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鎖の重み(後編)

161話



 エレオラ皇女の伯父・カストニエフ卿は、新興の貴族だ。

 共和制崩壊後、西ロルムンド王国は分裂した北と東の国を滅ぼし、ロルムンド全土を統一した。

 血で染まった東ロルムンド地方に送り込まれてきたのが、この大戦で武勲を立てまくった初代カストニエフ卿だ。



 他の新興貴族たちが農奴の反乱や凶作に苦しむ中、カストニエフ卿は農奴たちをうまく手懐け、領地経営を成功させる。

 領地経営に失敗した周辺貴族たちの領地を取り込み、カストニエフ卿は勢力を拡大。東ロルムンド屈指の大領主となる。

 しかし家の格式が低く、実力に見合った待遇をなかなか受けられなかった。



「そこをうまくやったのが、今のカストニエフ卿です。実弟を皇帝の妹と結婚させることで帝室の姻戚となり、実力に見合った格式を手に入れました」

 報告を済ませたマオが、どうでもよさそうな顔をして干し果実をつまんでいる。

 この政略結婚、意外と夫婦仲は良かったという。

 誤算だったのがカストニエフ卿の弟、つまりエレオラの父が病気で早くに亡くなったことだ。



 とはいえ、カストニエフ卿は帝位継承権を持つ二人の皇女を姪に持っている。

 この意味は大きい。

 普通に考えれば、カストニエフ卿の一族はエレオラの最大の支持者だろう。

 なんだ、ちゃんと後ろ盾がいるじゃないか。



 彼らが裏切る可能性は低い。

 仮にエレオラを見限って他の皇子に味方したところで、カストニエフ家の未来は暗い。皇女の実家という最高のポジションから、ただの一家臣に戻ってしまうからな。

 何かあればエレオラと一緒にまとめて始末される危険性もある。

 それならいっそ、エレオラと一緒に帝位簒奪でももくろんだほうが安全だろう。



「マオ、引き続きカストニエフ卿の周辺について調べてくれ」

「まだ調べますか?」

 慣れない異国での調査とあって、マオは少し嫌そうだ。

 だが俺は彼を説得する。

「エレオラに近い位置だけに、他の勢力から暗殺や買収の標的にされてる可能性もあるからな。最初の味方は厳選しないと、裏切られたらそこで詰む」



 マオはうなずき、少し考え込む。

「わかりました。では、その点に留意して調べましょう」

「すまないな。方法は任せる」

「こちらに持ち込んだ商品を使って、うまくやります。……多少私腹を肥やすのは、大目に見てくださいよ?」

「ああ、それぐらいの役得はないとな」

 ニヤリと笑いあう俺たち。

 完全に悪役気分だ。



 俺はまだロルムンド国内での外交デビューを果たしていない。

 ゲームに例えれば、ロルムンド編チュートリアルモードというところだ。おとなしくしておくに限る。

 それに俺が動き出せば、帝国内の貴族たちにミラルディアの意図が徐々にバレていく。本格的に動く前に、しっかり調査しておいたほうがいい。



 もっともこのチュートリアル、全く安全ではない上に失敗が許されない。クソゲーすぎる。

 とにかく帝都から戻ったら、カストニエフ卿を味方につける工作を始めるとしよう。



 俺たち一行は翌日、カストニエフ卿の城を後にする。

 去り際、カストニエフ卿がエレオラにこんなことを言っているのを聞いた。

「殿下。今年の冬ぐらいは休暇を取って、私の城でゆっくり過ごしてください」

「……そうもいかないのです、カストニエフ卿」

 エレオラの表情は強ばっていたが、同時に申し訳なさもはっきりと感じられた。

 ごく普通の伯父さんと姪にしか見えないけどなあ。



 俺は昨日の村に立ち寄り、郷士たちに再会する。

 今日はエレオラも来たので、郷士たちは大喜びだ。

 ほらエレオラ、頼んだ通りに声をかけてやってくれ。

「伯父上の領地が豊かなのも、諸君が職務に精勤してくれているおかげだ。姪として、また皇女として、貴殿たちの働きぶりを誇りに思う。どうかこれからも、伯父上に変わらぬ忠義を尽くしてくれ」



 頼んだときは少し渋っていたが、さすがは皇女様だな。

 容姿とも相まって、まるで歴史上のワンシーンみたいなありがたみがある。

「なんという……なんという……もったいないお言葉で……」

 郷士のおっさんたちが言葉を失い、いい歳して涙ぐんでいた。

 やればできるじゃないか、皇女様。



 感激した郷士たちがエレオラに謝辞を述べている間に、俺はさっさと村の中に入って農奴たちに会う。

 昨日のうちに許可をもらっておいたので、今日はフリーパスだ。

 農奴たちの服装は質素で何の飾り気もないので、小作人との見分けは簡単につく。

 みんな忙しそうにしているので、俺は年老いた男性の農奴に声をかけた。どうやらどこか悪いらしく、農作業はせずに納屋で農具の手入れをしている。



 最初はかなり戸惑っていた老人は、俺が根気よく話しかけるとようやくぽつりぽつりと会話に応じ始めた。

 彼は代々この地で生活している農奴だという。子供も孫も農奴で、みんなこの村で生活しているらしい。

 俺は一番聞きたかったことを聞いてみた。

「もし自由民のようになれたら、何がしてみたい?」



 すると老人は驚いたように周囲を見回す。

 そうだよな。この質問はだいぶヤバいよな。

 でも答えてくれ。

 俺が視線で訴えかけると、老人は少し考え込む。

 そして、こう答えた。

「麦酒を毎日飲みてえですなあ……」

 それでいいの?



