Lood..005 始まる終わり(2)
ハっと目を見開き立ち上がる夏輝。愛莉も同様の表情で立ち上がり、互いに視線を合わせる。
「愛莉、乃愛は…乃愛は今どこにいるんだ!?」
「あたしの部屋に――…」
『部屋』の単語だけで、突然走り出す夏輝。
「ちょっと夏輝!!待ってカギ――…ちょっと!」
愛莉は部屋のカギとなる、大次郎に投げ渡していた社員証を取り、走る夏輝の後を追う。慌て大次郎も追って走り出す。
突然管理ルームを走り出ていく3人の背を見る宙は、「何だ?」っと首を傾げると――…瞬間、何かを閃いたかのように机を叩き立ち上がる。そして3人が走り去った方とは反対方向に駆け出していった。
◆◆◆――…
走る夏輝が、愛莉の部屋となる『Sub Manager Loom』と書かれた扉の前に到着。走る勢いそのままに扉にとびつき、黒い鉄製の両スライドで取手の無い扉を叩く。
「乃愛!!おい乃愛!!」
自動ドアにも似た扉を何度も叩き、左右の扉の接地面の隙間に指を入れ、無理矢理こじ開けようともする夏輝。
そこに愛莉と大次郎も追いつき、扉の横にあるセンサーに愛莉が自分の社員証を当てる。すると扉はプシュ!っと音を発てて開いた。スライドと同時に、倒れるように室内に駆け込む夏輝。
室内は約20畳程の部屋で、大きなデスクと真っ白の革製のソファー。デスクにはファッション系の雑誌や資料が散乱しており、室内には数体のマネキンが、ファンタジー風の衣装を着て立っている。これはゲーム内の衣装や装備品のデザインを愛莉が担当しているからだ。初めて入った大次郎は、数体のマネキンに驚きの様子。
そしてその室内のソファーの上…乃愛が頭にピンクのNOAHを装着した状態で、キャラクターものの毛布をかけて横たわっていた。
「乃愛!!」
横たわる乃愛に駆け寄る夏輝。肩をそっと掴み、その顔を覗き込むと……黒のスモークがかるバイザーにより目元は確認出来ないが、乃愛は眠ったように浅い呼吸を静かに繰り返している。これはログインによる強制睡眠からのもの。
「の…乃愛…」
「…スー……スー…」
軽く体を揺らし、呼びかけるも返事は無い。
NOAHの額部分には、ユーザーログイン状況を表示する液晶画面があり、横には電源を現す小さなランプが付いている。ログイン状態ならば緑のランプ。ログインはしていないが、電源がONの待機状態なら赤いランプが点灯している。そのランプを確認する為、震える手でそっと乃愛の前髪を掻き分ける夏輝。
すると――…見えたのは緑のランプ。しかもその緑のランプは点いては消え、点いては消えの点滅を繰り返していた。これはログイン状態である事の証明。しかも現実世界とゲーム世界を繋ぐ信号を見失った状態であるという事を意味していた。
「の…乃愛…嘘だろ…」
自分の開発したゲームにより、体と意識を切り離された妹を、震えた声で強く抱きしめる。
「夏輝…」
身を震わす夏輝の肩に、そっと手を置く大次郎。
「な、なぁ…今ここに乃愛ちゃんはいるんだ。ならこのNOAH調べりゃ、助け出せんじゃねぇのかよ?」
「………」
「おい夏輝」
「…それは無理よ」
無言の夏輝に代わり、その問いに答えたのは愛莉。
「え…何でだよ?」
「IDやパスワードの情報は、NOAHの内側…こめかみと接地する所に入れるメモリーカードに入っているの。器具の外側から調べる事は出来ない上、強制的に取り外した瞬間…2度と意識が戻らなくだけ…」
「マジかよ…」
「カプセルNOAHなら、夏輝と宙の2人で外部からIDを調べる事も出来た……なのにあたし…カプセルNOAHのセッティングが面倒だからって、自分のNOAHでログインさせちゃった…」
