華と狼
192話
俺は帝室専用馬車の豪華さに少し圧倒されつつ、宮殿へと赴く。
こいつで送迎してくれるというのは、それだけ俺……エレオラ派を重要視しているということなのだろう。
ただ、走る宝物庫みたいな代物だったので逆に落ち着かなかった。
アシュレイ皇子の執務室に案内されると、皇子は俺を見ていつも通りの笑顔を浮かべる。
「お待ちしていました、ヴァイト卿」
一見すると普段通りだが、花の皇子と賞される美形プリンスにもどこか翳りが感じられる。
体調も良くないようだ。
俺のそんな内心に気づいていないのか、アシュレイ皇子は俺にイスを勧める。
「お掛けください。さっそくですが、反乱鎮圧について御相談を」
そう言いかけたアシュレイ皇子の軽くよろめいたので、俺はとっさに彼を支える。
「大丈夫ですか?」
「あ……ああ、これは失礼を。ありがとうございます」
見かけ以上に消耗してるな、これは。
俺は彼をソファに座らせ、楽な姿勢を取るように勧める。それから侍女を呼び、温かい飲み物を持ってくるように伝えた。
「殿下、重度の過労とお見受けいたします。どうか休養を」
「わかってはいるのですが、帝国の一大事に皇太子が休んでいる訳には参りません」
胸元を緩めてソファにもたれかかり、微笑むアシュレイ皇子。
何をしてもいちいち絵になるのは、もしかして顔立ちよりも育ちのせいなのだろうか。
俺はアシュレイ皇子と一緒にハーブティーを飲みながら、今後のことについて相談した。
アシュレイ皇子はこう言う。
「エレオラ殿には、私の同盟者として共に国難に立ち向かって頂きたく思います」
「つまり対等な立場、ということですね?」
ここは重要だ。
するとアシュレイ皇子はうなずいた。
「もちろんです。私はまだ正式に帝位を継いだ訳ではありません。エレオラ殿に命令できる立場ではないのです。しかしこのままでは、私が戴くのは宝冠ではなく麻袋になるでしょう」
処刑の際に死刑囚の頭に被せる麻袋か。
心身ともに弱っているだろうに、よくこんな言葉が当たり前のように出てくるなあ。
ロルムンド人は怖い。
俺も負けないよう、怖い悪役を演じることにしよう。
「御安心ください、殿下。ただちに使者を送り、エレオラ殿下に軍を率いていただきます」
俺は優しい声で語りかけつつ、ちょっと探りを入れる。
「アシュレイ殿下が私の条件を快諾してくださったので、私としてもエレオラ殿下にお話がしやすくなりました。しかし、本当によろしかったのですか?」
するとアシュレイ皇子は小さくうなずく。
「もちろんです。その程度の条件、お断りするはずがありませんよ。三万の兵を手に入れたのと同じことになるのですから」
三万? エレオラ軍は一万五千しかいないけど……。
不思議に思った俺だったが、すぐに意味がわかった。
もしエレオラがドニエスク側につけば、アシュレイ皇子の敵が一万五千も増えてしまう。
逆にエレオラを味方にすればそれを阻止できる上に、味方が一万五千増える。
だから三万の価値がある、ということだ。
さすがにエレオラ軍の重要性をよく理解している。
俺はアシュレイ皇子の判断力に尊敬の念を抱きつつも、同時に内心でほくそ笑む。
兵力をこちらの言い値より高く買ってくれるのなら、こちらとしても文句はない。
せいぜい高く買ってもらうとしよう。
俺はその後もアシュレイ皇子と話し込んだが、内情は割と深刻だった。
もともとアシュレイ派貴族の多くは、アシュレイ皇子が皇太子だから従っているという連中だ。黙っていても帝位を継ぐから、ここにくっついておけば安泰だろうという認識らしい。
先日のノーデグラートの会戦を指揮したトスキン侯爵にしても、油断があったとしか思えない。
一方、イヴァン派貴族は代々ドニエスク家に世話になっていて、強固な結束力がある。極寒の地のそのまた最北端で領地経営をやっているのだから、嫌でも団結力は高まるというものだ。
しかもイヴァン皇子が謀反を起こしてしまったので、もう後には引き返せなくなっている。
動員されている兵力にも、その差がはっきりと現れていた。
俺はハーブティーのお代わりを遠慮なく飲みながら、アシュレイ皇子に微笑む。
「風見鶏ばかりでは、ロルムンドの北風は防げますまい」
