かき氷
食器を新聞紙で包んでおくのって、衛生的にどうなのかしら。
しかも、日付何年前よ。平成ヒトケタって・・・信じられない!
茶碗と道具に埋もれながら、あたしはため息をついた。
九月の文化祭まで、あと一ヶ月と少し。
二週間の夏休みが終わり、今日から夏期授業期間に入った。
授業は午前中までで、午後からはこうして部活動や学祭の準備に使えるけれど、始業式の後に、この期間の授業内容を範囲とした試験があるから、油断できないのよね。
まったく。
変なところで『進学校らしさ』を出そうとしてくるんだから。夏休みが少ないのも、受験対策やら、模試の順位やらで教師陣が口うるさいのももう慣れたけれど、学祭の一週間前になったら、授業がなくなって全部準備時間になるっていうのは、矛盾してないかしら。
「ゆきちゃん。買い出しに行ってくるね~」
廊下から、鞠瑚と海が顔を出した。
「うわ、すげーな。その押入れってこんなに色々入ってたのか」
段ボール箱と新聞紙に囲まれたあたしの姿を見て、海が苦笑している。
もう。力仕事だからって、あたしにこっちの作業を振ってきたのは、あなたじゃないの。
「出かけるのなら、重労働中のあたしにお土産でも買ってきて欲しいわね」
「俺は、部活抜け出して来てやってるんだけど?」
「あら、今日は監督の都合で夕方からのはずでしょ?」
「げ。なんで知ってるんだよ」
「あたしに嘘はつけないわよ」
平成ヒトケタの新聞を突き出しながら言うと、鞠瑚が、それどうしたの~と、首を傾げる。
「・・・わかった、わかったから。ホラ、行くぞ」
海は顔をひきつらせて、あたし(の持っている新聞)に近づこうとする鞠瑚の手を取ると、出入り口へ向かった。
「七瀬は、今、生徒会に出す書類を書いてるみたいだけど、終わったらお前んとこ手伝うって言ってたから。あとよろしくな」
学祭のエントリーを無視しようとしていた七瀬が、出し物紹介の原稿を書いてるなんて、なんだか面白いわね。
「ええ、荷物が多かったら連絡してね。迎えに行くわ」
「サンキュ。メモ見たら、そんなに大きいもんじゃなかったから、大丈夫だと思う。じゃ、行ってくるな」
「いってらっしゃい」
「行ってきま~す。あ、お菓子の試作品つくってきたの。帰ったら食べようね~」
炎天下の中を買い出しに行くというのに、子供のようにはしゃぐ鞠瑚を手を振って見送る。その後ろを歩く海の横顔を見ながら、あの子のお守りと、ここでの作業と、どちらが力仕事かしらね、と心の中で合掌した。
窓の外を見ると、雲一つない空から伸びた光が、体育館の壁を照らしている。あの白い建物の中で、さわやかに青春しているだろう少年少女たちの姿を思い浮かべると、自然と笑みがこぼれる。
「ユキ~?いる~?」
片づけを続けていると、隣の部屋から、七瀬が顔を出した。
「原稿は終わったの?」
「うん。何とか書けた」
「お疲れさま」
「ユキは?茶碗見つかった?十客くらいでいいと思うんだけど」
「大丈夫よ。あるわ」
「よかった。洗うから、出しといてくれる?」
「ええ」
ホコリだらけの木箱の中で眠っていた茶碗を眺めながら、返事をした。あ、そうだわ。
「それともう一つ・・・」
「どうしたの?」
次回は、大掃除に決定。
拒否権は認めない。
もちろん全員参加よ。
逃げられないようにしておかないとね。
目の前できょとんとした顔をしている七瀬に気づかれないように、あたしは心の中でニヤリと笑った。
「・・・なにか、いじわるなこと考えてるでしょ」
七瀬が、じとっ、とした目でこちらを見た。
「あら、分かっちゃった?」
「何を企んでるか知らないけど、これ以上面倒くさいことになるのはイヤだからね」
七瀬は、頬を膨らませる。
「どうしたの?」
「ちょっと、聞いてよ~」
七瀬は、襖を全開にしてこちらに来ると、散乱した段ボールや新聞紙をどけて、あたしのすぐ隣に座った。ホコリがたつじゃないの。
「この前手紙を出したって、言ったでしょ?」
手紙?
