スイートポテト
「あら、七瀬。お湯がぬるいわ。ちゃんと沸かしたの?泡がたってないじゃないの」
ユキが、茶碗の中を指さした。
「飲めるんだからいいじゃん」
私は無視して自分の茶碗に抹茶を入れる。
「何言ってるの。抹茶がダマになってるわ。ホラ、見てご覧なさい」
「・・・」
「もう一度沸かしてきて。ちゃんと薬缶が鳴るまで待つのよ」
「うるさいなぁ」
私は、ポットを持って立ち上がった。
和室を出て、部室の入り口にあるコンロへと向かう。
「ああ、それから、お茶を入れるのに最適な温度っていうのはね・・・。ちょっと、聞いてるの?」
和室から顔だけ出して、ユキがぶつぶつ言っている。
「はいはいはいはい」
ポットのお湯を薬缶に移して火にかけると、1分もしないうちにピーピーと耳障りな音を立てた。
そんなにぬるくないじゃないか。
でも、そう言ってしまえば、私の点て方が悪いってことになるから黙っておく。
ユキが突っ返してきた茶碗を水屋で洗ってから茶室に戻った。
「今度はちゃんとしてね」
「はいはいはいはい」
抹茶を入れて、ポットのお湯を茶碗に注ぐ。
茶筅をこれでもかと動かして、黄緑の泡を量産してやった。ついでに、自分の分も作る。
確かに、さっきより、点てやすいけど。
もちろんユキには言わないでおく。
「これでいいでしょ」
茶碗を手のひらに乗せて、適当にくるくる回してから、ユキの前に置いた。
「ありがと」
ユキはすました顔で茶碗を持ち上げると、丁寧に三口で飲み干した。
「結構なお点前でございました」
「はいはい。どうも」
乱暴に頭を下げた私に、また何かぶつぶつ言いながら、ユキは鞄から文庫本を取り出した。
私は自分の懐紙にスイートポテトをのせる。
ああ、やっとお菓子にありつける。
「購買のパン以外のお茶菓子なんて珍しいじゃない?」
「マリコの差し入れ」
「やっぱりね。今度レシピ教えてもらおうっと」
「ユキも何か持ってきてよ。アンタ一番ここに来てるんだから」
「まぁ、ひどい言い方。あたしはあなたが可哀想だから来てあげてるのに。そっちこそ何か用意しなさいよ。茶道部員の癖に、おもてなしの心が足りないわよ」
「足りないんじゃないの。元から無いわ、そんなモン」
「イヤな女。そんなことだから部員が集まらないのよ」
「部員なんて元から居なかったもん」
ウチの高校の茶道部は、本来ならとっくの昔に消滅しているべきなのだ。
空き教室で、数人の生徒が入門書を読みながら、細々と独学でお茶を点てていた立ち上げ初期、部員とお金が集まって、クラブ棟の改築時に、当時の校長が、四階のすべてを茶室にするというまさかの暴走計画をねじ込んだ全盛期を経て、今や、ただっ広い茶道部室でシャカシャカやっているのは、叔父でもある顧問に無理矢理入部させられた私だけ。その状況を面白がった腐れ縁の悪友たちが、お茶とお菓子を目当てにダベりにやってくるカオス期に突入してしまっている。
「で、今日は鞠瑚と海は来ないの?」
文庫本から顔を上げて、ユキが言った。
「マリコは家の用事があるって。ウミはバスケが忙しいみたい」
「あら、大変ねぇ」
ユキは立ち上がって廊下に出ると、窓の外を見た。
文化クラブ棟の向かいに建つ第三体育館は、主にバスケ部が使用している。
ちょっとの休憩時間を利用して、タダメシならぬタダ抹茶を飲みにくる友人は、今頃スポーツドリンクを片手にチームメイトとミーティングでもしているのだろう。
というか、それが正しい姿だ。
自分で点てたお茶を飲む。
抹茶は嫌いでは無いけれど、美味しいかって言われると、正直微妙なんだよね。まぁ、お菓子の後に抹茶を飲むっていう順番には納得するけどさ。
ちびちび飲みながら、既に片方ボタンを外していた制服のリボンを取って、鞄のポケットにしまう。だらしがないわねぇと聞こえた声は無視した。
ユキは他の同性の子たちと違って、制服を着崩すことはない。
「窮屈じゃないの、ソレ」
ユキの首元を指差すと、「全然」と返ってきた。さようですか。
「アンタも用事あるなら帰っていいよ」
「七瀬は?」
「もうちょっと居る。宿題でもしていくよ」
私は、隣の和室から折りたたみ机を持ってきて広げた。その上に英語のテキストを放り投げる。
「この時間に帰ったら、他の子たちからの視線が怖い」
「それはそうねぇ・・・」
ユキは苦笑いしながら、畳を見つめた。
正確には、下の階を。
部員一名のくせに、最上階である四階のフロア全部を占領している茶道部が、他の文化部からどう思われているかなんて、怖くて確かめられないけれど、せめてもう少し日が暮れてから帰った方がいいと思う。まぁ、同じ文化部同士でも、茶道部って聞くと取っつきにくさや近寄りがたさを感じるみたいだから、最近は“伝統文化系部活の神秘のベール”に思いっきり隠れさせてもらっているけど。
元々、私は部活をするつもりなんて無かったのだ。
田舎町の唯一の進学校として、だらだらと長い歴史のあるこの学校のポリシーは、「文武両道」らしい。
そのせいか、やることなすこと、いちいち暑苦しいのだ。
毎日毎日ウチに押し掛けて、勉強だけ出来てもしょうがないよ、一生に一度の高校生活なんだから、楽しまなきゃ損だよ、なんてまくしたてたあげく、入部届け出しといたから、とさらり告げた教師も居るくらいだし。
その熱意は仕事(授業)で出せよ。
いつも黒板に向かってボソボソ喋ってるだけのくせに。
隠れイケメンとか言われてるからって調子のるなよ。
ああ、思い出したらイライラしてきた。
しかも茶道って、“武”になるのか?
