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暖炉の攻防(後編)

180話



 俺はドニエスク公を真正面から見据え、容赦なく切り込む。

「ときに殿下。エレオラ殿下の乳母について、何かご存じではありませんか?」

 もちろん彼はしらばっくれるだろうが、そのときのために追いつめる材料は用意している。



 一番手っ取り早いのは「実はあのときのエレオラの尋問で、乳母は黒幕について自白していた」と嘘をつく方法だな。

 黒幕がわかっている以上、そこにこじつけるための材料探しは簡単だった。方程式を解くのと同じ要領で、あてはまるものを見つけてやればいい。

 準備は十分だ。

 よし、大物狩りの始まりだ。

 ……そう思っていたのだが。



 ドニエスク公は俺を見返し、あっさりとこう答えた。

「あれは失敗だったかもしれんと、今では少し後悔しているのだよ、ヴァイト卿」

 いきなり認めちゃうの?



 俺が面食らった瞬間に、ドニエスク公は逆襲を仕掛けてきた。

「貴殿がなぜ、そのような些事に興味を持つのか不思議だな。ロルムンドではよくある話だよ」

 よくある……まあ、よくある話だろうなあ。

 シュメニフスキー鮮血伯を始末したのは、たぶん俺の目の前にいる穏やかな老人だ。

 ここから先は用心して話を進めないと、俺も何をされるかわかったもんじゃないな。



 俺は薄く笑う。悪役スマイルのバリエーションとして、エレオラの笑みを参考にさせてもらった。

 ここで長引かせると話題を変えられそうなので、手短に切り返しておく。

「よくあることだからこそ、知っておかねばならぬと思いまして。それで、なぜ後悔なさっているのですか?」

 なんでもいいから早く続きを話せ。



 ドニエスク公はイスにもたれかかり、大きく溜息をつく。

「元より、可愛い姪を危険に晒すことなど考えてはおらぬ。あの件でエレオラは他人を信用できなくなり、人脈を築くことを忌避するようになった」

 ああ、なるほど。それが狙いだったのか。

 乳母を暗殺者に仕立てて襲撃させることで、姪を人間不信に陥らせる作戦だったようだ。

 殺す気はなかったと言いたいらしい。

 嘘をついている気配はないが、ドニエスク公はどうも嘘をつくときに感情が全く動かないタイプのようなんだよな……。心の動きが汗や鼓動となって表に表れないのだ。

 ごくごく稀にだが、こういうタイプがいる。



 交渉の相手としては相当手ごわいが、遠慮してたら何も情報が手に入らない。

 俺はぐいぐい押し込んでみることにした。 

「それならば、殿下のお考え通りということではありませんか。何も不都合はないのでは?」

「ああ、それで良いのだ。我が帝室は代々、男系が帝位を継ぐ。皇女は政略結婚をして、嫁いだ先で自分なりの幸せを見つければ良い」

 ちょっと異論を挟みたい気もするが、それがロルムンド帝室の結婚観なのだろう。おとなしく黙っておく。



 彼は机上の駒を再び手に取ると、しみじみとつぶやいた。

「しかしエレオラは限られた人脈と兵力だけで、ミラルディアを支配下に収めることに成功した。こうなるとわかっているのであれば……」

「もっと確実に芽を摘んでおくべきであった、と?」

 俺が意地悪な質問をしたら、ドニエスク公は首を横に振る。

「逆だよ。下手な小細工などせず、ドニエスク側に取り込むべきであった。惜しい人材を逃してしまったものだ」



 どうやらこの人、やったことへの罪悪感は全くないらしい。

 温厚そうに見えるが、やっぱり腹黒いな。

 エレオラのために俺は一矢報いてやりたくなって、彼にわざとこう訊ねる。

「エレオラ殿下と和解するのなら、今からでも遅くないのではありませんか? 私でよければお役に立てるかもしれませんよ?」

 自分で言ってて無理だよなと思う。



 案の定、ドニエスク公は苦笑して首を横に振った。

