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ヴァイト決闘卿

171話



 鮮血伯の介添え人を務めた男は、俺の前で立ち止まると軽く会釈した。

「先日、シュメニフスキー伯の介添え人を務めさせていただいた、宮士爵のバルナークと申します」

 自然な立ち振る舞いだが、その何気ない所作のひとつひとつに隙がない。

 かなりの使い手のようだ。



「……またお会いしましたな、バルナーク卿。改めて御挨拶いたします、ヴァイト客爵です」

 俺が彼に席を勧めると、彼はイスに座った。

「伯爵の件はお聞きになりましたか?」

 バルナークがそう聞いてきたので、俺はうなずく。

「ドニエスク家の山荘で静養されているそうですね。見舞いに行きたいのだが、少し難しそうです」



 するとバルナークはほんの少しだけ微笑む。

「確かに。ところで本日は決闘を申し込みに参上しました。表向きは私個人の意志ですが、ここに来るよう命じたのはドニエスク公です」

「事実上の代理決闘ということですか」

 ロルムンドの決闘では、代理人を立てることもできる。それで勝ってもあまり意味はないので、実際にやる者はあまりいないそうだ。



 するとバルナークは俺の表情を読みとったのか、こう説明した。

「ドニエスク公は帝位継承権を持っておいでです。立場上、決闘はできません。こうするしかないのですよ」

 それもそうか。

「決闘の名目は何ですか、バルナーク卿?」

「もちろん、シュメニフスキー伯の名誉回復のためです。彼のために戦う者が、一人ぐらいはいてもいいでしょう」

 口調と汗の匂いから、彼が義務感だけで戦っているのがわかった。



 俺は立ち上がる。

「わかりました。いつになさいますか?」

「それは決闘を受けるヴァイト卿、あなたがお決めになることです」

「では今これからにしましょう」

 どうも彼も気乗りしない様子だし、俺もさっさと終わらせてしまいたい。



 俺とバルナーク卿は剣を選ぶ。

 俺が用意したのはロルムンド軍の一般的な刀剣一式。俺は徒手格闘の感覚に最も近い短剣を使う。敵兵にとどめを刺すための、かなり物騒なヤツだ。

 一方、バルナーク卿は戦場用のサーベルを手にした。

 貴族が普段使っている華奢なものとは違う。突けば鎖帷子を貫くほど丈夫で、斬れば骨まで切断できる重さがある。



 刀身を見たバルナーク卿が、感心したように笑う。

「良い剣をお持ちですな」

「エレオラ殿下が直々に選ばれたものばかりですよ」

 あのお姫様、道具の選別と手入れにはかなりこだわるタイプだ。「肝心なときに壊れる武器は敵より始末が悪い」というのが、彼女の口癖である。

 俺もそう思う。



 俺とバルナーク卿は剣を構えた。

 俺は短剣を左手に持ち、逆手に構える。右足を前にして、右手も前に。



 それを見たバルナーク卿が、ぽつりとつぶやく。

「右手で引き寄せて、短剣でとどめを刺されるおつもりですな?」

 見抜かれている。

 実戦ならタックルや蹴りも使えるのだが、さすがに剣の決闘でそれは印象が悪い。

 手しか使えないとなれば、どうしても戦法は限られてくる。



 俺は構えを変えず、にっこり笑った。

「さて、どうでしょう?」

 バルナーク卿は真顔で俺を見つめていたが、やがて無言で剣を構え直した。

 刺突ではなく、上段から切り込む構えだ。



 立会人が決闘の開始を宣言すると同時に、バルナーク卿が何の前触れもなく踏み込んでくる。予備動作が何もなかった。

 人狼の動体視力で捉えることに成功したが、前世の俺だったら全く見えなかっただろう。



