女大公様とわたし
ジリアン女大公様は御歳二十五歳。
女盛りであらせられる。
普通であれば結婚してお子様の一人や二人、いてもおかしくないお年頃である。
にもかかわらず、浮いた噂のひとつもない。
なぜなら、お忙しくてあらせられるからだ。公務と
学院の課題とで。
「よろしいですか? 指先に意識を集中して…」
【集中】は魔法を学ぶ者が一番最初に習う魔力の制御法だ。
自分が意図する場所に魔力を集め、発動までの間それを維持する。それが【集中】だ。世の中には集中から発動までの間に瞬きひとつほどの時間も必要としない並はずれた魔法使いもいるが、普通はそれなりの時間を必要とする。
さて。
問題のエレオノーラ様(ジリアン女大公は御名をエレオノーラと仰られる)だが、とりあえず『魔力を集めること』はできる。しかし、『その状態を維持する』ということが極めて不得意であらせられる。
そのせいで未だに学院を卒業することができず、わたしが個人教授として女大公の領地まで出張してきているのだ。
エレオノーラ様の指先に、魔力が集まる。
魔力の感じ方には、他人によって違いがある。一番多いのは、視力に感じる、というものである。光の粒や渦、流れとして認識される、というものだ。圧力や熱として感じる者も多い。わたしはこのタイプだ。
ごく稀に、『魔力を感じる? それ何?』と訴える者たちがいる。その大半は、身のうちに溢れんばかりの魔力を宿している者たちだ。最近ぽつぽつと入ってくる高地産の規格外もそれだ。魔力のある状態が当たり前すぎて、慣れっこになっているのだろう。事実、彼らはまるで呼吸するかのように魔法を使いこなし、短期間で卒業資格を得る。
魔力の塊が、ふるふると指先で揺れる。
「その状態を保って……」
言い終えないうちに魔力の塊が砕ける。
「あ」
「………はぁ……」
エレオノーラ様が胸の前で構えていた手を落とし、がっくりとうなだれる。
「やっぱりダメだわ。……何となく、朝から調子悪いし……」
「そうですか? その割には、うまくいっていたように思いますよ。集まる魔力の量も、少し増えていたし……」
ここ十年ほどの間、毎日のように口にしている慰めの言葉を言う。わたしがここに送り込まれた理由の一つが、『慰め方のヴァリエーションが多い』からだそうだ。心外なことに。
「……そうでしょうか?」
「ええ。……ほんの、ちょっぴりですが」
エレオノーラ様もまた魔力が感じ取れない者のうちの一人だ。ただし、彼女はそのせいで魔法を操ることができない。
「………ちょっぴり、ですか……」
あまり慰めにならなかったようだ。一瞬上げかけた頭が再び沈む。
「ええ。ですが、以前はあれくらいの量を集めたら、暴走してたんですよ。たいした進歩です」
魔力が感じ取れないエレオノーラさまは、【集中】の段階で、集めた魔力が支えきれず、散らしたり崩れさせたり暴発させたり、と、とにかく考えうるあらゆる失敗例をやってのけてくれていた。
一番大規模な失敗は、入学して三年半ほど経ったころだったか。
他人の感覚を経由する、というやり方で魔力の流れを把握するようになっていたエレオノーラ様が、魔力の感知に注意を集めるあまりに、自分の魔力の制御が疎かになって、魔力を暴走させてしまったのだ。
彼女の集めた魔力は、周囲の魔力を集め始め、それが次第に加速し始めて校舎に影響を及ぼし始めたため、彼女の意識を失わせて強制終了させる、という騒ぎになった。
おかげでその校舎はしばらく使用中止になって、時間割の調整に職員が大わらわになったものだ。
「進歩、しているのでしょうか?」
「ええ。ですから、コツを掴めば、きっとうまく制御できるはずですよ。がん……」
頑張って、という言葉を危うく飲み込んだ。
エレオノーラ様は努力している。毎日見ているわたしには判る。
ちゃんと学院を卒業できていないせいで滞ってしまった公務や領地経営にも頑張っていらっしゃる。学院の選択科目も、そちら方面のものを多くとっていたことも知っている。あまり得意そうではなかったのに。
「……がんばりましょうね。わたしも、お手伝いできる限りはしますから」
「…………はい」
エレオノーラ様が顔を上げ、ようやく笑みが浮かんだところで、ドアを敲く音が聞こえた。時間切れだ。
「ああ、執務の時間ですね」
室内に張り巡らした結界を解く。この部屋の調度品はできる限り外してあるし、カーテンなども安価なものに取り換えてあるが、それでも窓枠だの天井画などを魔力の暴走で損ねるわけにはいかないからだ。
「そのようですね。では、行ってまいります」
そう言って頭を一つ下げ(ここは彼女の邸なのだし、身分的には彼女の方がはるかに上なのだから、その必要はないというのに)、出口の方に向かった。
「今行く」
エレオノーラ様の応えからタイミングを計って、家令が扉を開く。こちらからは背中しか見えないが、その表情は既に『女大公』のものになっているのだろう。先程までの『気弱で不出来な女子学生』ではなく。