迷宮の罠(後編)
102話
さっきから遭遇するのは弓やクロスボウで武装した刺客ばかりだ。
俺が一番苦手な相手である。俺は遠吠え以外の遠距離攻撃ができないのだ。
これは他の人狼もそうなので、ちょっとまずい。
人狼隊をザリアに突入させることも考えたが、敵味方が混在する市街戦では苦戦は確実だ。
「ここも敵だ」
俺は拾った手鏡を使って曲がり角の様子を確かめながら、首を振った。
長い渡り廊下の両側に建物があり、その屋上に所属不明の射手が二人ずついる。まず間違いなく敵だろう。
俺だけなら駆け抜けるぐらいは簡単だが、アイリアたちを連れていてはそうもいかない。
かといって敵を始末しようにも、同時に倒すのは無理だ。
手間取っている間に応援を呼ばれると囲まれてしまう。
抜き身のサーベルを持ったままのアイリアが、額を拭う。
「どうしてもシャティナ殿を逃がす気はないようですね」
「太守の跡取りだからな」
太守というのは誰でもなれる訳ではない。
聡明なだけではだめだ。街の有力者との人脈は不可欠だし、市民への知名度も必要になる。周辺の地理や歴史、文化にも詳しくなくてはいけない。
そうなると必然的に、候補者は太守の子息や弟子などに限られる。
ザリアにとって、シャティナは極めて重要な人材なのだ。
しかしそうなると、このまま人狼隊に合流するのは難しいか。
ザリアの建物の屋上は監視塔として機能するようになっていて、どこを通っていてもいずれ必ず見つかってしまう。
迷路は侵入者を拒むと同時に、侵入者を生かして帰さないための装置でもあった。
特に街から出た瞬間が一番危ない。周辺に遮蔽物が何もないので、アイリアたちを矢から守るのが難しい。
多少の危険を冒せば何とかなりそうな気もしたが、俺は逃げるのをあっさりと諦めた。
「シャティナ」
「な、なに?」
俺を見つめる少女に、俺はこう言う。
「太守の後継者に相談だ。今から俺が言う条件に合う場所があれば、そこに案内してくれ」
「わかった」
そして俺たちは再び、迷宮の中をさまよい始める。
通路は次第に狭く複雑に入り組んでいき、そしてひとつの扉の前で終わった。
一見するとただの民家に見える。
「本当にここなのか?」
「うん。ここならヴァイト殿の指定した条件に合ってる」
「よし、じゃあここで勝負をつけるぞ」
俺はアイリアとシャティナとともに、扉の奥に進む。
俺は二人に必要な魔法をかけると、物陰に隠れるように指示した。
後は俺の仕事だ。
俺は自分に解毒の魔法を念入りにかけた。それから、矢除けの魔法を気休め程度にかけておく。
軽い物体が高速で命中しそうなときに、自動的に魔力で衝撃波を起こして軌道をそらす魔法だ。
ただ意外と燃費が悪く、一度使うと消えてしまうので、あまりアテにはならない。矢の威力や角度によっては弾きそこねることもある。
最後に消音の魔法を唱える。
これで俺の周囲からは、あらゆる物音が消える。詠唱が必要な魔法も使えなくなるので滅多に使わないが、今回は重要になるだろう。
そして必要な魔法をかけ終わったところで、扉が開かれる。
この場所は「書籍を日差しから守るため」という口実で、窓はほとんどない。天井付近にある小さな窓は全て分厚い戸で閉じられているので、書庫の中は真っ暗だ。
だから追跡者たちは慎重に様子を見ながら、火を灯して中に入ってくる。
予想通りだ。
俺はそっと、闇に身を沈める。
俺がシャティナに指定したのは、「暗い閉鎖空間」だ。入り組んでいると、なおいい。
ここはまさに、その条件にぴったりだった。
ここはザリアの大書庫。体育館ほどの広さの建物に、背の高い書棚がずらりと並んでいる。さながら迷路のようだ。
だがまともな印刷技術のない世界で、ザリアのような貧乏都市が高価な書籍をそろえられるはずはない。
ここにある本のほとんどはダミーだ。本が詰まっているように見える隠し扉だったり、隠し戸棚だったりする。
この大書庫はザリア太守の避難場所であり、同時に敵を誘い込んで暗殺する処刑場でもある。
通称、「ザリアの牙」。
真の姿は太守の一族しか知らない、秘密の場所だ。
一カ所しかない入り口が開いて、何者かが集団で入ってくる。
