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氷の罠

195話



 ウォーロイ皇子の軍は破竹の進撃を続けていたが、俺がスヴェニキ城を奪還した直後に侵攻が止まったようだ。

 そのままウォーロイ皇子は全軍を退却させ、拠点のクリーチ湖上城に籠城してしまった。

 よくわからないが、どうやらスヴェニキ城を奪還されたのを警戒したらしい。



 ウォーロイ軍の退却の早さは、最前線の砦を死守していた兵たちが驚くほどだったという。

 友軍に救出された守備兵たちは、こう語った。

「バーッと矢が飛んできたのが止んだな、そう思って城壁からそっと覗いたらね……いないんですよ、敵が」

 なんで怪談調なんだ。



 数と勢いで猛攻をかけていたウォーロイ軍だったが、他の拠点への攻撃も全て中断。綺麗さっぱり退却してしまった。

 不思議に思っているところに、俺はアシュレイ皇子から呼び出される。

「ヴァイト卿、ありがとうございました。あなたのおかげで敵の猛攻を防ぐことができたようです」

「いえ、今できることをしただけです」



 するとアシュレイ皇子は苦笑してみせた。

「寡兵で城を奪還するのが『今できること』という時点で、相当な戦上手ですよ」

 いや、人狼の強さでゴリ押ししてるだけだから、油断さえしなければ誰でもできます。

 無茶な命令でもこなしてくれる人狼隊が優秀なだけだ。



 俺は困ってしまって曖昧な笑みでごまかすが、アシュレイ皇子はそんな俺を誤解したらしい。

「謙虚な御方ですね、あなたは」

 そうじゃないんです。

「あなたの戦上手には、何か秘訣が?」

「ありませんよ?」



 俺は慌てて話題を変える。

「ところでスヴェニキ城の検分ですが、食糧の備蓄が不自然に多かったのです。報告はお聞きになられましたか?」

「はい。城兵は二千ほどなのに、一冬では食べきれないほどの兵糧が蓄えられていたそうですね」

 つまりはもっと多くの兵を養う準備ということになる。

 もちろんアシュレイ軍の計画にそんなものはない。



 俺はその理由を考えたが、答えはひとつしかなかった。

「かなり前から、ウォーロイ軍を迎え入れる準備ができていたということでしょうな」

「はい。早い段階でウォーロイ殿と内通していたのでしょう。秘密裏に行っていたことを考えれば、一年以上前でしょうか」

 兵糧は劣化するから、バレないよう少しずつ増やしていくにしても更新分も必要になる。結構な手間だ。



 アシュレイ皇子は溜息をつく。

「リャーグ伯爵は長年、父にもよく仕えてくれました。急に裏切るとも思えませんから、もしかすると最初からドニエスク派として潜伏していたのかも知れません」

 考えすぎかもしれないが、ドニエスク公の性格を考えるとありそうな話だ。



「こうなるともう、誰が味方かわからなくなってきます。迂闊に兵を預けられません」

 アシュレイ皇子はどうも、人間不信に陥っているらしい。無理もない。

 あなたの目の前にいるミラルディア人も、味方ではないのですよ。



 俺はアシュレイ皇子に優しく語りかける。

「御安心ください、殿下。もうすぐエレオラ殿下が一万五千の兵を率いて応援に駆けつけられます。残存する兵力を合わせれば四万弱。ドニエスク家と互角です」

 地図を示して、俺は軍事に疎いアシュレイ皇子を丸め込みにかかった。



「ウォーロイ皇子は現在、帝都攻略の前線基地であるクリーチ湖上城に籠城しています」

 広大なクリーチ湖に巨大な人工島を造り、そこをガチガチに固めた難攻不落の堅城だ。

 湖のおかげで水場にも苦労しないし、魚まで釣れるという。ちょっと楽しそうだ。



 しかしここは極寒の地、ロルムンド。水場である以上、弱点はある。

「現在、クリーチ湖は凍結しており、徒歩で攻め込むことができます。ここを陥落させれば、周囲にこれに匹敵する規模の城はありません。北ロルムンド領主たちを動揺させることもできるでしょう」