俯き、握りしめた拳に肩を震わせる愛莉。すると夏輝はゆっくりとふらつきながらも立ち上がる。
「夏輝…あの…その――…」
っと、言いかけの愛莉の言葉を聞かずして、その横を無言で通り過ぎる夏輝。
「…夏輝…」
「………」
「夏輝、待って!」
振り返る事なく出口に向かっていく夏輝の腕を、愛莉が掴んだ。しかし夏輝は振り返らず、あいかわらずの無言。
「なつ――…」
「急ごう。時間が無い…」
弱々しくも感情無き声を残し、愛莉の手をすり抜けていく掴む腕。その腕は、内側から扉を開くボタンを押すものとなり、ゆっくりと外に出ていく夏輝の体。
外に夏輝が出ると共に閉まる扉。室内に残る大次郎の前で、離れた手をそのままに、呆然と立ち尽くす愛莉。
「…あたしの…せいだ……あたしの…」
小さく呟き、膝から崩れ落ちる愛莉。するとその頭を、大次郎の振り抜く手がバシ!っと叩く。
「痛っ!」
「何ヘコんでんだ、らしくねぇ」
「『らしく』って…だってあたしのせいで乃愛ちゃんが…」
「お前のせい?…まぁ俺はバカだから、単純な考えしか出来ねぇ。だからこれを『事故』って言っていいかわかんねぇけど、お前が悪い訳じゃねぇと俺は思うけどな」
「何言ってるのよ、悪いのはあたしが――…」
「お前がホントに悪いなら、あの夏輝でもさすがに怒鳴るだろうよ。でも夏輝はお前の事責めたか?」
「………」
「…いっそ責められた方が楽ってか?」
少し黙り、小さく頷く愛莉。
「夏輝だってそうなんじゃねぇの…いっそお前を責めた方が楽、ってな」
「………」
「それに誰が悪いとか、今はそういう事とかじゃないだろ?」
「…わかってる…わかってるけど…」
「あ~あっ!いつもの勝ち気なお前はどこ行った?まだ助からないって訳じゃないんだろ?息だってしてる」
「でも時間が…」
「可能性が0じゃないなら諦めんな。それに気持ちがモヤモヤしてんなら、早く夏輝追っかけて、ちゃんと謝ってこい。んで1発ひっぱたかれてこい!」
っと言う大次郎は、愛莉の顔をバシン!っと音を鳴らして挟む。
「ふぎゅ」
「時間が無ぇのは事実だろ。ヘコんでる時間も惜しい…行こうぜ、愛莉」
「………」
「夏輝に愛莉、お前らみたいな天才が2人もいるんだ。絶対なんとかなる。だから行くぞ」
「……うん」
大きく頷き立ち上がる愛莉。すぐさま走り出し、自分の部屋を飛び出した。
すると前方に、トボトボとふらつき歩く夏輝の背中が見えた。まさに絶望と言う名がふさわしい顔つきをした夏輝の横を、愛莉が走り抜け、数歩先で振り返る。
「夏輝…乃愛ちゃんの事、あたしが絶対助け出す。そしたら…その時ちゃんと謝る。アンタと乃愛ちゃんに謝るから…許してくれるまで謝る」
「………」
「…絶対助け出すから」
っとだけ言って走り出す愛莉の背を、ただ無言で見つめる夏輝。するとその後ろから走り抜ける大次郎が、夏輝の頭を叩いていく。
「何ちんたら歩いてんだボケ男!乃愛ちゃんだけじゃねぇ、18万人救い出すんだろ!」
「………」
「走れバカ!!おいてくぞ!!」
「………」
「たった1人の妹だろ!兄貴だったら守り抜け!!」
「っ…!!」
叱咤する大次郎の言葉に、父との約束を思い出す……ハっと我に返る夏輝は、離れていく2人の背中を見つめ、自分の頬を叩いた。そして大きく頷き、2人を追うように走り出す。
すると数秒後、先を行く愛莉が曲がり角を曲がった瞬間…「きゃ!」っと言う悲鳴と共に、床にしりもちをつくように倒れ込む。
そこに追ってきた2人が「大丈夫か!?」っと駆け寄ってくる。すると転んだお尻を擦る愛莉の向かい側に、同じようにしりもちをついた女性が1人。スーツ姿でも、白衣を着ている訳でもない。ちょっと派手めな服装をした金髪ロングヘアーの女性。
