引き裂かれる手紙
196話
無駄な損害を出しつつも、クリーチ湖上城の包囲は何とか続いていた。
攻め込みたいのだが、湖面が凍っていて船は出せない。かといって徒歩では、足下の氷を割られたら全滅してしまう。
投石機の類も搬入できないし、やっかいな相手だ。
「攻め込むには決め手に欠けるが、かといって包囲しているだけでは勝てんな」
軍議でエレオラがつぶやいたので、俺もうなずく。
「ああ。一般的に籠城というのは、援軍が来る見込みがある場合にするものだ。ここで籠城しているということは、いずれイヴァン皇子が援軍をよこしてくるのだろう」
我々は帝都から食糧を搬入できているから、ウォーロイ皇子も俺たちが諦めて撤退するなどとは考えていないだろう。
となればやはり、援軍が来るとみるのが妥当だ。
エレオラは外の景色を眺め、少し考える。
「我々は湖上城を包囲するために広く布陣しているので、外側からの攻撃に弱い。城内からも出撃してくるだろうから、敵の援軍は少数でも脅威だな」
現状、アシュレイ・エレオラ連合軍の兵力はそんなに増えない。西ロルムンドの貴族たちが様子見を決め込んでいるからだ。
エレオラがアシュレイ側についたことで離反は起きなくなったが、相変わらずやる気の感じられない連中だ。
こんなのが支持基盤なのだから、アシュレイ皇子も苦労が絶えないだろう。
ボルシュ副官が地図上に戦力を示す石のマーカーを置きながら、深刻な表情をする。
「包囲を維持しつつ援軍を撃退するのは困難です。兵の大半が寄せ集めで、連携がとれていません」
帝国軍は別として、領主たちの兵は近代化されていない。指揮系統もゴチャゴチャしているので、一度に複数の命令を与えると混乱を起こす。
会議に参加しているだけのラシィが、余っているマーカーを積み上げて遊びながらつぶやく。
「このお城はほっといて、北に進軍しちゃうのはダメなんですか?」
俺とエレオラとボルシュが同時に顔を見合わせ、最終的に俺にその役割が押しつけられる。
俺は溜息をついて、彼女にもわかるように説明した。
「帝都ががら空きになってしまうだろう? かといって帝都に守備隊を残したら、進軍させる兵力が減って苦しくなる」
エレオラも苦笑し、諭すような優しい口調で続ける。
「それに行軍用の隊列では十分な戦闘ができない。湖上城から追撃されると大損害を受けてしまうだろう」
「はー……なるほど」
ラシィはわかっているのかわかっていないのか、よくわからないような顔をしている。
そしてポンと手を叩いた。
「つまり私たち、ここに釘付けにされちゃってるんですね。ウォーロイ殿下、やっぱりすごいなあ」
意外とよくわかってた。
こうなるとやはり、戦場の外で決着をつけるのがいいな。
それなら俺の仕事だ。
「よし、予定していた策を使う。うまくいくかどうかはわからんが、俺には人狼だから、これしかできない」
ラシィはマーカーを色ごとに並べて綺麗な幾何学模様を作りながら、ふと首を傾げる。
「また人狼に変身して戦うんですか?」
俺は首を横に振った。
「いいや。この規模の城であれをやっても、落城させるのはちょっと厳しいだろうな。だから違う方法だ」
ニヤリと笑った俺は、会議の書記をしていたカイトの肩を叩いた。
「カイト、また一仕事してもらうぞ」
「また俺ですか!?」
副官ってのは大変だよな。
クリーチ湖上城から数キロ北上した地点に、エレオラ軍は関所を設けた。
といっても非常に簡単なものだが、柵を立てて仰々しくエレオラ軍の軍旗なども派手に翻しておく。目立たないと意味がない。
その二日後には、さっそく効果があった。
「お、犬笛だな」
関所の仮設小屋で書類仕事をしていた俺は、顔を上げた。
思った通り、罠にかかったな。
「カイト、行くぞ」
犬笛を頼りに関所近くの森に入った俺は、そこでモンザ隊と合流する。
「あは、楽勝楽勝。あ、殺してないよ?」
彼女の足下には、巡礼の僧侶らしい男が倒れている。気絶しているようだ。
「関所を見たとたんに森に入ってったから、バレバレだったよ。後はちょちょいっと、ね」
モンザの奇襲は達人の域だから、この男は何が起きたかもわからずに意識を失ったはずだ。
俺は念のため、男に安眠の魔法をかけてやる。ノンレム睡眠を一時間ほどお楽しみください。疲れも取れるよ。
「こいつが覚悟を決めて関所に入ってたとしても、カイトの魔法で見破られてただろうけどな。ということでカイト、出番だ」
カイトは小さく溜息をついて、男の傍らにしゃがみ込んだ。男の背中に手を当てて、小さく呪文を唱える。呪文を幾つも使って、あちこち調べているようだ。
それから彼は顔を上げた。
「ドニエスク家の密使です。それと僧衣の左の襟、右側よりほんのわずかに厚みがありました」
触れてみると、確かに薄く硬いものがある。外からは全くわからないし、ポケットも見当たらない。二重になった生地の間に縫い込んであるようだ。
「密書だろうな。カイト」
「わかってますって」
探知魔法のひとつに、本を開かずに中身を読む術がある。凄く楽そうなので俺も覚えたいのだが、意外と難しい。
カイトはそれを使って、僧衣の中の密書を読み取った。
