第一話
早雲国の北の端、木蓮州の町・紅杏にもようやく春が訪れ始めた頃、州城に程近い位置に建つ斉家の邸では、朝から人が慌しく出入りしていた。
昼には斉家の次男で今年十五になる龍騎の花嫁候補が来るとあって、その兄で家長である龍宝の妻・李琵はいつもより張り切っていた。
「龍騎。貴方はこちらとこちら、どちらがお好み?」
端に逃げていた龍騎に、李琵が楽しげな様子で赤と青の二種類の布を見せに来た。どうやら寝台の掛け布らしいそれに、龍騎は思わず苦笑を返す。
「私には女性の好みは……」
「あら、良いのよ貴方の好みで。いらっしゃるのは貴方の妻になるかもしれない方。貴方の好みを知っていただかないと」
そう言いながらも李琵は自らどちらにするか決めた様子で、下女に二つとも渡しながら何やら指示を出している。その様子を見ながら、龍騎は気付かれないように小さく溜息を吐いた。
数日前、兄から持ちかけられた縁談話にずっと気が重かった。
男子で十五にもなれば縁談話の一つや二つ、来ても何らおかしくはない。しかし、龍騎としては自分はまだ官吏になるために塾で学ぶ身であり、誰かを養うなどまだ想像もつかなかった。
早雲国では婚前に花嫁となるべき姫がお試し期間として、婚家に約三ヶ月間程入り、そこで合うか否かを互いに判断できる仕来りが存在する。
そして今日、龍騎が初めて迎える花嫁候補が来るとあって、李琵の気合の入りようは凄まじいものがあった。
来るべき姫君のため、景色のよい東の室を用意し、調度品も李琵が選んで新調した。そのあまりの張り切りように、夫である龍宝をはじめ、斉家の人間全員度肝を抜かれていた。
「李琵様、龍騎様。姫様がもうすぐお着きだと使者が参りました」
「まぁ、大変。龍騎、急いで」
下男からの知らせに、李琵は慌てて外へと急ぐ。そんな義姉の様子に、小さく溜息を吐きながらその後に続いた。
二人と使用人達が揃って待っていると、程なくして煌びやかな一台の馬車が門を潜ってきた。龍騎たちの目の前にピタリと止まった馬車から、小柄な少女が一人降りてくる。
美しく艶やかな銀色の髪を結い上げ、紺色の装束に身を包んだ少女の登場に、その場にいた全員が感嘆の溜息を吐いた。
降り立った少女に対し、斉家の面々は次々に膝を付く。その先頭で、口を開いたのは李琵だった。
「ようこそお出で下さいました。私は斉家の家長・龍宝が妻、李琵と申します。名高い名家であられる焔家の姫君をお迎えできますこと、夫に代わり歓迎致します」
「ありがとうございます。どうかお立ち下さい」 李琵の言葉に答える少女の声は、まるで鈴が鳴るように澄んでよく通るものだった。その声に応じて立ち上がった面々に対し、今度は少女が礼をとった。
「お初にお目にかかります。私は焔家が一の姫、恋歌と申します。この度は当家にお迎え頂けますこと嬉しく存じます」
「ご丁寧にありがとうございます。どうぞお立ち下さいな」
少女―恋歌の返答に対し、李琵はにこやかに対応すると、立ち上がった恋歌に龍騎を紹介した。
「お会いできて光栄です。斉龍騎様」
「こちらこそ、お会いできまして嬉しく思います」
微笑み合う二人の様子を李琵は嬉しげに見守っていたが、会話は進まない様子を見て取り中へと促した。
「さあさ、そろそろ昼餉に致しましょう。恋歌姫もお腹がおすきでしょう? さぁ、中へどうぞ」
先立って行く李琵の後に、二人は続いて邸内へと入って行った。