、イヴァン皇子討伐のために北ロルムンドに進軍することになった。
東ロルムンドと西ロルムンドから兵を集めてこれだけというのも情けないが、むしろ北ロルムンドの動員率がおかしいんだ。
それだけ覚悟を決めて、相当無理しているのだろう。
北ロルムンドにはまだ二万以上の兵力が残っているようだが、北ロルムンド軍の精鋭である三万はクリーチ湖上城に釘付けにされている。
北ロルムンドだって畑で兵が採れる訳じゃないから、出せる兵力には限界がある。
残っている兵の大半は予備兵力で、それほど精強ではないはずだ。
出立の日、エレオラは兵士たちが見守る中で俺に言った。
「ヴァイト卿。私の背中を頼む」
俺は彼女の忠実な部下を装って、恭しく頭を下げた。
「お任せください、エレオラ殿下。ミラルディアの威信にかけて、殿下の兵たちと共にここを死守いたしましょう」
エレオラはうなずき、居並ぶ兵たちに告げる。
「聞いての通りだ。遠い異国からも、私たちを助けるために将兵が来ている。ロルムンド兵の精強さを見せるときだぞ、諸君」
相変わらず演説うまいな、こいつ。
緊張した表情の兵たちも、エレオラの言葉でプライドをくすぐられたらしい。表情が引き締まり、口々に叫ぶ。
「ロルムンド魂に栄光あれ!」
「殿下に勝利を!」
「おおーっ!」
俺はエレオラと共に余裕の表情で手を振りながら、内心ではドキドキしていた。
雪が融ける春までにエレオラが勝って戻らなければ、ウォーロイ軍が動き出して俺の軍は蹴散らされる。
そして俺がここを守りきれない場合、ウォーロイ軍が本国の救援のために北進するから、エレオラ軍は背後から攻撃を受けてしまう。
俺とエレオラ、両方がうまく任務を達成しないと勝てないのだ。そしてこの勝負に全てがかかっている。
いよいよ後に退けなくなってきたぞ……。
※明日1月21日(木)は更新定休日です。