 万単位の兵を駐留できる城は、なかなかあるものではない。

 クリーチ湖上城は立地も凄いが、規模も凄いらしい。ドニエスク家の土木技術と資金力の凄さがうかがえる。

 そのぶん、近隣の城はどれも平凡だ。籠城できる兵力はせいぜい二~三千で、大軍は城内に駐留できない。

 クリーチ湖上城を落とせるかどうかが、勝負を決めるといってもいいだろう。



 アシュレイ皇子は俺の説明を聞き、それからこう訊ねてくる。

「落とせますか?」

 自信はない。三万もの大軍が駐留できる城だ。俺は大軍を率いて戦う方法を知らないし、ほとんど不可能だろう。

 だが俺の悪い癖で、すぐに安請け合いしてしまう。

「お任せください。策がございます」



 自信はないが、一応の策はある。

 今回も人狼の特技を生かした、地味な作戦だ。

 これで無理だった場合は、泥沼の消耗戦に持ち込んで両軍を疲弊させよう。

 スヴェニキ城を奪還した功績があるから、一回ぐらい失敗しても怒られないはずだ。



 そうこうするうちにエレオラが兵を率いて帝都に到着した。

 エレオラの実家のオリガニア家と、伯父のカストニエフ家。両家が周辺領主たちに呼びかけて集めた、一万五千の兵だ。

「ヴァイト殿、留守番役大儀であった……と言いたいところだが」

 彼女は溜息をつく。



「さっそく城をひとつ奪い返したそうだな。我が軍の出番をあまり奪ってくれるなよ?」

「心配せずとも、本当の戦はこれからだ。クリーチ湖上城を攻め落とし、ドニエスク家を滅ぼす。そのためにも、東ロルムンド勢には期待している」



 俺がそう言ってエレオラ軍への期待を示すと、エレオラは穏やかに微笑んだ。

「気を遣わせてしまって済まないな。あちらで伯父上と共に領主たちを説得し、結束を固めてきた。期待には必ず応えてみせよう」

 彼女の笑みには、自信に裏打ちされた余裕がある。

 よし、未来の女帝様のお手並み拝見といこうか。



 数日後、アシュレイ・エレオラ連合軍はクリーチ湖を包囲した。

 湖に浮かぶ城というからメルヘンなものを想像していたのだが、湖上城を実際に目の当たりにしてみると、琵琶湖に浮かぶ大阪城のような印象を受ける。水上要塞だ。

 周囲には軍船も多数配備されており、難攻不落としか言いようがない。



 幸い、この時期の湖面は凍結しているので徒歩での侵入が可能だ。軍船も凍って動けないので、今は櫓としての機能しかない。

 ただし氷が割れれば鎧を着た兵士など一巻の終わりなので、迂闊に陣は敷けない。

 もちろん建物も作れない。



 仕方ないので湖岸をぐるっと囲む形になるが、湖自体がでかいので途中で兵が足りなくなった。

 要所要所に兵を配置して湖上城と補給路を分断しているが、隙間だらけなのがつらい。



 アシュレイ軍は二万。エレオラ軍は一万七千。

 観光気分できょろきょろしているパーカーが、ふと首を傾げる。

「ねえヴァイト、アシュレイ軍がだいぶ目減りしてないかい?」

「ノーデグラート会戦の敗北と、スヴェニキ城の裏切りでだいぶ減ったからな」



 スヴェニキ城の守備隊はリャーグ伯の配下だったので、諸将による軍法会議で当然のように全員に死刑が言い渡された。

 ロルムンド人は裏切り者に容赦しない。



 しかしアシュレイ皇子が気の毒そうな顔をしていたので、俺が代わりに助命嘆願をしたところ、「じゃあやるよ」とばかりに俺の配下につけられてしまった。

 懲罰部隊なので、どう扱っても構わないという。ひどい話だ。

 そんな訳で、エレオラ軍は二千弱ほど兵が増えている。

 あとアシュレイ皇子からは、また地味に感謝された。



 アシュレイ軍は敗戦の余韻もあって、全体的に士気が低い。補充兵がろくすっぽ集まっていないのも、西ロルムンドの領主たちが出し渋っているせいだ。

 一方のエレオラ軍は、これから武勲を立てまくってやろうと鼻息が荒い。



 ちらりと振り返ると、ぴかぴかの甲冑に身を包んだレコーミャ卿たちが地図をにらんでいる。

「いよいよですな」

「我らがこのまま宮爵で終わるか、それとも領地を得て新たな一歩を踏み出せるか、ここが正念場ですぞ」



 俺は今回、彼ら若手宮爵たちに兵を貸し与えた。それぞれ数十人程度の小部隊だが、これで彼らも立派な指揮官だ。

 俺は彼らを激励すると同時に、念を押しておく。