 農奴たちには娯楽らしい娯楽はあまりないが、ときどき酒を飲ませてもらえる。この裁量は各村の郷士次第だ。

 アメとムチの「アメ」の部分である。

 寒い土地なのでロルムンド人はみんな酒に強い。当然のように酒好きも多いので、酒をたくさん飲ませてもらうために農奴は頑張る。



「麦酒か。どれぐらい飲みたい?」

「はは、そりゃあ酒樽に頭を突っ込んで、酔い潰れるまで飲み続けでさあ」

 あ、これダメだ。依存症になるまで飲み続けるパターンだ。

 そのうち農奴たちが何人か寄ってきたので質問したが、だいたいみんな欲しがっていたのが、酒か女か飯だった。

 急に自由にしたら無茶苦茶しそうだな。



「町で暮らしてみたいとか、違う仕事をしてみたいとか、そういうことを考えたことはないか?」

 俺の質問に、老人はしわだらけの顔に笑顔を浮かべる。

「わしゃここがええですよ、旦那様。ここにおれば何にも不自由はせんですし、家族もおるですから。まあ、麦酒が少し足りんぐらいで」

 嘘をついている匂いはしない。



 最後に彼はこう言った。

「難しいことは領主様や郷士様が決めてくれます。わしら農奴はここを耕しとったらええです。それでみんな生きていけます」

 気負う訳でもなく、悲壮感がある訳でもなく、淡々とした口調だった。

 農奴は衣食住の保証がされている上に、自由民の小作人と違って何の責任もない。

 生まれたときから今の生活が当たり前だと思っていれば、これ以上を望みはしないのだろう。



 他の何人かの農奴にも質問してみたが、少なくともこの村で待遇に不満を感じている農奴は一人もいなかった。

 奴隷という言葉から俺が受けるイメージと違って、彼らは淡々と生きている。

 彼らは他の生き方を知らない。知ったところで興味を持たない。



 一方で、抑制されている部分には多少の欲求はあるようだ。

 とはいえそれは「もっと酒を飲みたい」だの、「たまには誰かに威張ってみたい」だの、ごくごく単純な欲求だ。

 隠された本音もあるだろうし、違う村では違う意見も聞けるだろう。

 しかし今のところ、奴隷制度への不満が鬱積しているという印象は受けない。



 俺は村を後にして、馬上のエレオラに声をかける。

「農奴の反乱や解放を武器に帝国の土台を覆すというのは、やはり難しそうだな」

 エレオラはこの言葉が予想外だったのか、少し驚いた様子をみせた。

「ずいぶんと……大胆な策を練っていたのだな、黒狼卿」

 前世の影響で、「奴隷」とくれば自然に「解放」が出てくる俺だ。

 だから選択肢のひとつとして奴隷制度を使うことを考えていたが、エレオラにとっては奇策に思えたのだろう。



 彼女は少し考え、それから首を横に振る。

「一部の例外を除くと、農奴はみな先祖代々の農奴だ。父祖たちの通りに暮らしていれば、子孫たちも同じように暮らせることが多い。一方、反乱を起こせば皆殺しだ」

「多少の不満はあっても、従うほうがはるかにマシという訳か」

 俺の言葉にエレオラはうなずく。



「そうだな。共和制末期から統一戦争にかけて、奴隷の大脱走が繰り返された過去もある」

「その逃亡奴隷たちの子孫が、貴殿をさんざん苦しめたな」

 エレオラが一瞬、困ったような顔をして俺を見た。

「それを言わないでくれ。そもそも私を一番苦しめたのは貴殿だ」

 妙なところにこだわるな……。

「いずれにせよ、我々とて馬鹿ではない。過去の教訓から、奴隷の扱い方はそれなりに考えている」

 そのため帝国の支配者たちは奴隷の衣食住を整え、多少の娯楽も与えた。



 農奴を売買するときは土地とセットにするのを慣例とし、農奴が同じ土地で畑を耕し続けられるようにしている。

 細かい待遇を見ていけば非人道的なものも多いが、土地を持たない流浪の民よりはずっとましだ。



 俺は馬上から振り返り、遠ざかる村を眺める。

 郷士たちと小作人、それに農奴たちが、まだ俺たちを見送っている。

 小作人や農奴たちまで見送りに来ているのは、この後で麦酒にありつけるからだ。

 皇女の訪問とお言葉に感激した郷士たちが、今日を村の記念日にすると言い出したのだ。今夜はどんちゃん騒ぎだという。

 例の老農奴なんか、顔をしわくちゃにして笑っていた。



 前世で多くのことを学んだ俺は、あの村のありかたが歪なのはわかっている。

 だが同時に、急に何かを変えようとすれば、それはさらなる歪な構造を生み出すことも想像できた。みんな変化についていけないだろう。

 あの村はまだしばらく、今のままであり続けたほうがいいのかもしれない。



「ヴァイト卿、どうかしたか?」

「いや、なんでもない。違う策を考えよう」

 俺はそう答えると、まだあやふやな手綱を握りなおした。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 「鎖の重み」というタイトル、色々な意味にも受け取れてとてもいいなって思いました。 [一言] ここまで読ませていただいて初めてのコメントですが、ストーリーがとても面白く文章がとてもとても読み…
[一言] 農奴って日本人みたいだなぁ
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