「浅はかな老人に、あまり意地悪をせんでくれんかね。もう手遅れだ。だが、あのときはそれが最善だと信じてやったのだ。悔いても仕方のないことだな」

 ドニエスク公は立ち上がる。

「それよりもヴァイト卿、貴殿がエレオラにそこまで肩入れする理由は何かね?」

「もちろん、ミラルディアの国益のためにございます」



 俺の答えに、ドニエスク公は無言で俺を見つめる。

 嘘はついてないぞ。

 外交官とは愛国心あふれる詐欺師のことだと、前世で誰かが言っていた。

 今の俺はまさにそれだから、正々堂々と悪役をやっている。

 だから俺は微笑みを浮かべて、ドニエスク公の視線を受け止めることができた。



 重い沈黙の後、ドニエスク公はうなずいた。

「私もミラルディアの繁栄を願っているよ」

 嘘つけ。

 俺は心の中で肩をすくめてみせながら、表向きはうやうやしく頭を下げる。

「温かいお言葉、ミラルディアの民を代表して感謝いたします」

「ドニエスクの門は、いつでも貴殿のために開いている。いずれまた、歯車が噛み合うときが来ることを祈ろう」

 そう言ってもらえるのは嬉しいけど、ドニエスク派じゃ傀儡になりそうにもないんだよな。



 そろそろ時間だ。表向きはただの挨拶だしな。

 パーティ会場のほうも気になり始めたので、俺は退出することにした。

「本日はお招きいただき、誠にありがとうございます。宴を楽しんで参ります」

「そうしてもらえれば、私も嬉しい」

「では」



 俺はドニエスク公に背を向けて退出しかけたが、去り際にもうちょっとだけ意地悪を追加しておくことにした。

「ところで殿下」

「何かね?」

「皇帝陛下の弟君であらせられるのですから、護衛にはもっと良い人材を選ばれてはいかがでしょう?」

「どういうことかな?」

 俺は護衛が隠れている戸棚に触れ、コンコンとノックしてみせる。



「及第点をあげられるとしたら、せいぜいこの者ぐらいなものです。後の七名は全員、目の前で棒立ちになっているも同然ですよ」

 ドニエスク公は無言だ。

 しばらく彼は眉間にしわを寄せていたが、そして苦笑を浮かべる。

「彼らの名誉のために言っておくが、皆恐るべき達人たちだよ。もっとも貴殿が私を守ってくれるのなら、その問題も解決するのだがね」



 悪い冗談だ。

 先王様や師匠の圧倒的な強さに比べたら、俺なんか下っ端もいいところだからな。

「ははは、私程度では役に立ちますまい。ミラルディアには……いえ世の中には、想像を絶する強者がいくらでもおりますので」

 俺は軽くかわすと、暖炉に目をやった。

 ついでなので、あれも指摘しておくか。

 非礼のバーゲンセールだ。



「あの暖炉も大変温まりましたが、床は『寒波』が来る前に一度点検なさったほうがよろしいかもしれませんな」

「……そうかね」

 俺はドニエスク公の温厚な表情が一瞬、微かに動揺したのを感じ取った。彼が本心から動揺したところを見たのは、今のが初めてだ。

 あの床を踏んだときに微かに空洞のような反響を感じたから、おおかた落とし穴なんだろう。

 だが二ミリも沈み込むような雑な仕掛けは許せん。

 ……いや、別にどっちでもいいな。

 よく考えたら、あれぐらい雑なままのほうがありがたい。



 エレオラへの仕打ちが気に入らなかったのでちょっと意地悪しすぎたが、ドニエスク公の面子をこれ以上潰すのは良くないな。

 俺はドニエスク公に一礼すると、部屋を退出することにした。

「では私は宴席に戻らせていただきます」

「ああ、わざわざ済まなかった。ゆっくりしていきなさい」

 あまり収穫はなかったが、俺の交渉力じゃこれぐらいが限界だろうな。

 今日は挨拶だけにしておいて、本格的な情報収集はカストニエフ卿やレコーミャ卿に手伝ってもらおう。

 さてと、それではパーティ会場に戻って肉を食いなおすことにしようか。

※明日12月24日(木)は定休日です。

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