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Brother

作者: 原 なつめ

「俺、ここ出ていくんだー」

 兄貴はのんびりとした調子でそう言った。突然の兄貴の宣告に僕は思わず固まってしまった。ボトっという鈍い音をたてて、口の前まで運んだオムライスがスプーンから落ちた。

「何、言ってるんだよ」

「もうさ、新しいマンションも借りててさ、来月には引越すんだ」

 楽しみだなぁ、なんて間延びした声で呑気なこと言って、美味しそうに僕が作ったオムライスを頬ばる兄貴。僕はその姿に妙な苛立ちを覚えて、気づけば木製の背の低いテーブルに拳を突き立てていた。今にも爪が食い込んで血が出そうなくらい手のひらがひどく熱い。

「……面白くないよ、その冗談」

 精一杯の虚勢を張ったつもりだ。声が震えて、喉が乾く。コップに手を伸ばして、一気に水を飲み干した。

「大体、ここ出てどうするつもりなの? 兄貴に仕事ができると思ってるの? 今でも僕に養ってもらってさ、ご飯だって掃除だって、ろくにできてないじゃないか」

「そうだなぁ。できないかもなぁ」

「できないかもなぁ、じゃないよ。しなきゃいけないんだよ? わかってるの?」

 兄貴よりも必死に語りかける自分の姿に笑いそうになる。滑稽だ。

 僕は一人でも食べていける。まだまだペーペーではあるけれど、がんばって勉強して一流と呼ばれるに相応しい会社に入社して、現在も必死に働いている。いわゆるブラック企業とまではいかないにしろ、時々ある休日出勤や残業にだって積極的に力を尽くしたし、今のところ同僚の中でも数人しかいない無遅刻無欠席を続けて、上司から皆勤賞をもらったばかりだ。

 だけど兄貴は違う。大学は適当なところへ行って適当に卒業して、就職するんだと思っていたら、会社勤めは俺には合わないなんて突拍子もない事を言い出して、25歳になった今でもフリーターを続けている。加えてこの前まで働いていたバイト先もクビになり、今は無職のプー太郎だ。

 そんな男が一人暮らしなんて始めて大丈夫なわけがない。野垂れ死んでしまうに違いない。

 両親がいた頃は、兄貴のことが大嫌いだった。野垂れ死のうがダンボールを拾うことになろうがどうでもいいと思っていた。けれど、3年前に事故で死んだとき、そんな簡単にこんなことも言えなくなった。取り残された僕と兄貴は、もういい歳ということもあって親戚を頼ることもなく、二人で生計をたてなければならなくなったからだ。その時は兄貴にも派遣の仕事があったし、僕はまだ学生でアルバイトしかできなかったから、二人の給料を合わせて何とか切り盛りして小さなアパートに二人で住むのが精一杯だった。

 そして、僕はいつの間にか、兄貴のことを無意識のうちに頼りにするようになっていた。

「お前には色々と迷惑かけたろ。今だって、俺がいなかったらもっと立派なマンション借りて、一人で暮らしてさ、んで彼女なんてできたら好き勝手連れ込んでよ。そういうの、お前できなかったろ」

「別にしたいと思わないよ。それに僕は……女の子は、苦手だし」

 自己中心的で自分を着飾ることでしか生きる価値を見いだせない。女の子はみんな馬鹿だし、馬鹿で許されることを知っている。僕はそんな「女の人間」という生き物があまり得意ではなかった。だから兄貴の言っていることには全く共感できなかったし、正直そんなことはどうでもいいとさえ思った。