 肩口を狙う軌道を見切った俺は即座にかわそうとしたが、その軌道が突然変化して襲いかかってくる。

「くっ!?」

 首を狙った太刀筋を紙一重で避けると、シャツの襟が切れる音がした。

 反撃してやる。



 と思ったら、バルナーク卿は手首を返して二の太刀を見舞ってきた。人間離れした速さだ。

 首を狙う上段の攻撃の次は、わき腹に切り込む中段の太刀。

「はぁっ!」

 バルナーク卿は鬼神のような形相をしていた。

 俺はさっきの回避行動でバランスが崩れている。

 だめだ、避けきれない。



 俺は用意していた硬化の魔法を解放し、一瞬だけ右手を鉄より硬くする。

「このっ!」

 パキィンという金属質の音がした。

 頑丈なサーベルの刀身が中ほどから折れて、芝生に刺さる。



 これで決着がつくかと思ったが、バルナーク卿はそのままさらに踏み込んできた。

 残った刀身が俺の防御をすり抜け、脇腹めがけて切り上げてくる。

 やばい。

「ヴァイトさん!?」

「ヴァイトくん!」

 ラシィとファーンお姉ちゃんが同時に叫んだ。



 バルナーク卿と俺は至近距離から肩越しににらみ合い、そしてバルナーク卿がフッと笑う。

「私の負けです」

 彼のうなじから数ミリの位置に、俺の短剣の切っ先があった。



 俺はとっさに体を一回転させ、回避すると同時に裏拳でバルナーク卿の首筋を攻撃していた。

 拳の代わりにお見舞いしたのは、とどめの短剣だ。

 勝敗を悟った彼が即座に動きを止めたので、寸止めにしておいた。

 彼が止まらなかったら、俺も寸止めなんて悠長なことはできなかっただろう。

 怖かった。



 裏拳を放つ一瞬とはいえ、これほどの剣士に背中を見せるのはちょっと怖かった。

 俺の知る最高の剣士は竜人の蒼騎士バルツェだが、バルナーク卿の技量はそれに匹敵する。

 変身せずに勝てたのは魔法のおかげだ。もう一度戦ったら勝てるかどうかわからない。



 バルナーク卿は折れたサーベルを俺に返しつつ、すっきりとした笑顔を浮かべる。

「私の完敗でしたよ、ヴァイト卿。あなたは私などより遥かに戦場慣れしておいでだ」

 切り札の硬化魔法まで使わせておいて、完敗も何もないだろう。

 他の人間は気づいていないだろうが、バルナーク卿は俺が魔法を使ったことに気づいたはずだ。



 しかし彼はそんなことは何も言わず、俺に頭を下げた。

「あなたほどの手練れとあいまみえることができた幸運を、神に感謝します。素晴らしい」

「いえ、私も貴殿ほどの剣士と戦ったことがありません。貴殿はいったい……」



 すると周囲から貴族たちが口々に喝采を叫んでいるのが聞こえてきた。

「御覧になりましたか、今の剣聖卿と決闘卿の勝負を」

「ええ、神々しさすら感じましたよ」

「達人同士の勝負というのは、あれほどまでに美しいのですな」

 待て、知らない単語が二つあるぞ。



 剣聖卿というのは、このバルナーク卿だろう。

 まずそのことにびっくりだ。結構な有名人だったらしい。

 今のフェイントからの連続攻撃、そしてサーベルが折れた後も構わずに斬り込んでくる闘志と技量。

 確かに剣聖と呼ぶにふさわしい。



 それはそれとしてだ。

 決闘卿ってなんだ?

「なあ、カイト……」

「これだけ決闘していれば、そりゃ異名のひとつもつきますよ」

 カイトが後かたづけをしながら、溜息をついた。

 それもそうか……。



 そのとき、野太い声が響いた。

「バルナーク卿はドニエスク家の剣術指南役、サシマエル流皆伝の腕前だ。それをこうもあっさり倒すとは、貴殿は何者だ?」

 そういうお前こそ何者なんだ?

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