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温室の皇子(後編)

168話



 しかし俺を試すなんて、アシュレイ皇子も人が悪い。

「殿下、私が動揺しているのを御覧になって、楽しまれていたのではありませんか?」

「むしろ逆ですよ。まるで動揺なさらないあなたに、少し恐ろしくなりました。いくら理詰めで安全だとわかっていても、もっと動揺すると思っていたのですが」



 俺は苦笑する。

「ミラルディアには、私程度の者ならいくらでもおります。ここで私の身に何かあったとしても、我が国には何の不利益もありません」

「御冗談でしょう?」

「いいえ」

 ただの副官だからな……。



 アシュレイ皇子はそれを聞いて、少し表情を緩めた。

「あなたはやはり、面白い方です」

「よく言われます。独断専行型の変人だと」

「いえ、そうではありません。あなたは生真面目な学者のようですが、同時に用意周到な策士でもあり、勇猛な武人でもあります」

 お世辞とわかっていても、偉い人に褒められると気分がいいな。



「ヴァイト卿はこの温室に入ってすぐ、ここがただの花園ではないことに気づかれたようですね」

「ええ。見栄えよりも植物の品種の数と質に重点が置かれていますね。どれも薬草ばかりです」

 アシュレイ皇子は意地悪な笑顔を浮かべる。

「毒草……とはおっしゃらないのですね?」



 さすがに俺も、帝室の植物園を毒草畑呼ばわりはできない。

 とっさにうまいことごまかす。

「毒も加減次第では薬となり、薬も量を誤れば毒となります。毒と薬は同じものなのですよ」

 完全に受け売りだけど、事実だから別にいいよな。



 そこから俺とアシュレイ皇子は、一気に打ち解けた。

 アシュレイ皇子の悪ふざけはかなり際どいものだったが、俺がこの程度で立腹するはずはないという確信を持っていたのだろう。

 そう思われているのは信頼の証だから、俺も別に気にしない。

 イチゴ美味しかったしな。



 アシュレイ皇子は次々に俺に質問を浴びせかけてきた。

「報告書によると、ミラルディアの小麦粉がこちらより白いというのが興味深く、また謎でもありました。ヴァイト卿は理由をご存じですか?」

 俺は前世で習ったことを、ふと思い出す。

「人は白い穀物を好むといいます。ミラルディアでは農業生産に余裕があるため、色にまで気を配ることができたのでしょう。実際には色のついた穀物のほうが滋養もあり、病気や害虫にも強いのですが」



 例えば東アフリカのいくつかの地域では主食に白いトウモロコシしか食べないので、ビタミンAが不足する。ビタミンAを多く含む黄色いトウモロコシは家畜の飼料用だという。

 米にしてもそうだ。

「ミラルディア南部で栽培される米も、元々は黒や赤だったのです。たまに現れる白い品種を好んで栽培していった結果、今は白い米しか栽培していません。みんな白い穀物が好きなのですよ」



 アシュレイ皇子は感心した様子で、ポケットから紙片とペンを取り出す。

「なるほど……ではわざわざミラルディアの小麦を取り寄せる必要はなさそうですね。ロルムンドに今最も必要なのは、安定した収量です」

「農業生産についてお考えですか?」

「ええ、かなり」



 溜息をついたアシュレイ皇子は、ガラス窓から降り注ぐ陽光を仰ぐ。

「この国は農奴の労働によって食料をまかなっています。我々の治世が乱れ、農奴の反乱が頻発すれば、それは次の冬に大量の餓死者という形で我々に報いを与えるでしょう」

「より多くの実りをもたらす農産物をお求めなのですね」

「はい。民が飢えないようにすることは、皇帝の最低限の義務でもあります」

 中身までイケメンか、こいつ。

 爆発しないかな。



 だが俺はイケメン皇子を呪う前に、もっと大事なことを思い出した。

「殿下が植物に造詣が深いことは、エレオラ殿下よりお聞きしております。些少ですが、本国よりいくつかの種と苗を持参して参りました」

「本当ですか!?」

 うわ、すごい食いつきぶりだ。

 目をキラキラさせている。これが演技だったら、俺はどんな方法を使ってでもアシュレイ皇子を俳優にしたいと思う。



 アシュレイ皇子はそわそわしながら、俺のポケットなどに視線をさまよわせる。

「それで、種はどちらに?」

「管理は専門の随行員に任せております。後ほど献上いたしますので、ひとまずは目録だけでも」

 俺が小さなカタログを差し出すと、アシュレイ皇子は食い入るようにそれを読みふけっている。

 内政型の皇子様、という印象だ。



 俺は交易商マオに依頼して、寒冷地でも育ちそうな農産物をいくつか選んできた。ロルムンドに存在しないことはエレオラに確認してある。

 ロルムンドでの農法が確立する前に種や苗が全滅する可能性が高いが、そこまで責任はもてない。



 アシュレイ皇子はカタログを大事にしまい込むと、俺の手を握って感謝の言葉を述べた。

「ロルムンドの臣民に代わってお礼を申し上げます、ヴァイト卿」

 近い、顔が近い。それ以上イケメン面を近づけると、敵対行為とみなすぞ。

 それにしてもフランクな皇子様だ。



 それから俺と皇子は一緒に温室をゆっくり歩きながら、主に生物関連の話題をずっとしていた。

 前世では、子供の頃の夢は生物学者だった俺だ。夢のまま終わってしまったけどな。

 だから体系的な知識ではないものの、生き物には割と詳しい。



 南の海で巨大なタコと戦ったことや、元老院が放った暗殺者の毒に苦戦したことなど、皇子が喜びそうな話題をいくつかする。

 ただし軍事分野の知識、例えばロルムンド軍の騎鳥は意外と暑さに弱いという発見や、竜人族が使う騎竜は肉食なので大規模な運用ができないことなどは秘密にしておく。



 代わりにアシュレイ皇子からは、こんな話が聞けた。

「実は、皇帝陛下の容態は切迫しています。……今この瞬間にお隠れになったとしても、おかしくはありません」

 会わせてもらえないと思ったら、そういうことか。



 アシュレイ皇子はときどき立ち止まり、植えられた植物の葉や実を少し採取する。

「治療魔法をかければ症状が進行する病気なので、治療には薬草しか使えません。そしてこの病気に効果があるのは、健康な人には猛毒となるものばかりなのです」

「なるほど、それでこの薬草園があるのですね」

 まだ判断はつかないが、意外と親孝行な息子なのかもしれないな。



 さて、俺はそろそろ引き上げよう。

 アシュレイ皇子の人柄も少しわかったし、コネも作った。

 いずれは敵対するのが確実な相手だが、今はまだ彼と戦う訳にはいかない。

 俺は「エレオラ穏健派の客将」というスタンスで、他の勢力と交渉を続けていく必要がある。

 最後には全員潰すけどな。


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