「諸君の指揮官としての才覚に、エレオラ殿下も注目しておられる。兵を無駄に消耗させることなく、うまく率いてくれ」



 貴族という個人事業主が軍勢を率いるシステムだと、どうしても手柄の奪い合いみたいなことになりやすい。

 その結果、出さなくてもいい被害を出してしまうことがある。

 一応対策はしてあるので、無茶なことは起きないとは思うが……。

 俺は次第に完成しつつある包囲網を眺めながら、ふとそんなことを考える。



 そのとき、遠方の陣地が騒がしくなった。

「何事だ?」

 エレオラが振り返ったので、俺は望遠鏡で確認する。

 大きな荷物を積んだそりが、氷の上を懸命に逃げている。引っ張っているのは人間だった。二十人ほどの小部隊だ。

「敵の輜重隊が包囲網をすり抜けて、湖上城に入ろうとしているようだ」



 エレオラは即座に疑問を差し挟む。

「いかに包囲網が隙間だらけでも、鈍足の輜重隊が突破できたとは思えん。本当に輜重隊なのか?」

「ああ、俺も妙だと思っているところだ。……そりの足が速すぎる。空荷だろう。罠としか思えないな」



 俺はエレオラ軍に伝令を飛ばし、追撃しないよう命じた。

 湖の水を汲み放題、魚もそれなりに採れる城なので、兵糧責めは最初から考えていない。

 それよりも罠に警戒が必要だ。



 しかしアシュレイ軍のほうは俺たちに指揮権がないので、違う判断をした連中がいるようだ。

 望遠鏡を覗いたボルシュ副官がつぶやく。

「聖エテリナ輝陽騎士団の紋章を確認。歩兵およそ六十です」

 ボランティアで参戦している聖職者集団か。



 強くて安くて便利な輝陽教の騎士団だが、彼らが仰ぐのはアシュレイ皇子ではなく輝陽教の最高司祭なので命令なんか聞きやしない。

 とにかく敵をやっつけろ、補給を分断しろ、あとついでに手柄を立てろ。

 そんなところだろう。



 どうなることかと見守っていたら、敵の輜重隊は追撃してくる歩兵を湖の真ん中辺りまで引っ張っていく。

「あー……なるほど」

 俺がつぶやいた瞬間、何の前触れもなく氷が割れた。追撃隊が割れた氷もろとも水没する。



 一度割れた氷は連鎖反応を起こしてさらに広い範囲に割れていき、あっという間に追撃隊の大半を呑み込んだ。

 ラシィが慌てて叫ぶ。

「た、大変です! すぐに救助を!」

 俺は首を横に振る。

「無理だ、もう間に合わない」



 兵たちは重い鎧を着ている上に、湖水は氷点付近にまで下がっている。落水すればたちまち体が冷え切って、意識を失ってしまう。

 今から人狼隊全員で救助に向かっても助けられないだろう。



 そのとき逃げていた敵が急に反転し、クロスボウで追撃隊の残党を攻撃し始めた。

 狙いは正確で、誰も逃げ切ることはできない。脆い氷の上で身動きが取れず、聖エテリナ輝陽騎士団の兵士たちは全滅してしまった。

 彼らが追っていたのは輜重兵なんかじゃない。この手の任務に特化した特殊部隊だ。



 エレオラがつぶやく。

「氷を使った基本的な戦術だな。事前にあの辺りだけ氷を脆くしておいたのだろう。方法はいろいろある」

 輜重隊に偽装した特殊部隊は攻撃を終えると、素早く湖上城へ入っていった。

 エレオラはそれを見送って溜息をつく。

「最初からこの作戦のために兵を潜伏させていたのだろう。おそらく何度か同じ戦術を使うはずだ」



 実際、その翌日も、さらにその翌日も、同じことが違う陣地で繰り返された。

 罠だとわかっていても、目の前を輜重隊が通れば勝手に攻撃してしまう連中が出てくる。結果はもちろん、全滅だ。

 とうとう最後には誰も輜重隊を追撃しなくなった。



 すると今度は、本物の輜重隊らしい部隊がクリーチ湖上城に出入りするようになってしまった。

 慌てて追撃すると、また罠だ。

 まだ一戦もしないうちから、アシュレイ軍は数百人もの兵を失っていた。



 一方、エレオラ軍は一人の損害も出していない。

 それどころか、本物の輜重隊をいくつか捕獲して捕虜にしていた。

 人狼の嗅覚なら、空の箱と食糧の詰まった箱の区別ぐらいは簡単につく。自慢じゃないが、食い物の匂いには敏感だぞ。

 しかしこれは長期戦になりそうだな……。

※明日1月14日(木)は更新定休日です。

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