悪魔の取引
117話
カイトが真っ青な顔のまま沈黙してしまったので、俺はまたしてもやりすぎてしまったことに気づいた。
人狼が怖いのはわかるんだが、今の話の流れなら危害を加えるようなことはないと理解してほしい。
元老院の感覚が太守のものとズレていることも、人狼に対してかなり強い敵意を抱いていることも、全部わかった上で、こうして正体を明かしているのだから。
しかしカイトは俺をにらみつけて、こう叫んだ。
「こ、殺すなら殺せよ! 笑うんじゃねえ!」
怒られてしまった。
「どうせ俺みたいな小物、始末したところで何も変わりゃしねえ! 元老院の犬だからな!」
なんか叫び始めたぞ。
彼はどうやら、俺に殺されると怯えているようだ。
もちろんすぐに誤解を解きたいが、彼がいろいろしゃべってくれそうなので、俺は誤解にタダ乗りさせてもらうことにする。
ちょっと悪趣味だが、情報収集のためにひと芝居うつとしよう。
「元老院の犬か……」
「そうだよ、犬だ! みみっちい餌と引き替えに忌々しい首輪をつけられてる、犬ッコロだよ!」
なんかだいぶストレス溜まってるみたいだな……。
俺は少し同情しつつも、残虐で狡猾な人狼のふりを続ける。
「ハハハ! 犬は犬らしく、飼い主に従順であることだな!」
「うるせえ! あんな飼い主いらねえよ!」
「大した忠誠心だ。さぞや立派な飼い主なのだろうな?」
「おお、立派も立派だ! あいつらに尻尾を振らなきゃ、俺たち魔術師は生きていけねえんだよ! あの足の引っ張り合いしかできねえクソどもにな!」
そういえば元聖女様のラシィも、元老院管轄の魔法学院に通っていたと聞く。そこを卒業しないと一人前の魔術師として信用を得られず、北部で魔術師として活動することは難しいという。
恐ろしく高い授業料を取られるので、必然的に奨学金が必要になり……後は奨学金返済という首輪で元老院への就職内定コースだ。
どうやらこのシステム、多くの魔術師を確保するのに役立っているらしい。よくできてる。
もうちょっと情報が欲しいので、彼を煽ってみることにするか。
「使い走り風情が、大きな口をきくものだ。貴様など、俺が元老院と対話するための窓口に過ぎぬ」
「ああそうだよ、悪いか! どうせどれだけ働いたところで、俺は元老にはなれねえよ! 平民だからな! 魔術局長補佐官が関の山だ!」
元老院が世襲制っぽいことは以前から耳にしていたが、やはりそうか。
「栄達が望めぬというのに、元老院にしがみつく犬め。そのくせ飼い主にまで吠えるとはあきれた男よ」
「うるせえ! 奨学金さえ全部返済したら、あんなクソ職場いつだって辞めて……」
威勢良く叫んでいたカイトが、急に黙る。
「……くそっ!」
一応宮仕えだし、辞めるには相当な覚悟がいるだろうな。
その場の勢いで生きてる俺と違って、ちゃんと先々のことまで考えている。
カイトの怒気がおさまってきたので、俺は少し口調を変えてみることにした。
「元老院を去る覚悟がないのなら、雇い主の悪口など言わぬほうが身のためだぞ? 給金分の恩義はあるだろう?」
「あるもんか! あいつらは俺たちのことを、使い捨ての備品ぐらいにしか思ってねえんだ! 代わりはいくらでもいるからな!」
カイトの叫びがまたヒートアップしてきた。今度は止まらない。
「戦場だろうが魔族の支配地域だろうが、平気で送り込みやがる! 死んでも知らん顔だ! それもくっだらねえ仕事ばかりだ! 無意味で非効率的で、何のために命懸けてるのかわかんねえよ!」
カイトは一気に叫び、力任せに机を叩いて、そしてガックリとうなだれる。
「ちくしょう、せめてまともに仕事させろよ……俺はただ……人間らしく扱って欲しいだけなのに……」
