暖炉のぬくもり
177話
カストニエフ卿が帝位簒奪の共犯になってくれるようなので、東ロルムンド領主たちの取りまとめを頼んでおく。
温厚そうな印象とは裏腹に野心家のようだから、やはりロルムンド人は怖い。
考えてみたら彼は姪と一族のために、あっさり皇帝や皇太子を裏切っている。
エレオラが警戒する訳だ。
彼が裏切ったら俺たちは破滅なので、人狼隊から諜報が得意な連中をこっそりつけておくことにする。
たぶん大丈夫だろうけどな。
さて、こうなると気になるのはドニエスク家だな。
現皇帝の弟であるドニエスク公は、北ロルムンドの支配者だ。広大な領地を持ち、周辺領主たちも全員が彼に従っている。
噂によると、清濁併せ呑むタイプの親分肌だという。
当然、ドス黒い陰謀にもたくさん手を染めているはずだ。
そんな話を、俺はマオやカイトを交えたミラルディア勢で行っていた。
「大将、どうする? ドニエスクをやっちまうのか?」
人狼隊のジェリクがエレオラ邸の暖炉を勝手に修理しながら、嬉しそうに振り返った。
俺は首を横に振る。
「暗殺するだけならたぶん可能だろうが、北ロルムンドの情勢が不安定になる。エレオラを帝位につけるまではゴタゴタは最小限にしたい」
「そういうもんか。カイト、これで水平になってるか?」
「あと三……いや、二ミオロ半ほど右を下げてくれ」
暖炉の鉄柵に探知魔法をかけながら、カイトがつぶやく。
すっかりなじんでるな。
カイトは煤で汚れた手を、ラシィが差し出した布で拭く。
それから少し考え込むような口調で言った。
「今のところアシュレイ皇子は中立とみていいでしょうから、やっぱりドニエスク公が最大のライバルですよね。調査したほうが良さそうです」
「ああ、それは同感だ。……ただ、どうしようかな」
俺はラシィが差し出した布で窓ガラスを拭きながら、ふと考え込んだ。
「おい待て、なんで俺まで掃除してるんだ」
するとパーカーが隣の窓を拭きながら、懐かしむように笑った。
「弟子時代の習性が、すっかり身についてるねえ。はっはっは」
「あんたもやってんじゃねえよ」
ダメだ、誰かが働いてるとみんなで作業してしまう。
人狼の、そしてゴモヴィロア門下生の悲しい習性だ。
ついでなので全員で床磨きもして、俺たちは使用人たちの運んできた紅茶を飲む。みんなびっくりしていたが、ミラルディア人の勤勉さをアピールできたということにしておこう。
「ドニエスク公に関しては、公になっている情報はたくさんあるんだよな」
彼は皇帝の補佐役として長年実権を握ってきた人物なので、実績にも名声にも事欠かない。
ラシィがレコーミャ卿からの手紙を読みながらつぶやく。
「表向きは立派な人物なんですよね。治水事業を成功させたりしてますし」
ロルムンドでは北壁山脈から北に流れる雪解け水が、春先に大水害を起こすことがある。
これを解決したのがドニエスク公だ。
だが同時に、どす黒い噂も絶えない。
バケツの水を捨ててきたモンザが、小さく肩をすくめてみせた。
「なんとか伯爵も、そのおっさんに殺されちゃったんでしょ?」
「ああ。表向きは決闘の負傷で静養中だが、とっくに暗殺されてるという噂だ。シュメニフスキー伯爵は俺を人狼扱いして大騒ぎしたから、面倒を嫌ったドニエスク公に処分されたんだ」
するとパーカーが「おや?」という顔をした。
「君、あの伯爵の名前を覚えてたのかい?」
「彼が殺されたという話を聞いたから、覚えてやることにしたんだよ」
「死んだ人間の名前をわざわざ覚えるなんて、死霊術師でもないのに珍しいね。先生の影響かな?」
鮮血伯ことシュメニフスキー卿は、こんな末路がお似合いのゲス野郎だ。傲慢で横暴で、しかも奴隷を殺しまくったからな。
だがそれはそれとして、死んだらみんな仏様だ。
名前ぐらいは覚えておいてやろう。
