巡礼者の守護聖人
113話
俺は魔王の副官としての仕事だけでなく、評議会のメンバーとしても会議や打ち合わせに追われていた。
それに新米太守のシャティナに、あれこれと教えることがある。といっても俺が教えられるのは、穏健な交渉のやり方ぐらいだ。
だが一番大事な仕事は、ミラルディア同盟の動きを監視することである。
南部がミラルディア連邦として独立した後、北部はいつしか「北部同盟」と称されるようになっていた。
南部は「南部連邦」である。同盟と連邦だけではややこしいからだろう。
だがこれは、ミラルディア連邦の存在感がそれだけ大きいということかもしれない。「離脱」ではなく、「分裂」として受け止められている。
ということは、北部同盟も事態を深刻に受け止めているはずだ。
そのはずなのだが、意外と北部同盟からの動きがない。少なくとも軍事的な動きは全く見られなかった。
ただこちらも、入ってくる情報が乏しくなっている。
北部同盟の元老院が、南部連邦との交易を禁止したためだ。
おかげで交易商人から入ってくる情報が激減してしまった。魔王軍には人間の密偵がいないので、都市に入って情報収集できる者が少ない。
そんなとき、輝陽教のユヒト司祭が協力を申し出てくれた。
「北部同盟の市民は、ほとんどが輝陽教徒です。中には元老院に対して批判的な者もおりましょう。そういった者たちから、巡礼者を通じて情報を集めて参りましょう」
穏やかな笑みで物騒なことを口走るユヒト司祭。かつてトゥバーンから四百の兵を呼び込んだ謀略家ぶりは相変わらずだ。
もちろんこの申し出が純粋な厚意だけでないことは明白だ。
だから俺は先手を打って、彼に見返りを約束する。
「そのためにも、巡礼者を手厚く保護しよう。交易路に砦を設け、治安維持にあたらせる。危険を感じたら砦に駆け込めば大丈夫だ」
「おお、ありがとうございます。それとミラルディア連邦内の自由な通行許可も、お願いできればと」
物腰はあくまでも柔和だが、ぐいぐい切り込んでくるな。
しょうがない。巡礼者からの情報は喉から手が出るほど欲しい。
「連邦の市民については通行を許可できると思う。次の評議会で相談してみよう」
ユヒト司祭は穏やかにうなずいたが、こう付け足した。
「そうそう、大事なことをお願いするのを忘れておりました」
まだ要求するつもりか。
するとユヒト司祭は、にっこり笑う。
「どうか輝陽教徒だけでなく静月教徒の方などにも、この措置の適用をお願いいたします。信仰に生きる者たち全てに、陽の光が降り注ぎますように」
……この人もずいぶん変わったな。
俺は笑顔で応じる。
「わかった。治安上や防諜上の問題がなければ、宗派を問わず全ての巡礼者を保護しよう」
この措置は評議会ですんなり認められ、俺はリューンハイトの輝陽教神殿や静月教神殿などから合同で「巡礼者の守護聖人」という称号をいただいた。
お世辞みたいなものだというのはわかっているが、血生臭くない異名は初めてだ。ただ、ちょっと照れくさい。
南北間の交易は禁止されたが、本当に実行してしまうと市民生活や都市の税収を直撃するので、実際にそれを守っている都市ばかりではない。
いくつかの交易路が使えなくなってしまったが、交易は続いている。
今度は交易商のマオがやってきた。
「北東部の採掘都市クラウヘンの動向が変です。岩塩の採掘は続いているのですが、岩塩商組合があまり売ってくれなくなりました」
「掘った岩塩はどこに行ったんだ?」
するとマオは首を傾げる。
「私が調べた限りでは、街中には降りてきていません。採掘場所で、そのまま貯蔵しているとしか……」
妙な話だ。
俺はマオに秘密の任務を与える。
「クラウヘンの動向を逐一報告してくれ。北部同盟内で不協和音があれば、そこに食い込みたい」
「わかりました。その見返りといってはなんですが……」
「言ってみろ」
「ロッツォから仕入れる塩の値段が高すぎるので、ベルーザに塩田を作っていただけませんか?」
両都市間で価格競争をさせて、塩を安く仕入れたいらしい。
