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野心家たち

176話



 翌日、カストニエフ卿が馬車でやってきた。

 カストニエフ卿はもう初老といってもいい年齢で、長旅に疲れている様子だったが、エレオラの顔を見るとパッと表情が明るくなる。

「エレオラ殿下、お変わりなさそうで何よりです!」

「カストニエフ卿、先日お会いしたばかりではありませんか」

 どこからどうみても、心配性の伯父と無鉄砲な姪だ。



「殿下、帝都にはいつまで滞在されるのですか?」

「それはあの決闘好きに聞いていただけませんか。あの者は帝都を遊び場と勘違いしているとしか思えません」

 こいつ、カストニエフ卿の前では俺より立場が上だから言いたい放題だな。

 背後でナタリアと人狼たちがクスクス笑っているのが聞こえる。



 カストニエフ家も帝都には別邸があるのだが、今日はエレオラ邸に泊まっていくという。

「いいのですか、カストニエフ卿。この時期は領地で収穫祭があるのでは?」

 身分制度が厳格なロルムンドでも、収穫祭は多少の自由が許されている。郷士たちの声を聞いたり、領民に気前のいいところをみせたりと、領主にとっては重要なシーズンだ。



 だがカストニエフ卿は苦笑して首を横に振った。

「去年から息子たちに全て任せております。来年あたりには家督を譲ろうと思っておりますので」

「そうでしたか。……去年の今頃は、私も南征任務で多忙でしたから」

 エレオラは懐かしむようにつぶやき、カストニエフ卿を案内して歩き始めた。

「夕食の準備ができるまで、しばしおくつろぎください」



 夕食後、俺は客間でくつろいでいるカストニエフ卿を訪ねた。

「お疲れのところを申し訳ありません。カストニエフ卿とゆっくりお話をしたく思いまして」

 部屋着姿のカストニエフ卿は、まるで俺を待っていたかのようにうなずいた。

「そろそろお越しの頃合いだと思っておりました。どうぞ」



 カストニエフ卿は自分が連れてきた側近たちを別室に下がらせ、俺と二人だけになる。

「エレオラ殿下について、ですかな?」

 どうも察しの良い人のようだ。

「……ええ。その件について少々込み入った話が」

 さて、どう切り出そうか。



 俺はカストニエフ卿の顔に刻まれたしわを見つめながら、覚悟を決めることにした。

 しかしそれより先に、カストニエフ卿が口を開く。

「ヴァイト卿、あなたは何者ですか?」

 どういう意味だ?



 俺は内心の動揺を押し隠しながら、ひとまず素知らぬ顔をしてみせる。

「さて、どのようにお答えすれば良いのでしょうね」

 カストニエフ卿は俺の顔をじっと見て、それから溜息をついた。

「これはカストニエフ家の当主ではなく、エレオラ殿下の伯父として伺いたいのです。姪がミラルディア征服などできるはずがありません」

 お、鋭いな。



 カストニエフ卿は額に手を当てる。仕草がエレオラそっくりだ。

「あの子は父親似で、やたらと理屈っぽいのです。同胞のロルムンド人でさえうまく手懐けられないのに、文化の異なるミラルディア人たちを従えられるとは思えません」

 おっしゃるとおりです。



 それからカストニエフ卿は俺を見て、懇願するような口調で訊ねてきた。

「遠征に失敗しただけならわかりますが、帰還したあの子は以前よりも人懐こく穏やかになっていました。まるで憑き物が落ちたようです」

 待って、あのそっけない態度で人懐こいの?

 前はどんな態度だったのか、こっちが気になってきたぞ。



 カストニエフ卿はこう続ける。

「ヴァイト卿、貴殿の存在が全ての鍵だと思っております。今の私は子育ても終わって隠居目前の身。弟の遺児であるエレオラのことだけが気がかりなのです。どうかこの年寄りを安堵させてくれませんか?」

 そう頼まれると、俺も困ってしまうな……。



 カストニエフ卿からは不穏な気配は全く感じられない。

 交易商のマオなどを使って彼のことをあれこれ調べていたが、ドニエスク家と不仲であること以外は何も情報が得られなかった。

 よし、ここは少し冒険してみよう。



 俺は背筋を伸ばし、カストニエフ卿の顔をまっすぐに見つめた。

「今から私がお話しすることを聞けば、もう後戻りはできません。それでもよろしいか?」

「もちろんです。カストニエフの名を持つ者に臆病者はおりません」

 積み重ねた年月を感じさせる鋭い眼光に、まだまだ若輩の俺は気圧されそうになる。



 俺は覚悟を決めつつ、彼に秘密を打ち明けた。

「御明察の通り、エレオラ殿下はミラルディア攻略に失敗しています」

「やはり……」

 テストで悪い点を取った子の親みたいな顔をして、やや情けなさそうな顔をするカストニエフ卿。

 俺は国家の一大事を打ち明けているのだが、そんなリアクションされると和んでしまう。



「ミラルディア北部同盟を統治する元老院を攻め滅ぼすところまでは順調でしたが、南部攻略に手間取っている間に北部太守たちに離反されたのです」

 仕掛けたのは俺たちだが、そこは重要じゃないので省略しておこう。

「結局、殿下はミラルディア南部連邦に降伏なさいました。そしてミラルディアの傀儡となっています。いずれは帝位を簒奪し、ミラルディアに領土的野心を持たない王朝を作っていただくことで合意しています」