「今まで……二人で生きてきたじゃないか」

「うん」

「どうして……なんで、何が不満なんだよ」

「不満とかじゃないよ」

「じゃあ何?」

「後悔してるんだよ。俺のせいでお前が好き勝手できなかったこと」

「別に僕は何も我慢してなかったし、好き勝手やってきたつもりだよ。勉強だって好きだったし、今だって……」

「そうじゃないんだ……俺が、嫌なんだよ」

 勝手な奴。そう思った。本当に勝手な奴だ。僕は何度も何度もそう思った。

 だけど言えなかった。兄貴のどこか自分を痛めつけるような顔を見たら、とてもじゃないけど言えなかった。

「兄貴が嫌でも……僕は、どうなるの?」

「そうだなぁ。ずっと一緒だったもんなぁ」

「そうだよ。こんな歳になってほっぽり出されて、僕は一人で……僕一人で、どうしろって言うんだよ!」

 テーブルに突き立てられた拳が宙を浮かんで、静かに降りた。

 情け無かった。

 どんなにいい大学を出ても、どんなにいい会社に勤めても、僕の心は満たされることはなかった。当たり障りのない人間関係を続けて、浅く広い顔見知りに囲まれた生活がどんどん進歩していく。その中で安心できる人間関係なんて築けやしなかった。そう、僕の心の拠り所は、いつの間にか家族である「兄貴のいる生活」になっていたのだ。

 きっと羨ましさもあったんだと思う。兄貴はいつだって自由奔放で、他人のことなんてお構いなしで、好きなことしていっぱい笑って……そんな兄貴に憧れていたんだと思う。兄貴の周りにはいつだって人が集まっていて、その人達も笑っていて、そんな兄貴が、僕はすごく羨ましかったんだと思う。

 そして憧れの対象を生活の上で支ええているのが僕で、僕がいなければ兄貴は笑って過ごすことも好きなことをし続けることもできない。そう思うことで、どこか精神的に優位に立っていたつもりだったんだ。人気者の兄貴よりも、僕の方が社会的に優れている。そう思うことで、僕は自分の中にある心の穴を埋めることに必死になっていたんだ。

「おいおい、泣くなよー」

「泣いてないよ。泣くわけないだろ」

「悪かったって」

 言いながら、兄貴は僕の頭を撫でる。これは兄貴の小さい頃からの癖だ。

「お前なら、大丈夫だよ。一人でちゃんとやってけるさ。困った時は笑ってりゃいいんだ」

「笑う?」

「そう。笑顔ってすげぇんだぞー。笑ってるだけで、幸せな気持ちになれるんだからな」

 笑顔でそう言って兄貴はオムライスの最後の一口を頬張った。

「言ってもあと一ヶ月もあるしさ。のんびりこれまでと同じように過ごそうぜ」

 カラカラ笑って食器を流しへ持っていく姿を見て、僕はもう何を言っても無駄なんだということを悟った。兄貴は一度決めたら絶対に曲げない。でも、熱しやすくて冷めやすい。だからふとしたときにまた戻ってくるかもしれないな。急いで残りのオムライスをかきこみながらぼんやりとそんなことを考えた。

「……あとの、一ヶ月使ってさ、教えてあげるよ……料理、とか」

「そいつは楽しみにしてるよ」

 後について食器を流しへ持って行き、肩を並べて食器を洗う。

 ボソリと言った僕の言葉に、兄貴は濡れた手で僕の肩を叩いた。


嫌いだけど自分にとって必要なのって、意外と家族だったりしますよね。


初めましてこんにちわこんばんわおはようございます。

原 なつめです。


思春期の頃は家族が大嫌いでした。

口うるさいし干渉してくるし、どうでもいいことで怒ってくるし。

早く一人暮らしでも始めて解放されたいなぁ、とそんなことばかり考えていました。

大学生になり一人暮らしを始めてみて、実感したことは、私の人生の半分以上を家族が形成してくれていたこと。それでした。

自立するっていうのは予想に反してとてもむずかしいものです。


あって当たり前だから、なんだって言える。思える。

だけど、実際なくなってしまったら?


弟くんはきっとこれから笑って暮らしていくでしょう。

お兄さんは適当にフラっと戻ってくるかもしれませんね。


最後に、お付き合いいただきありがとうございました。

一人でも読んでくださる方がいることが、私の心の支えです。

まだまだ稚拙ながら精進して参りますので、これからも末永くよろしくお願い致します。


2012/07/13/Fri/23:05/Natsume Hara

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