行商人や巡礼の格好をした連中だが、もちろんここに普通の人間が入ってくるはずはない。
俺は書棚の上から迷路全体を見下ろし、闇に潜んだまま様子を見守る。
どうやら敵は手分けして探索するようだ。
ここの通路は恐ろしく狭いし、多人数での行動は不利と判断したのだろう。
では、狩りを始めようか。
人狼の専門分野だ。
書棚の迷路は正解のルートが一本しかない。
しかし正解もかなり遠回りするようにできているので、俺はまず手近なところから始末することにした。
無関係な場所に死体を転がしておけば、敵はこちらに集まってくるだろうしな。
俺は単独で行動している巡礼風の男の背後に、音もなく降り立つ。
一瞬後、巡礼風の男は首から血を噴き出して、やはり音もなく崩れ落ちた。彼が持っていた燭台の火を、彼の血で消す。
そして俺は再び、闇に消える。
正解のルートを歩いている行商人っぽい二人組に、俺は書棚の上から追いついた。
この先にアイリアとシャティナのいる隠し部屋がある。
書棚が隠し扉になっているので、そう簡単には見つからないはずだが、もちろん近づける訳にはいかない。
俺は後方の男に上空から飛び蹴りを放ち、頭蓋ごと頸骨を砕いて絶命させる。
静寂に包まれたまま、死体が前のめりに倒れる。
相棒が倒れてくるのに気づいて、残った男が振り向く。
その首が宙を舞った。
俺が侵入者を半数ほど始末したところで、ようやく彼らは自分たちが襲撃を受けていることに気づいたらしい。
だが反撃を受けることは覚悟していたようで、彼らは仲間の死体を見ても怯まなかった。
それどころか、外に待機している仲間たちを呼び込む。
どうやら数で押し込む気らしい。
今度は数人ずつの班になって、声を掛け合いながら制圧するつもりのようだ。
だが大書庫の通路は狭い。行き止まりに突き当たった瞬間、戻ろうとする先頭と、進もうとする後尾との間に乱れが生まれる。
だからその瞬間を襲う。
「五班だ、また行き止まりだ!」
「こちら二班、ヤジムたちの死体を見つけた! 人狼にやられているぞ!」
「三班、応答しろ!? どこにいる!?」
襲撃を受けた班は例外なく、仲間に向かって叫んだ。
しかし俺が近くにいる限り、助けを求めても誰にも聞こえはしない。
暗殺者たちは徐々にパニックに陥っていく。
「こちらは一班! おい、生きてる班はいないのか!?」
「六班だ! 今ここに四班の……」
「おい、どうした!? 誰か! 誰かいないのか!」
遠くから誰かの叫びが聞こえているが、六班はもう永遠に返事はできないだろう。
たった今、俺が全員殺したからだ。
「こ、このままじゃ皆殺しにされるぞ! 撤退しよう!」
「ダメだ、任……」
そして大書庫は静かになった。
俺は書棚の上から、自分が巻き起こした殺戮を見下ろした。
ざっと四十人ほどが、そこかしこで血の海に沈んでいる。元老院の手駒に過ぎない彼らだが、自業自得だ。
俺は壁に耳を当てて外の様子をうかがうが、もう人の気配は完全に途絶えていた。中にも生きている敵はいない。
俺は隠し部屋に戻ると、アイリアとシャティナに告げる。
「俺たち以外に生きている人間はいない。とりあえずは大丈夫だ」
通路に出たシャティナはランプの光で辺りを照らし、息を呑む。
「こ、これっ……あなたが、あなたが全部やったのか!?」
「そうだ。書庫を血塗れにしてしまってすまない」
「いや、そういう話じゃ……」
俺も人狼になってだいぶ感覚が麻痺しているのだが、子供には刺激が強すぎたかもしれないな。
シャティナは険しい顔でうつむいてしまう。
「私にこれだけの力があれば、父上をお守りできたのに……」
「無茶を言うな」
違う意味で刺激が強すぎたようだ。
この子、気性はかなり激しいらしい。
考えてみれば、太守の娘が死体ぐらいでうろたえるはずがないか。
そのとき、遠くから人狼の遠吠えが聞こえてきた。あれはファーンお姉ちゃんだな。
「こ、今度はなに?」
怯えているシャティナに俺は教えてやる。
「心配しなくていい、仲間の遠吠えだ。こちらに向かっているようだな」
良かった、これで女性の扱いはファーンお姉ちゃんたちに任せられるぞ。
貴婦人たちのエスコートから、やっと解放されそうだ。