「いたたた…ちょっと何なのよあなた…」
「ご、ごめんなさい…道に迷っちゃって…」
愛莉とぶつかった女性を見て、「誰?」っと夏輝を見る大次郎だが、その夏輝自身も見知らぬ女性。ただ「さぁ…」っと首を傾げるだけ。すると愛莉もようやく相手を確認。
「『道に迷った』って…?」
「飛依斗君に連れてこられたんですけど、出口がわからなくて…」
「飛依斗にって…え?あなた誰なの?」
「え…あの…私――…」
◆◆◆――…
場所は戻り、管理ルーム内――…
突如勢いよく開く扉と共に、愛莉に夏輝、大次郎と続き管理ルームに駆け込んできた。そして最後に入室したのは、愛莉とぶつかったあの女性。
怒りを露にしたように、息遣いの荒い愛莉は辺りを見渡し、管理ルーム出入口付近の椅子に座る飛依斗に目を止める。飛依斗は腕を組み、両足を広げて「グーグー」とイビキをかいて寝ている様子。
その飛依斗に向かい、踏み出す足音を響かせて迫っていく愛莉。
「飛依斗…この野郎ォ!!」
怒声と共に飛依斗の胸ぐらを掴み上げ、その身を床に叩き落とした。その勢いで飛依斗は後頭部を強打。衝撃に飛び起きる飛依斗の上に、馬乗りになる愛莉が再び胸ぐらを掴み上げる。
「このバカ野郎!!お前がメインコンピュータ壊したのかァ!!」
「おい愛莉よせ!」
馬乗りになる愛莉の肩を掴む大次郎。しかし愛莉はその手を弾き、飛依斗の顔や頭をめちゃくちゃに平手で叩き始める。
「ヤメろ愛莉!」
「うるさい!!コイツが…コイツがあたしらの夢を壊したのよ!!コイツが…コイツがァ!!」
「…――ってぇなコラァ!!」
愛莉の平手を弾きながら、飛依斗の右手が愛莉の髪を掴みとる。そしてその髪ごと愛莉を投げ飛ばす。悲鳴と共に転がる愛莉に、起き上がる飛依斗は足蹴を放つ。
「何しやがんだこのクソ女!!」
腹部を蹴り、蹴った足で愛莉の頭を飛依斗が踏みつけた――…瞬間、飛依斗の掴みかかるのは夏輝。
「っ――…今度はテメェか、もやし室長!!」
飛依斗は逆に夏輝を掴み返すと、その顔を殴り飛ばす。高校時代にボクシングで全国1位となった事のある飛依斗の1撃に、机にしか向かっていなかった夏輝の体は吹き飛んだ。
すると180センチを少し越えた飛依斗の更に上…上背、体格にも勝る大次郎の手が、飛依斗の胸ぐらを掴み上げた。
「…っだよハゲ」
「テメェ…俺の親友らに手ぇ出しやがって…」
「ハっ、先に手ぇ出したのそっちのクソ女だろうがよ」
「クソはテメェの方だろ。女に手ぇ上げる方がな」
「なら…自分を産んでくれた母親を殺したアンタは、いったい何なんだよ?」
「ッ…!!」
「あ~、人殺しってのは…ただのゴミか」
鼻で笑い、まさに『ゴミ』を見るような目で大次郎見る飛依斗。
「っ…テメェ…!!」
「…――どいてッ!!」
握る拳を振り上げようとした大次郎の体を押し退け、愛莉が飛依斗に迫り、その頬を平手で叩く。
「何も知らないくせに、人の過去に口出しすんじゃないわよ!!」
「いちいちうるせぇ女だなァ!!」
っと、愛莉を殴り返そうとした手を大次郎が止め、飛依斗の体を突き飛ばす。
突き離された飛依斗は、舌打ちと共に愛莉と大次郎を睨み付ける。そして、殴られた頬を押さえながら起き上がる夏輝に目線を向け、もう1人の存在にようやく気づく。
「っ!お前っ…!?」
目を見開く飛依斗の視線の先……そこに立つのは、愛莉とぶつかった女性であり、自分がメインコンピュータルームに連れ込んだ女性でもあった。その女性を見るなり、一瞬表情が強張る飛依斗。
「その娘から聞いたわよ…アンタがメインコンピュータ止めたって事!」
「ハ、ハァ!?オレが!?」
「そうよ!全部アンタのせいよ!」
「おいおい待てよ、全部オレのせい?ふざけんなよ、オレは何もしてねぇって。この女がオレを蹴飛ばすから悪いんだろ?」
