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「エレオラ戦記・その5」

141話(エレオラ戦記・その5)



 南部に近い北部の城塞都市ウォーンガング。

「そういやリューンハイトの黒狼卿、知ってるか?」

「ああ。カミさんがあれ大好きでな。おかげで俺まで毎回通わされてるんだ」

「いや、劇じゃなくて本物のほうだよ。こないだ会ってきたぜ。商工会のみんなと一緒に、太守様の夕食会に招かれたんだ」

「あー、あれか。どうだった? 噛みつかれなかったか?」

「ははは、やっぱりすごい迫力だったけどな。もうオーラが違うよ、オーラが」

「そんなにすごいのか」



「ああ、生ける伝説だけのことはあった。鳥肌立ったぜ。でもな」

「ん?」

「せっかくだからさ、思い切って握手を頼んでみたんだよ」

「怖いもの知らずだな!」

「いや、それが意外に紳士的でな。笑顔で応じてくれて、なんかこう……王者の風格っていうか、とにかくすごかった」

「お前、さっきから『すごい』しか言ってないぞ」



 ウォーンガングで二人の酔っ払いが黒狼卿について語らっている頃。

 エレオラ皇女は北東の採掘都市クラウヘンに帰還し、本国からの報告を受け取ったところだった。

「……まずいな」

 エレオラはぽつりとつぶやく。

 すかさず副官のボルシュが問いかけた。

「どうなされました?」

「内皇子たちの差し金だ。本国からの増派は秋以降になる」

「それは……」



 エレオラは書状を折り畳むと、机の上に投げ出す。

「女系の皇女である私まで警戒するとは、気の小さい連中だ。しかし困ったことになったぞ」

「軍は無理としても、せめて法学者と宗教学者ぐらいは欲しいところですが」

「立法院も神殿も私の管轄ではない。あきらめろ、ボルシュ」

 ロルムンドとミラルディアでは、世俗の法律も宗教上の戒律もまるで違う。

 この違いをどう整理し、新たな枠組みを作るか。

 これは専門家でなくては不可能だ。



 エレオラは机上の魔撃書に触れ、溜息をついた。

「今後の統治のために、苦労してお膳立てしてやったというのにな。私は帝国に仕える狩人だが、料理人ではない。獲物の調理は文官の仕事だ。これ以上は難しい」

「しかしまさか、勅命に横槍を入れるとは」

 ボルシュは眉をしかめるが、エレオラは首を横に振る。



「陛下の威光が衰えて、皇子たちが勝手な真似を始めたということだ。おそらく陛下の容態が思わしくないのだろう。治療師たちの見立てより進行が早いのかもしれん」

「では、畏れ多いことながら……」

「ああ。近いうちに陛下は世を去る。そのとき、私がどこで何をしているかが重要だ」

 完全に支配下に置いたミラルディアに君臨し、武功と戦力を整えているか。

 それとも攻略半ばのミラルディアで苦戦し、本国に助力を求める立場に甘んじているか。

 この違いは、おそらくその後の運命を分けるだろう。



 そのとき、ナタリアが入室してきた。

「姫様、御報告が……って、あの、出直したほうがいいですか?」

 エレオラ皇女とボルシュの顔を見て、ナタリアが及び腰になる。

 だがエレオラは笑顔を浮かべた。

「なに、軽い雑談をしていただけだ。報告を聞かせてくれ」



 ナタリアはうなずき、素早く敬礼して報告する。

「治療兵からの報告ですが、魔撃大隊に食あたりが蔓延しています。各小隊とも、常に数名の体調不良者を抱えている状態だそうです」

「病人だらけだな」

「え? あ、はい。そうですね」

 エレオラのつぶやきには皇帝も含まれているが、ナタリアは気づいていない。



 エレオラ皇女は記録を取り寄せ、体調不良者のリストを眺めた。

「食糧の管理は徹底しているな?」

「はい、軍律通りにしています。食糧は太守を通じて納入されていますから、品質や安全性には問題ないはずです。こちらでも検査していますし。ただ……」