「イヴァン皇子からウォーロイ皇子に宛てた手紙のようです。『注文の二頭の牛のうち、一頭はすぐに肉にできる。食べたいか?』だそうです。他にも色々」
モンザが首を傾げる。
「なにそれ? よくわかんない」
俺もわからん。
するとカイトがモンザに向かってこう言う。
「重要な単語が符丁に置き換えられてるから、第三者に読まれても意味がわからないようになってるんだよ。簡単だけどな」
カイトはこの手の機密文書を読み解くのに慣れている。
探知魔法を使えば解読のヒントも得られるし、暗号解読のプロといってもいい。
彼は少し考え込むと、俺を振り返った。
「牛は『大きな支援』として使われますから、援軍のことだと思います。たぶん一頭が一万」
「はー……なるほど」
モンザがうんうんとうなずく。
俺も一緒になってうんうんとうなずいた。
「だから『要請された二万の援軍のうち、すぐ準備できる一万だけでもすぐに送ろうか?』と訊ねているようですね。書記官に書かせたものらしく、直筆ではありません」
「お前凄いな」
「これぐらいできないと、元老院の調査官には就職できないんですよ。その割に待遇がクソでしたけど」
まだ根に持ってるのか。
得られた貴重な情報について、俺は考え込む。
「一万でも今来られると面倒だな。この手紙は読ませないほうがよさそうだ。モンザ、頼む」
「はぁい、隊長」
彼女は僧衣の縫い糸をほどくと、中から密書を取り出した。
本来ならこの手の機密文書は蝋で封印をするのだが、薄さを追求するために今回は省略されている。
「よし、偽物とすり替えてしまおう。カイト、書いてくれ」
「なんでもかんでも俺にやらせないでくださいよ!」
お前が能筆なのは知ってるんだ。
きりきり働け。
イヴァン皇子の直筆だったら偽造が大変だったが、幸いにも書記官の代筆だからどうにでもなる。
カイトはぶつくさ言いながらも、彼のカバンを開けた。筆記用具一式が出てくる。
紙とインク、それにペンは何種類か用意してある。カイトが魔法と五感を駆使して分析しながら、本物の密書に一番近いものを選ぶ。
「えーと、これは細めの羽ペンで……インクは青みがかった黒の顔料インク、紙は北部産の白い子羊で作った高級羊皮紙か……ところで文面どうします?」
「援軍を送るのに時間がかかると伝えてくれ。なるべくそっけなく冷たい文章でな。ウォーロイ皇子を不安に思わせたい」
「悪人ですね、ヴァイトさん」
「人間ですらないぞ」
俺が肩をすくめると、モンザ隊のみんなが笑った。
密書をすり替え、モンザが器用にちくちく縫って偽密書を僧衣に戻す。糸の色で気づかれたら困るので、北ロルムンドでよく使われる色は一通り揃えておいた。たぶん大丈夫だろう。
密書と僧衣に探知魔法を使われた場合に備え、カイトが妨害用の魔法で不要な履歴を消す。
「よし、こんなもんかな。過去視の術を使っても、もう俺たちのことはわかりませんよ」
カイトがふと、心配そうに訊ねる。
「ヴァイトさん、密使自身が密書の中身を記憶してませんかね?」
「その可能性はあるが、それならわざわざ密書を持たせずに口頭で連絡するんじゃないか? 見つかったときのことを考えると、密書は危険が大きいし」
「それもそうですが……」
「密使の記憶と密書の内容、食い違っていたら俺は密書の内容を信用するぞ。それにドニエスク家は秘密主義だから、部下にも余計なことは教えない。大丈夫だろう」
「大丈夫かなあ……」
本当に大丈夫か俺も自信はないのだが、どちらにしても本物の密書はウォーロイ皇子には届かない。
それに密書が偽物だと気づかれたとしても、次の策を実行するまでだ。
密書が偽物だと気づいた場合、ウォーロイ皇子は偽密書を作って俺たちに読ませようとするだろう。
そのときは俺たちは騙されたふりをして、ウォーロイ皇子を油断させればいい。
言うほど簡単ではないが、まあ何とかなるだろ。
後はこいつが自然に目を覚まして、関所をすり抜けるだけだ。
「それにしてもやっぱり、城の包囲は不完全なようだな」
この世界、夜は月明かりがないと真っ暗だから監視しようがない。
こいつは俺たちの包囲を潜り抜けて城に近づく方法を知っているのだろう。
後で尾行させてもらうか。
後のことはモンザ隊に任せて、俺は帰ろう。書類が山積みだ。
「モンザ、お手柄だったぞ。この調子で頼む」
「はぁい、隊長」
敬礼してみせるモンザに手を振って、俺とカイトは関所に戻ることにした。
帰り道、カイトがつぶやく。
「ねえヴァイトさん」
「なんだ」
「なんていうかこれ、地味……ですね」
言うな。
「俺は将軍じゃない。今回みたいに万単位の兵が動くような局面だと、俺の手には余るんだ」
魔王軍で一応、それなりに戦術は学んだんだけどな。
一万人の兵を動かすのなら、一万人に一人の逸材に任せればいい。俺みたいな凡将の出る幕じゃない。
だから戦場での働きは専門家に任せることにして、俺は裏方として多少貢献できればと思っているところだ。
「いいんだよ、俺たちは地味にやろう。地味な副官同士、仲良くやろうぜ」
「確かに俺も地味ですけど、俺はあなたの副官ですよ」
「俺も魔王様の副官だぞ」
そんなどうでもいい会話をしながら、俺たちは関所の門をくぐった。