カイトの境遇を見て、俺は自分の前世を思い出していた。
似ている。
俺も最後の夜に、同じようなことを呟いた記憶がある。
あの後、俺はどうなったのだろうか。思い出せない。
気がつけばこんな場所にいて。
そして今、同じ境遇の青年と向き合っている。
人間ってのは、異世界でも同じような悩みを持つもんだな。
考えてみれば、同じ人間なんだから当たり前か。細部に違いはあっても、いつも同じような社会を作る。
人狼に生まれてきた俺は幸せ者かもしれないな。
心情的には、カイトをとても応援したい。
しかし俺は魔王軍に所属する人狼で、彼は元老院の職員、つまりは俺の敵だ。
同情心で敵に手を差し伸べることはできない。俺にも副官としての責任がある。
……でもまあ、敵をうまいこと利用するのなら、別にいいんじゃないだろうか。
そう、これは謀略だ。
俺は悪役っぽい声で、カイトに告げる。
「貴様、元老院が憎いのか?」
「ああ、憎いよ……もうこんなクソみたいな生活は嫌だ……寝るときいつも、朝が来るのが憂鬱になる……」
お前は俺か。
寝たら朝が来ちゃうからな。寝ないと翌朝もっとキツいんだけど。
よし、それなら悪い人狼が、憂鬱な朝を永遠に来ないようにしてやろう。
「だったら俺が、元老院を滅ぼしてやろうか?」
カイトがハッと顔を上げる。
「な、何を? ていうかお前、俺を殺さないのか?」
俺は邪悪に笑ってみせる。
「お前など殺して何の意味があるのだ? つまらん質問をするな。今質問しているのは俺だ」
俺は人狼の姿のまま、じりじりとカイトに近づく。
彼は後ずさりするが、壁際に追いつめられた。
そして俺はもう一度、彼に尋ねる。
「さあ答えろ。元老院を滅ぼしてやろうか?」
カイトは顔面蒼白だった。
そうでないと困る。ここで深く悩まずにうなずくようなヤツだったら、先々が不安だ。
だから俺は念を押す。
「貴様は元老院の犬だ。その犬が敵の手を借りて、飼い主を滅ぼそうというのだ。貴様は卑劣な裏切り者だ」
俺の言葉に、カイトは逆に覚悟を決めたような表情を浮かべた。
「あ、ああ……そうだな」
不敵な、とてもあくどい笑顔だ。
だが彼が見せた表情の中で、一番いい表情だった。
カイトは額にじっとりと汗を浮かべながら、小さくうなずく。
「裏切ってやる。ああ、裏切ってやるぞ」
「これは悪魔の取引だぞ。貴様は内通者として利用され、俺に骨までしゃぶり尽くされる。その覚悟はあるのだろうな?」
するとカイトはますますいい笑顔になった。
「いいぜ。あんたに何もかもくれてやる。だから、あんたの力を貸してくれよ。このクソみたいな人生をぶっ壊す力が欲しいんだ」
彼の汗の匂いからは、嘘をついている感じはしないな。
よし、内通者を手に入れたぞ。
ちょっと精神的に不安定そうな内通者だけど、大事に使わせてもらおう。
俺は人間の姿に戻ると、カイトに告げた。
「お望み通り、元老院など滅ぼしてやろう。だから知っていることを全部話せ。そして全てが終わったら……」
カイトが少し緊張した表情を浮かべる。
「俺を……殺すのか?」
まさか。
俺は首を横に振って、なるべく普通に笑ってみせた。
「俺のおごりで一杯やろう。最近、リューンハイトにベルーザ料理を食わせる店ができてな。変わった店だが、なかなか美味いんだ」
カイトは実に変てこな表情を浮かべて呆然としていたが、やがて急にぽろぽろ泣き出してしまった。
「おい、どうした?」
「いや……そのっ……な、なんでもねえ……」
顔を腕でごしごし拭いながら、まだ泣いている。
こいつ、感情の起伏がメチャクチャ激しいな。だいぶ色々溜めこんでいたらしい。
誰だ、こんなのを使者にしたのは。
その辺りも、じっくり聞かせてもらうとしようか。




