第十二話
恋歌が姿を消したその日から、龍騎の様子がおかしくなった。
傍目にはいつも通りのように見えるのだが、何も無い所で躓いたり、柱に顔面からぶつかったりといつもはしない小さなミスを犯す。本人は笑って誤魔化している様子だったが、近くで見ている李琵は心配でたまらず、久しぶりに邸に戻った龍宝に声を上げた。
「もう我慢なりません!」
いつに無く感情的な妻の様子に、龍宝は飲みかけの茶を溢しそうになった。
「恋歌がいなくなってからというもの、躓いたりぶつかったり……もう見ていられませんわ」
「そうか、そんなに……」
家からしばらく離れていた龍宝は、不在の間の弟の様子を聞いて唸った。
恋歌が姿を消した日、龍宝の元に龍騎からの文が届いていた。そこには自分が至らず、彼女が帰ることとなった、と記されていたのだが。
「やはりあれは強がりか……」
薄々気が付いてはいたものの、先程出迎えに出てきた龍騎の表情、そして李琵の話からそう確信した。
「どうにかして恋歌に戻って頂くようには……」
「難しいな」
そう言って龍宝は一通の文を李琵に差し出した。訝しがりながら受け取った李琵は、文面に目を通し、眉を潜めた。
「これは……」
「焔家からの文だ」
唸るような龍宝の言葉に、李琵はもう一度その文に目を落とす。そこには、この縁談は無かったことにして欲しいとの旨が記されていた。
「これを、龍騎には……?」
「見せるに見せれなくてな。それに……これが届いたのは恋歌姫がいなくなった日の朝、龍騎が私に文をよこす前だった」
「では……」
龍宝の言葉に李琵の表情が悲しげに歪む。
都から木蓮州のこの紅杏まではどんなに早くとも三日はかかる。それが恋歌がいなくなったその日に届いたということは、そうなれば彼女の真意がどうであれ、龍宝達にはどうすることもできないということを表していた。
「あれは今、室か?」
「ええ……酷く気落ちして、最近はいつも早めに室に……」
二人の視線は自ずと龍騎がいるであろう上の階へと向く。飲みかけだった茶を飲み干し、龍宝は李琵を見る。
「時に李琵。すまんが、明日の夜は一人で平気か?」
「え?」
突然の龍宝の問いかけに、李琵は戸惑いを見せた。そんな彼女に、龍宝は申し訳なさそうに言う。
「実はな、先日怪我をした勇元の快気祝いが明日の夜にあるそうなんだ。そこに龍騎を連れて行こうかと思っている」
「まぁ! それは良うございますね。龍騎にも、良い気分転換にもなりましょう」
「ああ。お前も行けたら良いのだがな……」
はしゃぐ李琵の腹部に、龍宝の視線が向く。その視線を受け、李琵は微笑みながら自らの腹部を擦った。
「私はこの子と留守を守っていますわ。龍騎と楽しんでらして下さいませ」
「ありがとう」
二人は互いに微笑み合った。そしてまた、龍騎のいる上の階へと視線を向け、それぞれに溜息を吐いていた。