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「ウォーロイ皇子の棋譜」

173話(ウォーロイ皇子の棋譜)



 エレオラ邸の応接間で、俺は従妹のエレオラと久しぶりに旧交を温めていた。

 とはいえ、お互いに身辺には警戒せねばならない身だ。

 幸い、俺の護衛の中には剣聖と名高いバルナークもいる。



 あちらの護衛は第二〇九魔撃大隊と……ミラルディア人の女たちか。

 健康的で力強そうな若い女と、何を考えているのかよくわからない細身の女。あの立ち方、おそらく二人とも格闘技の使い手だな。

 おっと、側近のナターリア四等士官もいる。相変わらず凄い顔で俺を睨んでくるな……。

 全員の険しい視線が俺に突き刺さっているのは少々痛いが、見た目は華やかでいい。

 美女は国の宝だ。



 俺は謀棋の盤面から視線をそらし、窓の外の景色を見た。

 庭園では例のミラルディアから来た男が、貴族の若い娘たちに囲まれている。

 歴戦の戦上手も、ああなると形無しだな。

 それにしてもあいつ、あれだけの美人に囲まれて嬉しそうな顔ひとつしないのはなぜだ?

 まさか男色家じゃあるまいな……。



 俺は視線を盤面に戻し、エレオラの指した一手にどう対応するか考える。

「ここまでは順調だな、エレオラ」

「そうだな、従兄殿」

 相変わらず可愛げのない従妹だ。

 四歳ぐらいまでは天使のようだったのにな……もっともこいつがひねくれてしまったのには、ドニエスクの者にも一因はある。



 俺はエレオラの「槍兵」を、「弓兵」で処理する。これで「騎兵」の通り道が開いた。

 一見すれば、俺のほうが優勢だ。

「ウォーロイ殿のほうが軍事面では上だな」

「ああ。だがお前、裏で何か企んでいるだろう?」



 エレオラの残っている駒をみると、文官型が綺麗に温存されている。いつの間にか、どれもいい位置に移動していた。

 エレオラは微笑みながら、文官型でも動きの速い「密使」の駒を前線に出してくる。

「何も企んでなどいないよ。私は私の仕事をするだけだ」

「……チッ、そうはいかんぞ」

 エレオラに取られた「騎兵」を、裏切りに備えて配置していた「槍兵」で処理する。

 一手無駄にした上、駒をひとつ失った。

 味方の裏切りほど怖いものはない。

 それを教えてくれる良い遊技だ。



 俺とエレオラは盤面で攻防を繰り広げながら、のんびりと雑談をする。

「ミラルディアは良い土地だそうだな?」

「ああ、従兄殿も気に入るだろう。ただ、人々の暮らし方や価値観はずいぶん違う」

「そんなもの、どうにかする方法はいくらでもあるだろう。武力でも戒律でも人間を変えることはできる」

 俺も自分の「密使」の駒を進めたが、エレオラはうまくかわす。



 エレオラは文官型で制圧力の高い「司祭」の駒で俺の駒たちを牽制しながら、こうつぶやいた。

「私は最初から南征には反対だった。貴殿は違ったようだが」

 面白いことに、陛下の南征計画に賛成していたのは俺と兄貴だけだ。

 うちの親父やエレオラ、それにアシュレイは反対していた。



「いずれ土地が不足するからな。だがお前は反対していたくせに、任せられれば成し遂げてしまう。いつだってそうだ」

「人は皆、与えられた役割から逃れられない。『密使』は『帝王』にはなれない。……そう、思っていた」

「今は違うのか?」

「さあ、私にもわからないな」

 すっとぼけながら、エレオラは「密使」の駒で俺の「氷虎」を寝返らせた。

 冬の寒さや、それを利用した悪どい戦術などを象徴する大駒だ。伝説上の魔物の名でもある。



「前から疑問だったんだが、ロルムンドの恐ろしい冬を、どうやって寝返らせているんだろうな」

「諜報や偵察を使って敵の戦術を逆利用する、というのを示しているのではないか? さあウォーロイ殿、そのままだと詰むぞ?」

「わかっている」

 あー……いかん、これは防戦一方になるな……おい待てよ、これ七手先で詰むんじゃないか?