どいつもこいつも悪党だらけだな。
だが塩の安定供給は重要だ。クラウヘンから岩塩の供給が途絶えると、ロッツォの塩田に頼るしかなくなる。
ロッツォの塩田が災害や戦乱で破壊されれば、塩の供給に問題が生じてしまう。良い機会かもしれない。
ベルーザとしても、塩田を持つのは悪い話ではないはずだ。
問題は塩を独占しているロッツォが納得するかどうかだが、何か手頃な条件と引き替えに承諾させるとしよう。魔王軍からの技術供与あたりがいいかもしれない。
「……わかった、評議会で相談してみよう。無理だった場合は、違うもので代価を支払う。いいな?」
「ええ、もちろんです」
こうして魔王軍はクラウヘンを重点的に監視しつつ、北部同盟全体に薄く広く監視網を敷いた形になった。
おそらくあっちも、同じような方法でこちらを監視しているのだろう。
防諜としてダミー情報を流すことで、一応ささやかながらも努力はしている。
俺も他の太守たちも国家規模での諜報戦なんて初めてなので、素人の思いつき程度しかできていない。
それからしばらくすると巡礼者や交易商たちの情報が徐々に集まってきて、現在の北部同盟の全体像が少しずつ見えてきた。
現在、北部同盟は東西で微妙に歩調が合わないらしい。
東部は迷宮都市ザリアと戦争をしたことを意識していて、ザリアからの報復に怯えている。
一方西部は魔王軍の侵攻を受けた痛手から、戦いには消極的だ。
さらに東部でも最北端のクラウヘンは、元老院とかなり対立しているらしい。クラウヘン太守は元老院への出頭を拒否するなど、関係は険悪だという。
しかし理由は不明だ。ラシィがクラウヘンの家族に宛てた手紙ぐらいじゃ、さすがにそこまで効果はないだろうしな。
元老院は太守たちを束ねることで、実質的にミラルディア北部を支配している。
その太守が反抗的となれば、元老院にとってはかなりまずい状況のはずだ。
また太守暗殺とかしなきゃいいんだが。
そんなことを考えつつ、俺はザリアへ向かう。
最近の俺は定期的にザリアに出向いて、城壁工事をチェックすると同時にシャティナに交渉のコツを教えている。
最近は俺の執務室も用意されていて、さながら俺の前線基地だ。
「先生、お待ちしていました! 迷宮都市ザリア、本日も異状ありません!」
「あっ、センパイ! シャティナはよく頑張ってるよ!」
……なぜかフィルニールがよく遊びに来ているのだが、こいつ本当に太守の仕事してるんだろうな?
俺はシャティナとフィルニールに、交渉の練習をさせる。
「なんでボクまで……」
「お前も槍や蹄を使わない交渉を覚えろ」
今日は模擬的に「ザリアの犯罪者がトゥバーンに逃げ込んだときの交渉」を練習させることにした。
「フィルニール、この犯罪者は殺人犯だが、優秀な技術者ということにしよう。そしてトゥバーンに亡命を求めている」
俺がそう言うと、フィルニールがまじまじと俺の顔を見上げてきた。
「でも悪いヤツなんだよね? じゃあ殺すよ」
「いきなりか」
魔族ならこんなもんだろう。
するとシャティナが慌てる。
「待て、ザリアの罪人はザリアの法で裁く! フィルニール卿は罪人を捕らえ、引き渡してくれ」
「えーやだ、めんどくさい」
「そんなこと言っていると、トゥバーンの罪人がザリアに逃げ込んでも捕縛しないぞ」
「いいよ、トゥバーンから出ていったのなら関係ないもん」
フィルニールが笑っているので、シャティナが絶句している。
俺はフィルニールの頭をつかんだ。
「よくないだろ!? ちょっとお前、こっちに来い」
シャティナよりフィルニールのほうが問題児だった。
するとシャティナがぽつりとつぶやいた。
「先生、私は本当に未熟だな。罪人一人取り返すこともできないのか……もっと勉強したい」
「いい心がけだ」
俺がうなずくと、フィルニールが笑顔でシャティナを励ます。
「シャティナ、がんばってね!」
「お前も少しは人間のルールを学べ」
「センパイ、痛い、痛いってば!」
人間と魔族が分かり合うには、まだしばらく時間が必要なようだ。




