フォルネ卿の反撃と困惑する黒狼卿
135話
俺とフォルネ卿はヴィルハイムを後にしてザリアまで戻ってきたが、ここで俺はエレオラ皇女の恐ろしさを知ることになる。
「あっ、先生!」
ようやく少し太守らしくなってきたシャティナだが、俺を見るなり子犬のように駆け寄ってきた。落ち着きのなさは相変わらずだ。
「太守が走ると、何事かと思ってみんなが心配するだろう?」
俺はシャティナをたしなめるが、彼女は慌てた声でこう答える。
「一大事なのです、先生! ミラルディア解放軍の名前で、エレオラ皇女から書状が届きました!」
なんだと。
「内容は?」
するとシャティナは俺に書状を手渡しつつ、興奮した様子で叫ぶ。
「父上の仇を、エレオラ皇女が討ってくれたらしいのです! 元老たちを追放し、ザリア太守暗殺の首謀者が死亡したことを確認したと!」
そうきたか。
俺は書状をざっと読み、それからシャティナに問う。
「首謀者の名前は、これで間違いないのか?」
「はい、首謀者は元老のモルテウスとのことでした! やはり噂通り、エレオラ皇女は立派な人物です! 義に篤く、誇り高い御仁ですね!」
俺は苦笑して、シャティナの頭をポンポンと叩く。
「義に篤い人間は適当な嘘をつかないぞ? 首謀者の名前はモルテウスじゃなく、リュカイトスだ。俺の副官であるカイトの分析と証言で判明している」
エレオラのやつ、首謀者が誰かわからなかったから適当な元老に罪を被せたな。
雑なことしやがって。
きょとんとしているシャティナに、俺は諭した。
「まあリュカイトスも今頃は死んでるだろうが……だが味方でもない人間の言葉を鵜呑みにするのは良くないな。いいように利用されるぞ。お前は太守だ、利用されると民が苦しむ」
「は、はい……」
シャティナはみるみるうちにしおれて、うなだれてしまう。目じりにじわりと涙が浮かぶ。
「太守として軽率でした、先生……ごめんなさい」
こうも素直だと、叱るに叱れないな。
俺はますます苦笑して、かわいい生徒の頭をわしゃわしゃ撫でる。
「あーこらこら、泣くんじゃない。お前が暴走しないかと心配して、暗殺首謀者の名前を伏せていた俺が一番悪いんだ。許してくれ」
「いっ、いえっ! 私は……」
するとさっきから無言で俺たちを見ていたフォルネが、うんうんとうなずきながら口を開いた。
「やっぱあんた、絵になるわぁ……」
「なんだ、いきなり」
今は大事な授業中なんだよ。
暗殺された前太守メルギオのためにも、シャティナを一人前にしなきゃいけないんだ。
だがフォルネは俺に執拗に絡んでくる。
「あんた、今の状況わかってる?」
「わかってるつもりだが……」
「わかってないわよ! エレオラ皇女は南部連邦の評議会を切り崩しにかかってるのよ?」
「そうだな」
憂慮すべき事態だ。
魔王軍としては軍勢同士の激突なんかより、人間の太守たちを懐柔されることのほうが怖い。
彼らがいてくれないと、南部の人間を従わせることはできないのだ。
フォルネは嘆息して、芝居がかった仕草で天を仰ぐ。
「魔王軍は南部民にすっかり定着してるけど、やっぱり魔族だから不安はあるわ。人間の心ってのは、すぐにグラつくのよ」
「ああ、わかる」
「なんで人狼のあんたがわかるのよ……いえ、あんたならわかるでしょうけど……」
中の人が元人間だからな。
フォルネはエレオラからの書状をバシバシ叩く。
「こいつ、かなりヤバいわよ。北部での噂はアタシも聞いてるわ。民衆に恐ろしく人気が出てるそうじゃない?『解放姫』とか『輝陽の女神』とか、たいそうな異名がついてるわ」
「らしいな」
腐敗した元老院の停滞した治世に、どでかい風穴を空けてくれた異国の姫君だ。しかも表向きではミラルディア人を尊重する姿勢をみせている。
フォルネは丸めた書状でシャティナの頭をポンポン叩きながら、嘆息した。
「このままだと南部の民衆も、じわじわエレオラに傾倒していくわ。太守のこの子まで、こんな有様だもの」
「うう……ごめんなさい」
しょげているシャティナが少しかわいそうになってきた。
俺は話題を変えるために、フォルネに向き直る。
「あんたのことだ、そういうからには何か考えがあるんだろう?」
こいつが文句を言うのは大抵、何か提案をするための前振りだ。
案の定、フォルネはにっこり笑う。
「民衆にはわかりやすい旗印が必要だわ。ロルムンド軍にはロルムンド軍の旗印が、そして魔王軍には魔王軍の旗印が」
なんだ、なにを始める気だ。
「ま、アタシに任せといて。次の評議会のときにお披露目するから」
『アイリア卿、私は貴殿と共に歩み続けたい。だが……』
『どうされたのです、ヴァイト卿?』
『許されよ、アイリア卿。やはり私には、戦いの園こそが相応しいようだ』