「ああ、昔の顧問の先生にでしょ?」
「うん。あと、連絡先が分かる範囲で、卒業生にも出した。そしたら、おじ・・・先生から経由で返事が来たん だけど」
七瀬は俯いたまま、あたしのシャツの裾を掴んだ。もう、ひっぱらないでよ。
「・・・てさ」
「え?」
「・・・来るってさ」
顔を上げると、絶望したような表情で、あたしにぶつかってきた。
「ちょっ・・・と七瀬!」
ひっくり返りそうになるのを、なんとか堪える。あたしの胸に押しつけられた七瀬の頭を引きはがそうとして、自分の手が薄汚れているのに気づいた。
「七瀬、離れてちょうだい。お願いだから」
「やだ。・・・だってさ、何年も廃部状態だったし、わざわざ来るとか思わないじゃん」
何が「だってさ」なのよ。
七瀬は、あたしにしがみついたまま、顔を上げた。
「なにも、手紙を出した相手全員が、出席の返事を寄越さなくてもよくない?」
せいぜい一人か二人位だと思ったのに!と、あたしを睨みつけた。
「・・・あたしに言ったってしょうがないでしょう」
「分かってる。だから、ちょっと慰めてよ」
何が「だから」なのよ。
「はいはい、慰めてあげるから。一度離れて。ね?」
早くこの悪い癖を直さないと、心配だわ。
「七瀬?」
言い聞かせるように名前を呼ぶと、七瀬は渋々腕の力を緩めた。
あたしは、手の甲で七瀬の頬に触れてから、入り口側の流し台に手を洗いに行く。
汚れを落として和室に戻ると、七瀬は無言で目の前の畳を叩いた。そこに座れってことね。
「はいはい。お待たせ。いくらでも話を・・・」
聞いてあげるから、と続くはずだった言葉は、首に回された七瀬の腕によって遮られた。膝立ちになった七瀬の額が、あたしの肩に乗る。
まずいわ。
悪化してる。
しょうがないわねぇ。
「何も不安になることはないわ」
指で髪をゆっくりと梳いてやる。
「うん・・・」
耳元で七瀬が小さく頷いた。
「まだ時間はあるんだから。納得いくまで一緒にお稽古しましょ。そうそう、今日は鞠瑚が試作品を持ってきた って言ってたわ。買い出しから戻ってきたら、いただきましょうね」
「うん」
大丈夫よ。七瀬。あたしたちがいるじゃない。
あたしは・・・あたしたちは、何があってもあなたの力になるって決めているんだから。
あなたが、あたしたちにそうしてくれたように。
去年、あたしたちは、それぞれに悩みを抱えていた。
他人から見たら小さな小さなことだったけれど、あたしたちは、暗い沼にはまったように、身動きが取れなくなっていた。
そこから救い出してくれたのがあなただった。
あなたは覚えていないと思う。
あたしたちとの出会いを聞いても、ただ、学校、とだけ答えるでしょうね。
学校で会って話したのが最初でしょ?と。
たしかにその通りだわ。
でもね。
あたしたちにとっては、大切な思い出なのよ。
あなたが結んでくれたこの糸は、あたしたちにとって、宝物なの。
「ほら。まだ押入れの片づけが終わってないのよ。手伝ってくれる?」
頭を撫でると、ほうっと息をはいて、七瀬が身体を離した。
「・・・わかった。何すれば良い?」
「ひとまず、お茶碗を水屋に運んでしまいましょう。随分昔のものみたいだから、ヒビとか入ってないか確認し てね」
「了解」
木箱を抱えて和室を出て行く背中を見つめていると、引き戸が開く音がした。
「ただいま~。ゆきちゃんななせちゃん。おみやげだよ」
両手にストローのささったカップを持った鞠瑚が、肩で引き戸を押しながら、中に入ってきた。
「鞠瑚、急ぐとこぼれるぞ」
同じく両手の塞がった海が、腕に掛けたトートバッグを揺らしながら言った。
「あ、おかえり。全部買えた?」
二人の声に気づいた七瀬が水屋から戻ってきた。
「店の人にメモ見せて、揃えてもらった。一応、確認してくれ」
「その前に、こっちだよ~。とけちゃう前に食べよ~」
「あら、かき氷?」
「そうだよ~。公園でね、早めに屋台がでてたの」
ゆきちゃんはコレね、と差し出されたカップを受け取る。
「ありがとう。イチゴ味ね。大好きよ」
「えへへ。わたしは練乳だよ~」
「珍しいわね」
「なんかね~。白い色が良いって言ったら、屋台のおじさんが、特別につくってくれたの」
「よかったじゃない」
「うみちゃんは、青色なんだよ」
「ブルーハワイっていうんだよ。で、レモンが七瀬なんだろ」
「うん。ななせちゃんは黄色だよ。はい、ど~ぞ」
「ありがと」
全員で奥の和室に移動して、輪になって座る。
「で、原稿は終わったのか?」
「とりあえずはね。でも、まだそんなに茶道のこと詳しくないし、どこまで書いていいのか、困ったよ」
「簡単でいいんだよ。興味を持ってもらえれば」
そうかな、とストローをくわえながら、七瀬がまた少し暗い顔になった。
「でも、案内状出した人たちが、皆来るみたいなんだよね」
「そうなの~?よかったね。ななせちゃん」
カップを畳の上に置いて、鞠瑚が顔の下で、パチ、と手を合わせた。
「わたし、ななせちゃんのお点前、たくさんの人に見てもらいたいなって思ってたの」
「上達したもんな」
「そう・・・かな」
「そうだよ!あ、ねぇねぇ。お菓子を、初日と二日目で変えるのはどうかな。つくりたいお菓子がふたつあって ね、迷ってるの」
「いいな、ソレ。どんなやつ?」
「写メみる~?」
かき氷そっちのけで、スマートフォンの画面を見ながら話し込む二人の向かいで、七瀬が吃驚したような顔をしている。
ね。
あたしたちがいれば大丈夫でしょ?
口元がゆるむのを堪えていると、七瀬がこちらを向いた。
「ユキ」
「なぁに?」
「練習する。不安がなくなるまで。何度でも。・・・付き合ってくれる?」
「もちろんよ。さっきそう言ったでしょ。あたしがあなたとの約束を違えたことなんてある?」
「ありがと」
上機嫌で氷を掬い始めた七瀬が、頭を押さえて、唸った。それを見た鞠瑚と海が顔を見合わせて笑っている。
あたしたちの縁が、ずっとこのまま続くのか、それとも、今だけのものなのかは分からない。
高校時代の友情は一生続くだなんて、あたしも信じてないのよ。
でも、この手から伸びる糸は、絶対に離せない。
たとえ、途切れてしまっても、いつまでも眺めて過ごすわ。
「ユキ~。タスケテ・・・」
「急いで食べるからよ。バカねぇ」
縋りついてくる身体を抱きとめて、あたしも声を出して笑った。
未来のことなんて分からないけれど、今、こうしてここで過ごす時間は、
きっと
きっと
きっとかけがえのない日々になる