 ナタリアはそこまで言って、ちらりとエレオラ皇女の顔を見た。



「みんなつい、ロルムンドにいたときの感覚で食べ物を扱っちゃうものですから、いつのまにか傷んでたりするようです」

 冷涼なロルムンドでは、食べ物の保存にはそこまで神経を尖らせる必要はない。夏場以外は冷蔵庫の中で暮らしているようなものだ。

 だが温暖なミラルディアでは、北部といえども油断はできない。食べ物は普通に腐敗していく。



 他にも気候の違いから風邪をひく者なども多く、魔撃大隊は慢性的な人手不足に陥っていた。

 エレオラ皇女は穏和な表情でうなずいた。

「遠征に風土病はつきものと聞く。皆には無理をせず休むよう伝えよ。ただちに計画を再検討し、優先度の低い作戦予定は順延しよう」

 残された時間は少ないが、ここで無理はさせられない。



 エレオラはミラルディア征服の極秘計画を、頭の中で思い浮かべる。

 北部は太守を手懐けて支配し、南部には武力を背景にじわじわと支配権を獲得していく。最終的に評議会にロルムンドへの服従を誓わせ、一定の自治権を認めた上で帝国領とする。



 その後は帝国官僚たちが太守たちの権限を剥ぎ取り、皇帝の意のままにミラルディアを作り変えていくだろう。

 誰が次期皇帝になったとしても、勅命である南征を成功させたエレオラを公然と排除することは難しいはずだ。

 後は功績を武器に、魑魅魍魎の徘徊する宮廷を生き延びていくしかない。

 うまく切り抜けられれば魔撃大隊の部下たちは退役させ、恩給暮らしをさせてやろう。

 そう誓っていた。



 しかし現状では、ミラルディア攻略はまだ途中だ。

 この中途半端な状態で皇帝が交代すれば、先帝の命令を遂行中であるエレオラの立場はますます不安定になる。

 それもこれも、病を知った皇帝が急にミラルディア侵攻などと言いだしたからだ。

 エレオラは皮肉っぽい口調でつぶやいた。

「無様な戦だ。後世の歴史家の苦笑が目に浮かぶようだな」

「殿下」

 不穏な気配を察したのか、ボルシュ副官がさりげなく口を開く。

 エレオラ皇女は軽く手を挙げ、自嘲の笑みを浮かべた。

「わかっている。だが、人生の終わりが近づいてから慌てて名を残そうとしても遅いのだよ。私も肝に銘じておくとしよう」



 かなり際どい発言をするエレオラに、ナタリアがおそるおそる問いかける。

「姫様、お疲れのようですね。観劇でもされて、少しくつろがれてはいかがですか?」

「観劇か。ナタリアらしいな」

 ロルムンドにおける演劇は、法律で厳しく規制されている。皇帝批判などを防ぐため、当局の審査に合格した演目しか認められていない。

 そのため演目の大半は宗教関連で占められており、聖典の逸話を再現したものや、聖人の生涯を題材にしたものが一般的だ。

 そしてナタリアは輝陽教司祭の娘だ。



 しかしエレオラ皇女は知らなかった。

 ミラルディアではもっと自由に演劇が発展し、無数の演目が存在することを。

 その中にある「リューンハイトの黒狼卿」のことを知れば、エレオラ皇女は即座に何らかの対策を命じただろう。

「あ、いえ、姫様。それがですね……」

 だがナタリアがミラルディアの演劇について説明しようと口を開きかけたとき、新たな報告が舞い込んできた。



「殿下、クラウヘン太守が面会を求めております。『重要なお話』とのことです」

「わかった、すぐ行く」

 エレオラ皇女は立ち上がり、ナタリアの頭を撫でる。

「観劇はまた次の機会にしよう、ナタリア。病人の看護を頼む」

「は、はい!」

 エレオラ皇女がヴィエラ太守フォルネの陰謀に気づくのは、それからずっと後のことになる。


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