「わっ、私…!?」
「そ、お前。だからオレはなぁ~んも悪くねぇ」
そう言って、相手をおちょくるように両手を広げて見せる飛依斗。
「アンタねぇ…ふざけてんのはどっちよ…自分がどんだけの事したかわかってんの!?」
「わかんねぇなぁ~全然。だってオレは悪くねぇから」
「悪いに決まってんでしょ!アンタが原因なのよ!?」
「だからオレじゃねぇって言ってんだろ?あの女がオレを蹴り飛したから――…」
「アンタが連れ込まなきゃよかっただけでしょ!!」
「何、妬いてんの?」
「このっ…ふざけんな!!」
再び飛依斗に掴みかかろうとした愛莉を、大次郎の腕が止める。
「っかぁ~、野蛮な女性はモテませんよ~?愛莉ちゃん。せっかくの美人が台無しだ」
「ッ!!この…っ!」
止める腕を振り払い、飛依斗向かおうとする愛莉を、再び制止する大次郎の腕。両者を引き離すように愛莉の身だけを押し返す。そして飛依斗に向き合う大次郎。
「いい加減にしろよ、クソガキ…」
「うるせぇよ、ハゲ。人殺しが今更正義の味方ぶってんじゃねぇよ」
「…ならお前も、これで"人殺し"の仲間入りだな…18万人を殺した殺人鬼野郎」
「オレが18万人を殺した殺人鬼?…ふざけんなよ、母親殺しの大次郎くーん」
「…確かに俺は親を殺した…でも今はその事じゃねぇ…お前がメインコンピュータを落とした事だろ」
「だからオレじゃねぇ。その女がやったんだろ」
「私は違う!あなたがヘンな事するからでしょ!」
「あそこまでついてきておいて、バカみてぇに抵抗する方が悪いんじゃねぇの?…あ、もしかして処女とか?あんなトコで初めては嫌ってか?」
「ちっ、違うわよ!…もう私帰ります!」
っと歩き出そうとした女性の腕を、愛莉が掴みとめて強引に自分に向かせる。振り向かされた彼女の頬を平手で1発。
「っ!…何するのよ!?」
「バカな男についてったアンタも同罪よ!!こっちは人の命預かってやってる仕事場よ!部外者が軽々しく入ってくんじゃないわよ!!」
その愛莉の言葉に、飛依斗は1人笑い声を上げ、叩かれた頬を押さえる女性に歩み寄る。
「ほぉ~ら部外者。お前がここに来るから悪い」
「ちっ、違う…私じゃない!連れてきたのはあなた!だからあなたが悪い!!」
「は?お前だろ」
「違う!!全部あなたが悪い!!」
「黙れぇッ!!」
始まる口論を切るように、男の怒声が鳴り響いた。突然の声に誰もが動きを止め、ゆっくりと声の主に視線を集めゆく。
その元にいたのは夏輝。指の先の色が変わる程に手を机に押しつけ、俯き肩を震わせている。
「彼らを責める前に…メインコンピュータが落ち、その対処が出来なかった僕らにも責任はある……いや…生み出した僕自身に…」
その言葉を聞くや否や、飛依斗はパチン!っと手を叩き、夏輝に歩み寄っていく。
「さすが室長!よくおわかりでいらっしゃる。そ、室長、アンタが1番悪い。よくぞ認めた!」
そう言って夏輝の頭を、子供を褒めるように「よしよし」と撫でる。そして今度は、その撫でた手で夏輝の頭をペシペシ叩き始めた。
「自分らが悪いのに、人様に罪を擦りつけるような部下持つと大変だねぇ~?それにオレ、いきなり殴られたんだよねぇ~アンタの部下に。アンタにも掴みかかられた…『善良な市民に危害を加え、僕が18万人僕が殺しました~』って、警察でも連れてってやろうか?な・つ・き・さ~ん」
夏輝の頭を掴み、グラグラと揺らしてみせる飛依斗。その光景に、愛莉と大次郎の苛立ちは完全に爆発。抑えられぬ感情が身を震わせ、2人の足が前に出る――…次の瞬間、
「このバカ者がァッ!!」
夏輝とも違う、響き渡る怒声が室内の全ての時を止めた。