 エレオラは穏やかな表情で窓の外を眺めている。

 俺を見るときとはずいぶん違うな。

 窓の外では例のヴァイト卿がベンチに腰掛け、部下たちに囲まれているところだった。



「『氷虎』の駒がお気に入りのようだな、エレオラ」

「駒ではない」

「駒さ。『帝王』ですら、役割を与えられた駒にすぎんぞ」

 俺は「帝王」の駒を待避させながら笑う。

 人は皆、自分の役割からは逃れられない。エレオラの言う通りだ。



「だがお前が気に入るのもわかる。あれは面白い」

「わかるか、従兄殿?」

「そりゃわかるさ。俺が何者か知った上で、あれだけ平然としていたヤツは初めてだからな。帝室に対する畏れがない。どこか超越したようなものを感じる。面白いヤツだ」



 エレオラは文官の駒たちを巧みに動かし、俺の「帝王」を盤の端に追いつめた。大半の文官は足が遅いが、小回りが利くからな。小賢しい連中だ。

 一方こちらの武官たちは、遙か彼方を睨んでいて「帝王」の守りが留守だ。むしろこいつらが邪魔で動けない。



 俺は一通り考えた末に、ここは退くことにした。

「俺の負けだ。強くなったな、エレオラ。大した謀略家だ」

「従兄殿に褒めていただけるのは嬉しいが、盤上では予測不可能なことは起こらない。見えているものが全てなのだからな。実際には見えないものが多すぎる」

「確かに」

 南征前と比べると、エレオラの雰囲気がだいぶ変わったな。

 どうやらこいつ、ミラルディアで相当苦労してきたらしい。



「たまにはドニエスク家に遊びに来てくれよ。皇子自らの招待で、皇女を暗殺したりはせんぞ?」

「わかってはいるが、どうにも居心地が悪いのだよ。ウォーロイ殿のように剛胆にはなれないな」

「褒めてくれてるのか?」

「私は従兄殿のそういうところは、素直に尊敬している」

 ……他のところは尊敬してくれてないのか?

 小さい頃は、あんなに慕ってくれていたというのにな。



「俺は親父殿の命で、しばらく帝都に留まることになった。お前はどうする?」

「明日、東ロルムンドに帰る。越冬の準備をしなければならないからな。それに」

「それに?」

 エレオラは少し口ごもり、ほんの少しだけ頬を赤らめた。

「……父方の伯父、つまり例のカストニエフ卿が早く帰ってこいとうるさいのだ」

「ぶはははは!」

「笑わないでくれ」



 俺はエレオラに別れを告げて廊下に出ると、背後に付き従うバルナークに訊ねた。

「ミラルディアから来たあの男、お前はどう思った?」

「私は一介の剣士に過ぎません。人物眼は……」

「構わん。お前が感じたことを教えてくれ」



 するとバルナークはこう答える。

「目の良い御仁ですな」

「目?」

「何でもありの実戦において、相手の初動を見極める目は重要です。ヴァイト卿ほどの目を持つ者は、万人に一人もおりますまい」

「そんなにか」



 俺はバルナークの答えに思わず笑う。

「だがお前も、神眼とまで呼ばれた目を持つ男だろう?」

「さて、それもいつまで維持できますか……歳を取ると、まず足が鈍ります。次に目が鈍ります。最後に手が鈍り、剣士としては一線を退くことになります」

 バルナークはそう言って、小さく溜息をついた。



「最近、踏み込みがほんのわずかに遅れるようになりました。そろそろ私も剣士としては下り坂でしょう」

「寂しいことを言ってくれるなよ。お前は俺の剣術教官でもあるのだぞ。いつまでも最強の師であり続けてくれ」

「もったいないお言葉、ありがとうございます。若君」

 強い力を持ち、なおかつ信頼できる人間というのは貴重だ。

 裏切らない護衛として、また秘密を守れる刺客として、これほどの男はそうはいない。



 バルナークはこうも言った。

「それともうひとつ。ヴァイト卿の胆力は少々人間離れしておりました。命を懸けた決闘の最中でも、まるで暖炉の前でくつろいでいるかのような落ち着きぶり、あれは尋常ではありません」

「ああ、確かにあいつは肝が据わっていたな。自分の命がまるで他人事のようだ。どういう人生を歩めば、あんなふうになるんだろうな?」

「わかりませんな。少なくとも私よりは遥かに波乱万丈の人生を歩んでおられるのでしょう」

「陛下のお気に入りを決闘で殺し、危うく追放されかけたお前よりも波乱万丈な人生か」

 ちょっと想像がつかんな。



 なかなかに興味深い人材だが、エレオラが手放さない以上は脅威だ。ドニエスク家にとっては危険な存在だな。

 とはいえ、ミラルディアの外交官を暗殺してもロルムンドの国益を損ねるだけだ。

「浅慮の謀略は破滅の火種」と、親父から小言のように言われているからな。

 がんばって遠大な計画を練るとしよう。



 もしあの男をドニエスク家の配下にできれば、俺たちは「南の豊かな土地」という手札が使えるようになる。

 どこでもいいから領主になりたい宮爵たちや、北限での領地経営に疲れた領爵たちがこぞって群がってくるだろう。

 あいつらは利益に預かれれば何でもいいのだ。



 それにあのヴァイトという男、なかなかに有能そうだ。物腰は穏やかだが、武勇も度胸もある。

 いずれ必ず俺の直臣にしてやるぞ。

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