それだけだ。
この価値観を説明するのは面倒なので、俺は曖昧に笑う。
パーカーはなおも不思議そうに俺の顔を見ていたが、やがてあきらめたように笑った。
「君は謎めいた男だね。弟のことをもっと知りたいと思う僕に、もう少し心を開いてくれてもいいと思うんだけどな」
「弟じゃない、弟弟子だ」
そのときエレオラがドアを開けて入ってきたので、俺は彼女に声をかける。
「カストニエフ卿との話は終わったのか?」
「ああ、もう済んだ」
そっけない返事だ。
しかし目元が微かに潤んでいる。
詳しい経緯はわからないが、どうやら仲直りできたようだな。
そのときエレオラがふと、暖炉を見た。
「この部屋、少し寒くはないか?」
そして異変に気づく。
「……鉄柵がミラルディア南部風になっているようだが」
デザインまでは見ていなかったが、ジェリクのヤツが当たり前のようにミラルディア南部風に仕上げている。
ロルムンドとは様式がだいぶ異なるため、違和感が凄い。
この感覚は説明しづらいが、ショートケーキの上にナルトを載せたぐらいの違和感だ。
全体としては意外に悪くないのだが、初めて見た人は驚くだろう。
ジェリクがそのことに気づいた様子で、苦笑いを浮かべた。
「おっと、うっかりしてたぜ。前のヤツに戻すから、ちょっと待っててくれ」
だがエレオラは笑顔を浮かべ、首を横に振る。
「わざわざ換えてくれたのだ。このままでいい。それにミラルディアで戦った記念になる。嬉しいよ、ありがとう」
おや?
なんだかずいぶん、表情が柔らかいな。
みんなも同じことを思ったようで、互いに顔を見合わせる。
それからファーンお姉ちゃんが、少し悪戯っぽい口調で訊ねた。
「へえ、そういう笑い方もできるのね」
エレオラは不思議そうな顔をして、自分の頬を撫でた。
「そんなに変か?」
「ううん、変じゃない。むしろそっちのほうがいいと思うよ、うん」
ファーンお姉ちゃんの言う通りだな。
どうやら少しずつ、エレオラの凍っていた時間が融けてきたようだ。
だが気をつけないといけない。
もしまた信じた相手から裏切られてしまったら、彼女の心は今度こそ完全に凍りつき、二度と誰も信用できなくなるだろう。
そんな人間が帝位についたら、待っているのはおそらく粛清の嵐だ。
ロルムンドがどうなろうがミラルディア的には知ったこっちゃないんだが、あんまり後味が悪い結末は避けたいところだ。
隣国の混乱が激し過ぎると、先の展開が読めなくなるしな。
俺がそんなことを考えていると、エレオラが俺に一通の手紙を差し出した。
「先ほど、ドニエスク家からの使者がパーティの招待状をよこしてきた。私と貴殿に一通ずつだ」
「ドニエスク家が?」
野心家の王弟ファミリーが何の用だ?
エレオラは薄く笑った。
「表向きは、南征の慰労とミラルディア外交団の歓迎ということになっている。招待状はレコーミャ卿をはじめとするエレオラ派貴族たちにも届いているそうだ。おおよその察しはつく」
「なるほど、俺たちの派閥を潰しに来たかな?」
「そうとも限らないだろうが、何か意図があっての誘いというのは間違いなさそうだ」
面白い。
エレオラは俺の顔を見て、こんなことを言う。
「動じないのだな、貴殿は」
「そうでもないぞ。レコーミャ卿たちにつける護衛のことを考えているぐらいだ。俺個人はともかく、エレオラ派貴族まで守るとなると一苦労だからな」
俺の言葉にエレオラは思案顔になった。
「さすがに暗殺まではしてこないと思うが、用心に越したことはないな。父方の伯父上とは違い、恫喝の類なら挨拶代わりに使うのが母方の伯父上だ」
ますます面白い。
恫喝なら俺も大好きだからな。
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