人狼隊の遠征
157話
全ての準備が整った。
ミラルディアの北部同盟は解放軍に降伏して消滅。北部は南部連邦と再合併し、ミラルディア連邦の名前でひとつにまとまった。
解放軍支援者として北部を水面下で支配していたロルムンドは、ミラルディアの全域に強い影響力を持つようになった。
ということにしよう。
「それでいいですよね、師匠?」
「そういう難しいまつりごとは、わしの出る幕ではないからの」
師匠は俺の執務室で茶を飲みながら、ほっと溜息をついた。
「やれやれ、弟子たちが皆よく働いてくれるから楽じゃのう」
「師匠が魔族たちを従えてくれるから、俺も人間相手の交渉で融通が利くんですよ。他の弟子たちも同じようなものです」
先王様は文武両道の実務能力と実直な人柄で尊敬を集めた。魔王軍にとっては父親的な存在だ。
二代目魔王陛下は魔術を駆使した多才さと穏和な人柄で愛されている。こちらは母親的……おばあちゃん的な存在だろう。
俺はそんな魔王軍ファミリーの中の、大勢いる息子の一人だ。
俺は師匠にラシィとパーカーを借りていくことを伝え、了承を得る。
かなりの期間をロルムンドで過ごすことになるだろうから、師匠の指導計画に影響が出ないか聞いておく必要があった。
俺もだ。
「師匠、魔力制御系の課題ですが……」
俺は未達成の課題について、おそるおそる期限の延長を願い出る。
すると師匠はにっこり笑い、こう答えた。
「案ずるな、基礎は全て授けてある。実践で磨くがよい」
「ありがとうございます、師匠」
こりゃ帰ってきたときに、それなりの上達ぶりをアピールしないといけないな。
幸いロルムンドでは魔撃銃の撃ち合いもあるだろう。純粋魔力の撃ち合いなら、魔力制御の実習にはちょうどいい。
みんなの代わりにバンバン撃たれてこよう。
「師匠、留守中の相談役はどうされますか?」
相談役といえば聞こえはいいが、要は寂しがりやの師匠の話し相手だ。
師匠は「ふふっ」と笑う。
「そちらも案ずるでない。リュッコがしばらくここに居てくれるそうじゃよ」
「あの人間嫌いが、よく人間の街で暮らす気になりましたね」
「うむ、それがのう。人間と実際に話してみて、案外悪くないと思ったらしいのじゃよ」
「それたぶんエレオラ皇女ですよ」
監視の人狼隊から報告は受けている。
変わり者同士、話が合ったんだろう。
俺は変わり者の皇女様と共に、リューンハイトを出立する準備を整えた。
魔王軍所属の魔術師三名、人狼隊五十六名、魔撃大隊六十一名。
これに採掘都市クラウヘンで魔撃大隊の十二名を加え、俺が指揮するのは百三十二名になる。
さらに犬人隊や衛兵隊の有志が、クラウヘンまでついてきてくれることになった。細かい雑用を引き受けてくれるという。
ただ犬人隊については、軍務にかこつけて遠足したいだけのようにも思える。
だがちょうどいい機会なので、魔族の親しみやすさをアピールするのに役立ってもらおう。
「ヴァイト卿、人狼隊の訓練はいかがでしたか?」
魔撃大隊のボルシュ副官が訊ねてきたので、俺はごまかし半分にこう答えた。
「魔撃大隊の足下にも及ばんよ。隊列射撃だけは何とかできるようにしたが、変身して殴ったほうが早いのは相変わらずだ」
「ご謙遜を」
いやいや、本当に殴ったほうが早いから。
人狼隊は予備魔撃大隊の装備を使い、魔撃大隊の補充兵になりすます。
予備魔撃大隊は本隊を隠すためのただの偽装だったが、今回の我々は一応ちゃんと魔撃銃を扱える。
「なあこれ、撃った後は棍棒にすりゃいいんじゃねえか?」
「兄ちゃん冴えてるな!」
あの馬鹿兄弟ちょっと殴ってくる。
ロルムンド本国には「連邦所属のミラルディア人精鋭部隊」として報告してもらった。
「ミラルディア人たちがロルムンドの正規軍と協調行動を取れるまでになっている」というのは、エレオラ皇女の功績をアピールする材料でもある。
言い方を変えれば「エレオラはロルムンド国内だけでなく、ミラルディアからも兵力を動員することができる」ということだ。
今後の駆け引きの重要な材料になる。
俺はその精鋭部隊の指揮官であると同時に、連邦の評議員だ。
真相を知らないロルムンド本国にとっては、いずれ属国になるミラルディアの大貴族といったところだろう。
なお人狼であることは隠しておく。これは人狼隊やパーカーも同じで、輝陽教がうるさいからだ。
ロルムンドの魔族はとっくに滅ぼされているので、今はそれほど警戒もされていないという。
「メレーネ先輩に来てもらって、いっそ政敵全員を吸血鬼化してもらうってのも悪くはないな」
「さすがにそう甘くはないぞ、黒狼卿」
馬上のエレオラ皇女が首を横に振る。
