Lood..002 ようこそトイズ・クランピア(1)
.
…―――ドッスゥゥンッ!!
「ッ――ふぐォォっ!!」
突如夢の世界から呼び戻す、腹部への衝撃に目覚める青年――【夏輝】
ベッド上から見上げる視界に映るのは、古くさい木目の天井と、肩を越えるくらいの栗毛の髪をした10代半ばの少女が1人。未だ腹部にかかる重圧は、その少女が乗っているからであろう。彼女の表情は、頬をプクっと膨らませた不機嫌そうなもの。全体重がかかっているだろう、ズッシリとした重圧は、この不機嫌な表情からくるものなのか……失礼ながら、重い。
「な…何だよ【乃愛】…」
「『何だよ』じゃないわよお兄ちゃん。コレ!」
上に乗ったままの、乃愛と呼ばれた少女が突き出してきたのは、ボクシングのヘッドギアと似た、グレーのバイザー付きの機具――【NOAH】。
「…ん?…NOAHがどうか――…あっ」
寝起きの夏輝の目は、何かを思い出したかのようにハっ!っと見開いた。すると乃愛は口を尖らせ、手にしたNOAHと称した機具を夏輝の胸に落とし、グっと押し付けた。
「前に約束したでしょ?私のNOAH壊れたから修理してくれるって。さっき見たら、コレ壊れたまんまのヤツじゃん!」
「くっ…苦しいって…の…乃愛…っ!」
「今日友達とクエストの約束してるのに~。これじゃあログイン出来ないってばぁ~」
そう言う乃愛は、ヘルメット程の硬さのあるNOAHで、何度も夏輝の胸を叩く。
「痛っ!痛っ!ごめん!ごめんって乃愛!」
「おーギブアップするかぁ?」
「…ギブアップだ…悪かったよ。忘れてたんだ、ごめん」
「むー…じゃあ早く起きて。そして会社に行こ。【トイズ・クランピア】に」
「はぁ?会社に?何で?」
「『何で?』じゃなーい。NOAH修理の為ですー」
乃愛が言った『トイズ・クランピア』――…それは日本を代表とする大手玩具メーカーの1つであり、夏輝が勤務する会社でもある。
「おいおい…確かに約束守れなかったのは謝るけど、2ヵ月ぶりに取れた休みなんだ…会社は勘弁してくれよ…」
そう言って布団の中に顔を隠す夏輝。するとすかさず!っといったように、乃愛はその布団をガバッ!っと剥ぐ。
「ダァ~メェ~!行~く~のぉ~」
っと、再び夏輝の胸をNOAHが襲い始めた。
「ぐはっ!!痛っ!ちょっ…痛いって乃愛!」
「行~く~のぉ~!」
「わっ、わかった!行くから――…痛っ!ギブ…ギブアップ~!!」
◆◆◆――…
数分後……2人の姿は、お世辞にも綺麗とは言えなく、歩く度にギシギシと床の鳴る狭い玄関にいた。
「ふぁ~~あ…」
靴を履く乃愛の後ろで、大きなあくびをする夏輝。耳隠すくらいの寝グセでボサボサの黒髪を、ダルそうにボリボリと掻く。少しズレた眼鏡はそのまま。少々くたびれた感のあるパーカー、ジーパン姿の兄に、靴を履き終え振り返る乃愛がため息。
「ちょっとお兄ちゃん…顔洗っても寝起き度100%じゃん。そんなんで車運転して大丈夫な訳?」
「じゃあ会社行くのヤメる?」
「行・き・ま・す~」
「いてててっ!ほっぺたつねるな、痛いからっ」
「これなら目が覚めるでしょ?」
「は、はい…覚めました…」
赤くなる頬を擦り、先に外に出る乃愛に続く夏輝。
外は昼前なのか?日が高い。6月の梅雨の季節とは相反した晴天の日。見渡す町並みはのどかな下町風。夏輝の家のような瓦屋根の古風な家が多い。だがそんな平屋の庭先に停められた車は、下町風景にはそぐわない外観を醸し出す、海外製の高級な赤いスポーツカー。
助手席側に走り、「早く早く」と手招く乃愛の姿に、ため息を吐きつつも口元に笑みを浮かべる夏輝。
静かな町並みに響くエンジン音と、砂利道をタイヤが通る音を鳴らし、ゆっくりと発進していく車。
◆◆◆――…
「やっぱこの車、我が家には――…てか、お兄ちゃんには似合ってないね」
からかうような笑みを浮かべ、スポーツカー特有の低い天井を擦る乃愛。
「そんなのわかってるよ…こんな寝ボケ顔の男には、真っ赤なスポーツカーなんて不釣り合い、ってね」
「ちょっと卑屈すぎだってお兄ちゃん。でもまぁ…そのカッコじゃ~そうかもねぇ~」
