女大公様の伴侶(1)
女大公様が学院の外に出られてから十余年年。入学した時から数えると、足掛け二十年。ようやくこの度エレオノーラ様はきちんと卒業できる運びとなった。正直、もしかしたら忘れられているのではないかと疑いかけていたのだが。
ただしそれには条件が一つつけられていた。
「いいですね? これまで通り、今後も決してご自分で魔法を使おうとなさらないでください。解りましたね?」
サイン済みの卒業証明書を手渡しながら、学長がエレオノーラ様に何度も念を押した。
「重々、承知いたしておりますわ。ここしばらくは儀式の時の決まりきった文句以外に呪文は口にしておりませんもの」
妊娠中に限り魔法が使えるようになるエレオノーラ様の肩代わりを、この卒業の条件として、わたしが恒久的に仰せつかることになった。つまり、わたしは転職を余儀なくされてしまったのだ。
「呪文も呪陣も、ずいぶんたくさん覚えましたけど、結局無駄になってしまいましたわね」
受け取った証明書を確認しながら、エレオノーラ様が皮肉気に言い返す。
たしかに、エレオノーラ様が習い覚えている呪文や呪符、呪陣の種類だけは、上級の職業魔法使いにも引けを取らない。ただ、彼女自身は一つも使いこなせないのだが。
……まあ、呪符や呪陣の中には、外部から魔力を供給することによって効力を発するものがあるから、そういう類ならば、彼女にも描くことだけはできる。
「無駄ではないでしょう? 貴女ご自身で使うことが適わなくても、公子方に教えることはお出来になりましょう」
「あら。そういうことは、わたくしよりも『教えること』を仕事になさっていた方のほうが巧いのではなくて?」
傍観を決め込んでいたら、こちらに矛先が向かってきた。
「……基本のところは教えておかないと危険なので手解きしましたが、ジリアン大公が覚えていらっしゃるような上級魔法をあの年頃の子供に覚えさせるのは危険でしょう。個々の性格にもよりますが、教えるのならば何かの片手間ではなくて、きちんと時間を取って向かい合うべきでしょう。あいにく今はなかなかそんな時間を取らせてもらえませんが」
忙しいのは上司のせいだ、と暗にほのめかしてみるが、本人に堪えた様子はない。
むしろ。
「相変わらず、他人行儀な言い方をするんだねえ。『ティリニス伯』?」
学長に面白そうな顔をされてしまった。
ティリニス伯。
そう呼ばれるようになってずいぶん経つが、いまだに慣れない。
体にぴったり合わせて縫製されているはずの礼服のようにどこか違和感がある。
もともと便宜上の叙爵だったせいもあるか(『ティリニス伯領』はジリアン大公領の一部を分封して作ったのだ)。
「……畏れ入ります。ですが、公的な場所以外で学長にそう呼ばれるのは、どうも落ち着きませんね」
「おや、ここは『公的な場』ではなかったかな?」
「便宜上、そういう事にしているだけでしょう。来賓もいないし」
たしかに『卒業式』は公的なセレモニーだが、この場にいるのは最低限の関係者だけだ。つまり、学長、卒業生、そして担当教員。
「来賓はあなたでしょ。先程退職届を受け取ったと思いますが」
「……それは、詭弁、と……」
たしかに渡しはした。だが、事務職員が今退職手続きを執っているはずで、それが終わるまではわたしはまだ学院の職員のはずだ。
……いや、詭弁に詭弁で返すのは上策ではない。殊に、相手がからかおうと身構えている時は。
わたしは一つ首を振って溜め息を吐いた。
「……論点がずれています。そもそも、何のお話をなさっていたのでしたっけ?」
「わたくしの方の用件は済んだから、雑談をしていたのよ?」
なるほど。事務手続きが終わるまでの時間潰しをなさっていた、と仰るわけですね。
「…………学長も、それで?」
「さしあたって、お客様を放り出してまで取りかからなければならないような用事もないのでね」
さようでございますか。
わたしは、一つ息を吐いて部屋の外に向かった。頭を冷やさなくては。
「では、ちょっと席を外します。若干ですが、学院内に置きっぱなしにしている私物もあるので」
長くなったので分けます。