「まったくです。しかし私には責任があります。最後まで己の役割を全うするしかありません」
日和見主義者だらけの陣営を率いていく覚悟はあるようだ。
これでもう少し、戦上手だったらな……。
ノーデグラート会戦の様子も部下の報告でしかわからないので、敗戦の原因についても今ひとつ知らない様子だった。
しかも逃げ帰った諸将は叱責を恐れ、都合のいい報告しかしていないようだ。
監査役を派遣しなかったのは失敗だな、アシュレイ皇子。
アシュレイ皇子は苦笑する。
「農学や薬学ばかり学ばず、多少は軍学を修めるべきでした。兵のことはまるでわかりません。幼少の頃に叔父上……ドニエスク公が宮殿の温室を大改修してくださったので、薬草や農作物ばかりいじっていました」
「もしかすると、それすらもドニエスク公の策略だったのでしょうか」
するとアシュレイ皇子はうなずいた。
「そうかもしれません。しかし私は叔父上の意向に沿うことで、比較的平穏な人生を歩んでこられたのです。軍事方面に興味を示さないようにすることは、私の処世術でもありました」
「なるほど」
そのおかげで今、ドニエスク家に太刀打ちできる勢力は存在していない。
あの爺さん、きっとあの世で静かに笑っていることだろう。
だがドニエスク家がミラルディア侵攻を企んでいる以上、それは阻止させてもらうぞ。
「アシュレイ殿下、我々にお任せください。ミラルディアから連れてきた我が兵は一騎当千の猛者です。何よりもミラルディアを味方につけていることこそが、殿下に大義がある証です。態度を決めかねている諸侯も、これで迷いが晴れることでしょう」
「そう言って頂ければ、私も安心できます。反乱鎮圧が終わりましたら、ミラルディアとの交渉でお返しができればと思います」
お返しといっても、ミラルディアに一切干渉しないという譲歩は無理だろうなあ。
とはいえ、ここで盛大に恩を売っておけば、何かとやりやすい。
俺はアシュレイ皇子にミラルディアの実力をアピールする意味も込めて、ちょっと提案してみることにした。
「殿下、敵方に寝返ったスヴェニキ城の件ですが、その後はいかがですか?」
「お聞きになりましたか。それが今、最大の懸念なのです」
スヴェニキ城は南北の街道を守る城のひとつだ。平地に建っている小さな平城だが、いずれ反乱軍が到着して拠点にしてしまうだろう。
「あれだけ帝都に近いと、エレオラ殿の援軍が東ロルムンドから到着するまでに何が起きるかわかりません。早急に奪還したいところですが、誰を向かわせるかで意見が割れています」
みんな火中の栗は拾いたくないし、かといって誰が裏切るかもわからないので、なかなか意見がまとまらないらしい。
それならアシュレイ皇子が決めてしまえばいいのだろうが、彼も軍事的なことはさっぱりわからない。
これは好機だな。俺はニヤリと笑う。
「帝都には今、私の手勢が五十名ほどおります。これでスヴェニキ城を奪還して参りましょう」
アシュレイ皇子が驚いて身を起こす。
「無茶です。……いえ、できるのですか?」
アシュレイ皇子の眼差しは半信半疑、そして興味津々だ。
俺は内心でドキドキしつつも、愉悦を含んだ声で応じる。
「勝算がなければ御提案などいたしません。どうか殿下は、心安らかに吉報をお待ちください」
あ、大事なことを言い忘れていた。
「私の手勢だけでは、城を占領するのに人手が足りません。後詰めの兵をお借りしてもよろしいですかな?」
「もちろんです。近衛師団から必要な兵をお使いください。どのようにお使い頂いても結構です」
さすが皇太子、太っ腹だな。度量の大きさをアピールしてきた。
いちいち細かいことを言わないのもさすがだ。
ではありがたく使わせてもらうとしよう。
「ありがとうございます。最後の仕上げのときに使わせて頂きますので、うまくいけばあまり損害を出さずにお返しできるでしょう」
俺が立ち上がると、アシュレイ皇子は興味を抑えきれない様子で訊ねてくる。
「ヴァイト卿、どのような戦術を?」
俺は振り返り、餌に食いついてきた獲物に微笑む。
「戦においては、主命といえども従えぬ場合もございます。……つまり秘密です」
※明日1月10日(日)は更新定休日です。