「言ってくれるが、僕の記憶が正しければ、この車を買おうと言ったのは乃愛だったはずだけど?」
「だって……真っ赤なスポーツカーは、お父さんの夢だったじゃん」
急に静かなトーンに変わる声色に、夏輝はチラっと乃愛を見た。ゆっくりと流れる景色に向き、物言わぬ乃愛の後頭部に、ひと言「そうだな」っとだけ返す。
それからしばらく沈黙が続き、下町の町並みから徐々に都市化していく景色。すると再び乃愛が口を開く。
「お父さんとお母さんが亡くなって、もう10年…か…」
「ちょうど今の季節…大雨の日の交通事故だったよな…」
「うん……でもすごいね。お兄ちゃんは」
「何だよ、急に」
「高校に通いながらも、夜もバイトして…小さかった私のめんどうを見てくれた。そしてお父さんの夢を代わりに追って、実現させたんだね…このNOAHで…」
乃愛は修理の為に持ってきていたNOAHを、ギュっと抱き寄せる。
「何だよ急に…そんな話しして」
「だって3ヵ月後には、このNOAH――…【Network of Adventure Hall】が全世界で売られるんだよ?世界中の人達が楽しんでくれたら、お父さんの夢…本当の意味で叶っていくんじゃないかな、って」
「ハハっ…お陰で休みが無いんだけどね」
「それもお父さんの為でしょ」
苦笑いの夏輝の肩を、バシッ!っと叩く乃愛。
「うわっ!運転中だぞ、危ないな~…」
「はいはいごめんなさいねー」
「全く……ところで乃愛。『友達』って、まさか男友達とかじゃないよな?」
「うわ出た…」
若干カブせ気味で、ため息混じりの返しをする乃愛。
「何が『出た』だ。僕は――…」
「あ~はいはい。『兄として心配してる』んでしょ?もう耳タコですー」
「なら男か女かを――…」
「クラスの友達。クラスといえど女子校。だから女友達。OKですか?夏輝捜査官」
「ならいいが…ゲーム内でも――…」
「『変な男にはついていくな』、でしょ?これも耳タコォ~…」
「いやでも――…」
「それ以上言ったら怒るよ」
前を向いていてもわかる、横顔に刺さる鋭い視線。続く言葉を言おうと開いた口を、小さなため息と共にゆっくりと閉じる兄、夏輝だった。
◆◆◆――…
30分後――…景色は高層ビルの建ち並ぶオフィス街へと変わっていた。夏輝と乃愛の姿は、とあるビルの前にあった。
ビルまでは2~30メートルは離れているというのに、見上げるには首を痛めそうな程の高さの円形のビル――トイズ・クランピア。
日曜日だというのに、ビシッ!っとキメたスーツ姿の人々が多数行き交う中…パーカー姿のラフ過ぎる服装の夏輝は、よそ行き格好をした乃愛に比べて非常に浮いている。これにはさすがに恥ずかしいのか、乃愛は顔を伏せ気味に辺りをチラチラと…
「いつものお兄ちゃんだから気にならなかったけど…会社ら辺に来ると…さすがに、だね…」
「ん?何が?」
「よく平気な顔出来るよなぁ~…ホントそういうトコ鈍感だよね?お兄ちゃんって」
「だから何が?」
「はぁ…だから彼女出来ないんだよ」
「ぐっ…!う、うるさいな…今は仕事が大事なんだ。彼女とかは必要性が無い。それだけだ」
「はいはい……スーツとかで決まってる時はカッコいいと思うんだけどなぁ~…やっぱ普段からもっと気にした方がモテると思うよ、お兄ちゃんは」
呟くようにそう告げ、乃愛はゆっくりと歩き出す。
「特にその寝グセ頭。ちゃんと直して行くだけでも変わると思うよ」
「………」
あえて返事はしない。ため息だけをつき、先を行く乃愛に続こうとした瞬間――…
「あたしもそう思~う♪」
「うわっ!」
突如、夏輝の後ろから何者かが抱きついてきた。倒れる程ではないものの、おんぶの上半身だけバージョンの如く、夏輝の首に廻す腕が相手を支える状況。
兄の驚く声に、「えっ!?何!?」っと振り返る乃愛。驚きでハっと目を見開くも、すぐにその表情は笑みへと変わる。そして何者かに捕らわれた兄の元に駆け寄っていく。
「あ~!久しぶりです【愛莉】さん」
愛莉と呼ばれた、夏輝の背に引っ付いた人物――…それは茶髪のボブヘアーの、目鼻立ちのしっかりした綺麗な女性。
「オっス、乃愛ちゃん。おっ久ぁ~」
ノリの良い挨拶を返しつつも、夏輝の背中から離れようとしない愛莉。彼女の名と声を耳にした途端、夏輝の表情は瞬間的に『無』となった。