『いけません、ヴァイト卿! あなたが人間のために戦う理由などないのですから!』
『わかってはいるが、私はリューンハイトを守りたいのだよ。貴殿の住む、この街をな』
俺は舞台上で演じられるオペラのような劇を、じっと見つめていた。
あれ、どうみても俺とアイリアだろ。名前そのまんまだし。
俺役の俳優が三段階ぐらいイケメンにバージョンアップされてる点を除けば、ほぼ俺そのままだった。
魔王の副官として名高い人狼、ヴァイト将軍。義を重んじる知勇兼備の名将だ。
彼はミラルディア攻略のためにリューンハイトを制圧し、太守アイリアと恋に落ちる。
やがてミラルディア南部は魔王軍によって平和に統治されるが、そこに勇者ヘルベルトが現れる。
『貴様がリューンハイトの黒狼卿か! さあ剣を抜け!』
『退くのだ、偉大なる勇者よ。英雄同士が戦って何になろう?』
『たとえどれほど虚しい戦いであっても、俺はお前を倒さねばならない。そう命じられたのだ』
『いったい誰に命じられたというのか、勇者よ』
『元老院だ!』
恋人を人質に取られ、元老院の手駒として戦うことを余儀なくされた勇者ヘルベルトは、ヴァイトとの一騎打ちの末に倒れる。
ヴァイトは虚しい勝利を悲しむが、そこに元老院の送り込んだ十万の大軍が迫ってきた。
『あの地響きはなんだ? まさかあれが、リューンハイトを攻める軍勢か!?』
ヴァイトは十万の大軍を阻止するため、たった一人で戦いを挑む。
『我が名はヴァイト! リューンハイトの黒狼卿、ヴァイトだ!』
十万対一。
絶望的な戦いが始まる。
そして舞台に幕が下りた。
俺は俳優たちへの礼儀として惜しみない拍手を送りつつも、フォルネに文句を言った。
「おいクソオカマ、なんだこれは」
「何って……あんたの半生を題材にした劇よ。ヴィエラの総力を結集して、役者も脚本家も音楽家も最強のドリームチームを組んでやったわ。あ、ちなみに第二部も制作中だから」
「ヴィエラの総力を結集してこんなものを劇にして、どうしようというんだ」
するとフォルネは溜息をついた。
「あんた、魔王軍一の有名人でしょ。見た目もイケてるし、実力もあるわ。魔王軍の名声を高めるために役立ちなさい」
「俺がか?」
「あんた、ほんとに自覚ないの?」
有名人かと言われると、外交担当者だからそうなのかもとは思うが……。どうも実感が湧いてこない。
目立つの好きじゃないんだよ。
一方、隣で観劇していたアイリアは、びっくりするぐらい熱心に拍手していた。
「この劇、とてもいいと思います」
「俺の相手役が貴殿だぞ、アイリア卿」
人狼なんかとカップリングされたら、アイリアも迷惑だろう。
しかしアイリアは澄ました顔で答える。
「いえ、これも南部連邦のためですから。むしろ光栄に思っていますよ?」
「そうなのか、貴殿は寛大だな……」
「いえいえ、ふふふ」
嫌がられてなくて助かった。
観劇中そればっかり気になって、ずっと冷や汗かいてからな。
しかしこの劇、どうにも照れくさくて困るな。俺を持ち上げすぎて、個人崇拝みたいになっている。設定盛りすぎだろ。
俺は誰かを熱狂的に崇拝するのは割と好きだが、崇拝されるのは好きじゃない。俺にそんな価値はないからだ。
この劇があちこちで上演されるかと思うと、隠れ里に帰りたくなってくる。
「なあフォルネ、もう少し俺を控えめに……」
「あんたを売り込む劇なのに、あんたを控えめにしてどうすんのよ」
「それはそうかもしれないが」
居心地が悪くて死にそうだ。
「これでもあんたの性格に配慮して、だいぶ抑えたのよ?」
「これでか?」
こんな劇ぐらいで俺や魔王軍のイメージが改善されたら苦労はないのだが、よくよく考えてみるとこの世界にはテレビもネットもない。
前世と違って、こっちの世界の住人にはイメージ戦略への免疫がほとんどないはずだ。
前世でも外国の大統領選とかで派手な応酬を見たことがあるし、案外ああいうのが効果的なのかもしれない。
なお、俺がこの劇の制作開始にあたって注文をつけたのは、敵味方を問わず故人の名前を出さないことだった。
だから勇者の名前も「ランハルト」や「アーシェス」ではなく、架空の人名になっている。
死んだ連中の墓を掘り起こして利用するような真似だけは、どうしても無理だった。我ながら甘いとは思うが、無理なものは無理だ。
「しかしこれ、本当に役に立つんだろうか?」
俺の疑問にフォルネが笑う。
「役に立たせるのよ。ヴィルハイムを味方に引き込めなかった分、ここはアタシに任せといて」
「ああ、期待しておくよ」
「それとフィルニールの劇とかも用意してるから、関係各所への連絡お願いね? あんたの分も、まだまだあるわよ」
まだやるの?