シャーペンを握る手に力が入る。
「じゃあ、あたしも残るわ。送っていってあげる」
ガラス越しに空を眺めながら、のんびりとユキが言った。
「え。いいよ別に」
まだ明るいし。近道あるし。
「夏とは言っても、人通りが少ない道なんだから。女の子がひとりで帰っちゃダメよ」
ユキが形のよい眉をしかめた。
・・・何言ってんだか。
「私はアンタをひとりで帰す方が心配だよ」
窓枠に寄りかかるユキを見上げて言うと、彼は困ったような表情をした。
「あたしのことは気にしなくてもいいのよ」
「気にするよ」
だって、こんなに綺麗なのに。
切れ長の瞳に長い手足、自前の茶髪はサラサラで、太陽の光に当たってキラキラと輝く。
どうも目の前の男は、自分の容姿を褒められるのが苦手みたいだ。
もっとガツガツ行けばいいのに。
男も女もよりどりみどりなんだからさ。
ユキがどっち派なのか、それとも両方なのかは聞いたことないけど。自信持って良いと思うんだけどなぁ、せっかく綺麗なんだから。
この前、マリコにそんな話をしたら、「その言葉、ななせちゃんにそのまま返す~」とか言われた。
あれは、どういう意味だったんだろう。
しばらく無言で過ごしていると、文庫本を読み終わったユキが、もう一杯頂戴と言い出した。はいはい。じゃあ一服しましょうか。
「ねぇ、この調子でやってて、学祭どうするの?」
スイートポテトが残り一つになったので、二等分に切っていると、不意にユキが言った。
「ガクサイ?」
って、・・・学祭?
「そうよ。形だけのつもりでも、部員が入ってしまったんだもの。何もしないわけにはいかないわ」
げ。
「こんな田舎でも一応お茶どころだもの。部が復活したってことになれば、張り切る人たちも出てくるでしょうねぇ」
「ど、どういうことよ」
たじろぐ私に、ユキがニヤリとした。
「OBとか色々いるでしょ。全盛期の頃のセンセイ方なんて、嬉々としてやってくるわね」
「ああああああああ。聞きたくない聞きたくないからそんなの!」
そんなの聞いてない!
ここには居ない叔父(顧問)を全力で呪う。
わなわな震えている私の横で、ユキが呆れたような顔をしている。
「ポットのお湯で緑の液体作ってる場合じゃないわよ?」
「み、みどりの・・・って、他人に言われるとなんかハラ立つ!」
机の向かいに座るユキのネクタイをぐいっと引っ張った。
「苦しいじゃない。放してよ」
「タスケテクダサイ」
「・・・人にものを頼む姿勢じゃないわね」
私は、ユキの隣に移動した。
「タスケテクダサイ」
「・・・あたしだからいいけど、簡単に男に抱きつくもんじゃないわよ、七瀬」
「だって、無理だよぉ」
ひとりでどうすればいいのさ。
なに、オチャカイ?
オチャカイをすればいいの?
え、ひとりで?
無理でしょ。
「おじさまは?」
「じゃんけんに負けて、うっかり顧問になったようなオヤジに何が出来るのさ」
私は即答した。
顧問としていいカッコしたいがために、姪を売ったようなオッサンだ。
茶碗洗いすら怖くて任せられない。絶対に割る。
「そろそろ各部活で学祭のエントリーをする時期なのだけど・・・」
「何ソレ。だれ情報?」
「委員の子から聞いたのよ。たしか来週いっぱいまでだったかしら」
「すっぽかしたらいいじゃん」
そうだ、知らなかったことにしよう。
それで解決だ。
「七瀬」
ユキはゆっくり言い聞かせるように私の名前を呼んだ。
子供じゃないんだから、分かってるよ。
ちゃんと参加する。
するけどさぁ。
私はユキの背中に手を回してギュウギュウ締め付けた。
「お願い!」
ね?
ちらり、と目線を合わせてから、もう一度しがみつくと、頭上でため息が聞こえた。
「もう。仕方がないわねぇ」
「手伝ってくれるの?」
やった。
勝った。
私はユキの胸元に押しつけていた頭を上げた。危うく顎に頭突きしそうになったけど、ユキは器用に首を傾けた。
「鞠瑚と海にも協力してもらいましょ。人数は多い方がいいわ」
「うん。ありがと!」
私は、もう一度、思いきりユキを抱きしめた。
「はいはい。ホントに手が掛かるんだから。七瀬は」
よかった。これで一安心だ。
安心したらお腹すいた。
ユキから離れて机の反対側に戻ると、半分にしたスイートポテトの片方を口に入れる。
しっとりとした重さは、口の中で甘みに変わる。
風を通すために少し開けたガラス窓の向こうからは、運動部の掛け声が聞こえてくる。
本格的な夏はこれからだ。
ここは冷暖房完備だから、きっと快適に過ごせるだろう。
「現実逃避しているところ悪いけれど、学祭までにちゃんとしたお点前の仕方くらいは覚えなさいね」
「げ」