「…コラ愛莉…離れてくれ」
「お~?営業帰りの美女が抱きついてるのに~。ナっちんったら、照れてくれてもいいのだよん♪」
「誰が照れるか、君なんかに」
「あ~ん強がっちゃって…か・わ・い・い~♥」
っと、夏輝の耳に息を「ふぅ~」っと吹きかける愛莉。
「っ…!!きっ、気持ち悪い事するな!それに『ナっちん』って何だ…初めて言われたぞ」
身震いと共に、愛莉をなんとか振り落とそうと体を左右に振る。しかし本気で振り払えば愛莉が怪我をしてしまうのでは…っと、軽く揺さぶる程度に。まぁそれでは離れる訳がなく、逆に――…
「あ~そうやって、背中であたしの胸の感触楽しんでんだぁ?むっつりナっちんちん」
「何をっ…!違う上に卑猥な呼び方するな。ましてや妹の前で変な事を言うな」
「アンタなら~、直に胸触ってもいいのよ~?ただしひと揉み1万円からでぇ~す♥」
「ふざけるな…いい加減離れてくれ」
「あ~はいはい。言われなくても離れますよーだ。そんなん冷たくされたら、いくらあたしでもいい加減キズつくっちゅーの」
そう言うと、ようやく夏輝の背中から地面に降り立つ愛莉。紺のスーツでパンツスタイルの姿もようやく見え、170センチ半ばの夏輝より少し小さいくらいの彼女は、スラリと伸びた手足。出るとこは出てる!的な、モデルのような抜群のスタイルの持ち主でもあった。
「あんまやってっと、お兄ちゃん大好きの乃愛ちゃんに怒られちゃうしねぇ~」
「ちょっ、なっ、何言ってるんですか愛莉さん!」
「おっと怒られちったぁ~」
両手を上げ、口元を『へ』の字にしてみせる愛莉。夏輝はすぐさま乃愛と愛莉の間に入り、「行くぞ」とトイズ・クランピアの入口に向かい妹の体を押し進む。
「いいか…愛莉には関わるな。アイツは一種の汚染物だ」
「コラー夏輝!聞こえてんぞー。誰が『汚染物』だ~?」
「玉の輿を狙うが故、成金達を喰い物にしている魔女だ。悪魔だ。耳を塞げ」
「うっさい童貞」
「ふぐぉっ!」
突如言葉と共に、夏輝のお尻にカン○ョーがかまされる。
「なっ、何をするんだ!それに(妹の前で)どっ、童貞って言うなっ…!」
「ホントの事でしょ~?26歳にもなっても未経験者のドーテーさん♪」
「っ!…うるさい、僕は相手を選んで行動している結果だ。君のような尻軽じゃないんだよ」
「あ~軽いだなんて嬉しい誉め言葉。あ~り~が~と~」
「このっ…ホント性悪女だな…」
「あ~ら、童貞くんに女がわかるのかしら?」
「少なくとも君は理解出来る」
「はあ?童貞ごときに攻略出来ると思ってんの?あたしを」
「あぁ、女にしては珍しい単細胞生物は簡単だ」
「誰が単細胞ですってぇ~?」
「君しかいないだろ?」
「何ですってぇ…」
「何だよ…」
…――ドスっ!
「「うっ!」」
睨み合う2人が、同時に襲う衝撃に、同じ呻き声を上げ、同時に脇腹を押さえる。衝撃のきた方に向くと、そこには両手の拳を突き出した状態の乃愛が、不機嫌そうな表情で立っていた。
「も~いい加減してよ2人共。いい歳した大人が公衆の面前でする事じゃないでしょ」
「…ごめん…」
「ごめんなさい…」
10歳下の少女に叱られ、思わずシュンっと謝る大人2人。そして同時に視線を合わせ、「お前のせいで怒られた」っというように、互いに肘でつつき合う。
「ホラ、もういいから早く行こ。約束の時間きちゃうよ~」
「ん…あぁ、そうだな」
頷く兄の腕を引く乃愛は、会社の入口に向かい歩き出す。続き歩き出す愛莉は、小走りに夏輝に並んだ。
「てかさ、今更だけど…何であんたら兄妹が居る訳?今日休みっしょ?」
「まぁそうなんだけど…少し前から乃愛のNOAHの調子が悪くて、約束してた今日のログインが出来ないらしい。だから乃愛のNOAHを修理して――…」
「あ~もういい…同じ名前がズラァ~り連呼っこね…もう想像はつくから大丈夫。乃愛ちゃんの為に、アンタは職権乱用しに来た訳ね」
「言葉が悪いな、君は…」