「なるほど」

 姪が操り人形になっていることや、俺たちが帝位簒奪を狙っていることについては、割とあっさり流すカストニエフ卿。

 この人の反応、俺の予想と全然違うから面白いな。

「御不快ではないのですか?」

「極めて論理的で、納得のいく説明でしたから。驚愕よりも安堵のほうが圧倒的に強いのです」

 もしかして伯父さん、姪の実力をあまり高く見積もっていなかったのかな。



 ロルムンドの存亡に関わる秘密を聞いたというのに、カストニエフ卿はやれやれといった表情で背もたれに身を預ける。

「ようやく得心できました。それでヴァイト卿、貴殿がミラルディア側の黒幕ということですな?」

「いえ、私は陰謀の手先、ただの副官ですよ」

「ははは、ではそういうことにしておきましょう」

 本当だってば。



 カストニエフ卿は晴れ晴れとした顔つきで、グラスにワインを注いだ。ロルムンド人は酒に強いから、ソフトドリンク代わりだ。

「そうとわかれば、かわいい姪のために私がしてやれることはただひとつ。陰謀に荷担することです」

「そんなにあっさり決めてしまわれて良いのですか?」

 バレたら一族皆殺し確定だよ?



 するとカストニエフ卿は苦笑してみせた。

「実弟を皇女と結婚させるほどの野心家ですよ、私は。帝位簒奪はさすがに私の手に余る野心ですが、それでも勝算が十分にあるのなら躊躇いはしません。人生最後の一勝負としては悪くない」

「失敗すれば貴殿だけでなく、御子息たちも無事では済まされませんぞ」

「わかっております」



 カストニエフ卿は穏やかな表情で、ワインをぐっと飲み干す。

「考えてもみてください。この大胆な陰謀を知った私に、他にどんな選択肢がありますか? 陛下に密告したところで、連座で処罰されるほどの企てです。その前に生きてこの屋敷から出られますまい」

 それもそうだな。

 俺も断られたら帰すつもりはなかった。



「そして何より、実の姪を売った卑劣漢にはなりたくないのです。カストニエフ家は代々、勇猛で熾烈な戦いぶりで武勲と信頼を積み重ねてきました。ここで臆病風に吹かれてしまっては、息子たちに示しがつきません」

 エレオラの伯父さんだけのことはあるな。

 嘘をついている様子はないし、これなら味方にできそうだ。



 だがひとつだけ、聞いておきたいことがある。

「それを聞いて安心しました。ありがとうございます。ところでカストニエフ卿、エレオラ殿下の悩みを解決してくださいませんか?」

「悩み、ですか」

 俺は彼に、エレオラの乳母が裏切った話をした。



 俺が思うに、エレオラが心からの仲間を作るのが苦手になったのは、乳母の裏切りが大きい。

 実の母以上の存在が私欲で命を狙ってきたとなれば、もう何も信用できなくなるだろう。



 するとカストニエフ卿は苦悩の表情を浮かべる。

「あの子はやはり、その件を未だに気にしているのですな……。誤解を解きたいのですが、ずっと避けられているのです」

 そして彼は「こうお話しても、信じてもらえるかわかりませんが」と前置きして、こう語った。



 エレオラ暗殺未遂事件の後、カストニエフ卿は事件の真相を秘密裏に調べていた。

 それによると、エレオラの乳母はカストニエフ家を監視するために送り込まれたドニエスク派の密偵だったらしい。

「私は当時、東ロルムンドの新興貴族筆頭として警戒されていました。あなたほどではありませんが、無茶ばかりしていましたしね」



 有能な使用人であった彼女を、カストニエフ卿は高く評価していた。

 そして何も知らずにオリガニア家に乳母として手伝いにやった結果、悲劇が起きてしまったという。

「ドニエスク公が何を考えていたかはわかりませんし、こちらからおいそれと調べられるような相手でもありません。ただ、私の愚かさがエレオラの心を深く傷つけてしまったことは確かです」



 それ以来、二人の仲はぎくしゃくとしたままだったらしい。

「私が詫びたところで、あの子は信じてくれないでしょう。伯父がよこした乳母が刺客になったのですから、もう何を信じていいかわからなくなってしまったはずです」

 気の毒な話だ。

 俺は人狼で良かった。

 人狼は群れの仲間なら、血縁でなくても命がけで守る。



 しかしカストニエフ卿はふと、表情をほころばせた。

「それが驚きましたよ。南征から戻ってきたあの子が、すっかり穏やかになっていたのですからね。……そう考えると、あの子がミラルディアで辛酸を舐めたことは良かったのかも知れません」

 何度でも言いたいが、以前はどれぐらいぎくしゃくしていたのか本気で知りたい。



 カストニエフ卿はどうやら味方になってくれそうだが、こうなるとドニエスク公が気になるな。

 少し探りを入れてみたほうが良さそうだ。


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