「歴史上でそれを実行しようとしたのが、共和制崩壊後の北ロルムンドのヴァフーク大公だ。彼はメレーネ卿のような『新しい吸血鬼』になる秘術を編み出し、始祖となった」
また凄いヤツがいたもんだ。
「なかなか面白い試みだな」
「貴人の行動は些細な異変でも人々の知るところとなる。さほど陰謀が進まぬうちに、侍女たちの血を吸っているところを見つかってしまった」
大胆な割にやることが雑だな……。
もっとも俺も人狼になってからというもの、やることが全体的に雑になっている。
その大公を笑うのはやめておいて、今後の教訓にしておこう。
エレオラは前を向き、楽しげに続ける。
「その後はあっという間に家臣が離反した。最後には東西ロルムンドの連合軍に輝陽教の聖戦軍、農奴の反乱軍まで加わり、吸血鬼は完全に滅ぼされたよ」
やっぱりダメか。
ロルムンド輝陽教は魔族を一切認めていないから、魔族だとバレるだけでやっかいなことになるんだよなあ。
ロルムンドの政争の熾烈さは、エレオラ皇女からいろいろ聞いている。
歳の近い兄を謀殺し、自分が兄になりすまそうとした者。
自分の父を暗殺した上で、その罪を政敵になすりつけようとした者。
兄嫁と不義の関係を結び、表向きは甥となる我が子を政争の道具にした者。
よくもそんな無茶をしたものだと思うが、みんなそれだけ追いつめられていたのだろう。
一番恐ろしいのは、これらの陰謀は発覚しているものしか記録されていないということだ。当たり前だが、「最後までバレなかった」陰謀は誰も知らない。
バレなかったものも含めると、ロルムンドの闇がどれだけ深いのか、俺には想像もつかない。
できれば早めに帰りたい。
そんなことを考えながら、俺たち一行は太守の館の前で師匠やアイリアたちに出立を報告する。メレーネ先輩やフィルニールも来てくれていた。
俺たちが下馬すると、師匠が威厳をもって重々しく告げる。
「ヴァイトや。おぬしは昔から寝相が悪いゆえ、寒くなると寝冷えで体調を崩しがちじゃ。ちゃんと温かくして寝るんじゃよ」
師匠……いえ魔王陛下、みんなが見てる前でそういうのやめてもらえませんか?
あんたは田舎のおばあちゃんか。
嬉しい半面で困った俺は、精一杯威厳を保って恭しく頭を下げる。
「お気遣い、いたみいります。必ずや任務を果たして戻って参ります」
「うむうむ。おお、それから……」
やめて。
すかさずメレーネ先輩が師匠の背中をさりげなく叩き、無言のうちに師匠を黙らせてくれる。
その一瞬の隙をついて、アイリアが前に進み出た。
妙に連携取れてるな。
「ヴァイト卿、御武運をお祈りしております」
「ありがとう、アイリア卿。なに、いつも通り簡単な任務だ。ちょっと出かけてくるだけだよ」
自分で言っていてなんだか死亡フラグみたいだなと思うが、その手のフラグは全部へし折ってきた自信がある。
アイリアは少し不安そうな様子だ。
「しかしヴァイト卿、私が知る限りロルムンドに行ったミラルディアの人間はいません。気をつけてください」
確かにロルムンドに行くことに不安もあるが、異世界に転生することを考えれば大した問題じゃない。
だがそれを言う訳にもいかないので、俺は笑ってごまかす。
「俺は人狼だからな。人間が引いた国境には縛られんよ」
するとアイリアは珍しく執拗に食い下がってきた。
「そうでしたね。でも……必ず戻ってきてくださいね?」
「ああ、もちろん戻ってくる。なるべく早くな」
そう言ってから、俺はふとおかしくなってこう続けた。
「貴殿もそう思っているようだが、どうやら俺もここを『自分の帰る場所』と思っているようだな」
「ふふ、もちろんでしょう」
なぜかアイリアが笑ってくれたので、俺も少しほっとした。
後のことはみんなに託してある。
魔王軍の軍務は、蒼鱗騎士団長のバルツェと紅鱗騎士団長のシューレ。
魔都の治安維持と防衛は、衛兵隊のヴェンゲン隊長とベルーザ陸戦隊のグリズ隊長もいる。
政治的なことは、アイリア卿をはじめとする評議員たちがいるから安心だ。
北部との交渉は評議会の人間たちに任せる予定だ。彼らには太守同士の強いつながりがあるので、魔王軍は南部でおとなしくていればいい。
ロルムンド軍の新兵器は、弟弟子のリュッコと竜火工兵隊のクルツェ技官が解析中だ。いずれは量産し、ロルムンドに対抗できる戦力を整える。
帰ってくる頃には、何か制式採用されているかもしれないな。
再確認して安心した俺は馬に乗る。フィルニールやアイリアに教えてもらい、俺は最近やっと乗馬を覚えた。歩かせるぐらいなら何とかなる。
そして俺は馬上から、一行に命じた。
「我々は評議会の決定により、エレオラ皇女を支援するためロルムンドへ出向する。出発!」