苦笑いの夏輝は2人と共に、既に目前となった自動ドアをくぐり、トイズ・クランピアのエントランスへと足を進めた。外観同様に円形で全面ガラス張りの内部は、直径は80メートル以上はあるのでは!?っと思わせる程広く感じられるもの。中央に設置された受付カウンターも円形で、360度対応可能なもの。10人以上はいるだろう受付も、既に待ちの人もいる程混み合っており、エントランス自体もなかなかの混み状態。
その中、7階分の吹き抜けエントランスに「うわぁ~…」っと息をもらす乃愛。
「久しぶりに来たけど、やっぱりすご~い…」
「でしょ~?まぁまぁ、遠慮なさらずにど~ぞ」
「君の家かよ…」
「うっさい。職権乱用ヤローがガヤるな」
「職権乱用じゃない。僕がNOAHを修理してる間、4階のプレイブースの【カプセルNOAH】でログインしてもらうだけだ」
「あ~あの棺桶みたいなヤツね」
「例えが悪い。あれは酸素カプセル風NOAHだ」
「へいへい。しっかし、そのプレイブースは使用料1000円。加えて1時間2000円…学生さんには厳しいぼったくり価格よねぇ~」
「それは会社が決めた事。僕は無料でもいいと思うが――…」
「あ~はいはい、会社だって商売。言いたい事はわかってるって。てかさ、今日はそのプレイブースのメンテナンス日よ。忘れてた?」
その言葉に、「え?」っと互いに見合う兄妹。そして愛莉に集まる視線。
「あらら…その様子じゃあ忘れてた訳ね。ま、そしたらラボのカプセルNOAH使ったら」
「…いいのか?」
「ダメな訳ないっしょ?アンタ開発者よ。つーかそんなん、開発者権限で新品と交換とかでよくない訳?」
「それこそ『職権乱用』だ。まぁ交換の方が早いとは言ったんだが…」
「いいんですよ愛莉さん。このNOAHは、お兄ちゃんが作った第1号なんです。だから、このNOAHでクリアするまでは手離したくなくて…」
そう言って、手にしたNOAHを見下ろし笑みを浮かべる乃愛。すると突然、歩くままに愛莉が乃愛に抱きつき頬を擦り寄せる。
「ぬぉ~想いを大事にする健気で可愛い~妹よのぉ~♥この腹黒眼鏡の妹とは思えませんなぁ~」
「誰が腹黒眼鏡だ…それに早く離れてくれ。大事な妹が穢れる」
「あ~ん乃愛ちゃん、お兄たんがイジめる~」
さすがの乃愛も苦笑い…とりあえずは「よしよし」っと愛莉の頭を撫でた。この光景に、ただため息をつく夏輝。
「はぁ…学生時代、こんな同級生と首席争いをしてたと思うと、何かゾッとするよ…」
そう呟き、エントランス奥にあるエレベーターに向かい歩き始める。後に続く愛莉はクスっと笑い、前を行く夏輝のフード部分を掴む。
「ふっふ~ん、テスト関連の通算成績…26勝21敗183分。結果はあたしの勝ち~」
「結果そうだが…IQ200の天才に、凡人が挑んだ成績だ。十分評価に値するんじゃないのか?」
「評価どころか、正直"恐怖"以外のなにものでもないわ…それに『天才』と呼ぶなら、高校生でNOAHの原型…人類初で仮想現実世界を創り上げた方が天才の名に相応しい。そんな天才にライバル視してもらってただけで光栄よ」
「僕は天才なんかじゃないよ。本当に相応しいのは、人類では敵わないと言われた、将棋やチェス…各種ボードゲームプログラムを7歳で負かし。わずか10歳で難解な公式を解きまくり、世界中の数学、物理学者らを黙らせた君の頭脳の方だと思うけどな」
この言葉に愛莉は意外そうな表情を浮かべつつも、気を良くしたように夏輝の腕に抱きついた。
「お?おー?何だ急に優しい発言。惚れたか?あたしに」
「離れてくれ。そして起きてるなら寝言は言わないでくれ」
「寝言じゃない~。NOAH開発で億万長者のアンタは、あたしの玉の輿候補の1人よ?」
「辞退する」
「住んでる家はボロいけど、それはあたしに豪邸をプレゼントしてくれる為の貯蓄の1つって訳よね?」
「違う。あの家は両親と暮らした家。だから手離せないだけだ。それに言っておくが、共にNOAHシステムを構築してくれた君の頭脳は尊敬する。だが人間的にはNGだ」
「愛がなくても最初だけ…まずは遊んでみなさいよ。アンタの童貞、あたしで捨てても――…」
「乃愛、エレベーターは下のボタンを頼む」
表情筋は微動だにしない、完璧な無表情で乃愛だけを見る夏輝。さすがの愛莉もうなだれ……
「あ~ん…ナっちん華麗なスルー…」
.