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 峰岸愛花が転校してきたのは、新しいクラスにも馴染んできた五月の始めだった。

 まるでビスクドールのように可愛らしい容姿と、誰にでも打ち解ける社交性のおかげか、彼女は一週間も経たないうちに人気者となった。また、彼女が峰岸グループの一族の者であり、この学校の理事長が叔父である事も、彼女の人気を加速させていた。

 彼女に近づきたい。仲良くなりたい。独占したい。

 様々な欲望が渦巻く中、愛花が側にいる事を望んだのは、たまたま隣の席に座っていただけの芹沢叶恵だった。

 極普通の、どちらかと言えば影の薄い大人しい少女。家も中小企業という、愛花とは比べようもない格下の相手に、周囲は疑問の声を上げた。

 

 何であの子が、アイツが。

 

 愛花の隣の座を狙っていた者の嫉妬が憎悪に変わるのは、至極簡単だった。更に学校のトップであり、名門の家ばかり集めた生徒会が愛花に惚れた事により、叶恵の立場はより一層落とされていく。

 毎日のように浴びせれる罵声と暴力。

 親友だと言っていた少女は助けもくれない。それどころか、さり気なく叶恵の評価を下げている張本人である事に誰も気づかない。

 辛い。痛い。苦しい。

 どうして私だけが、と心の中で泣き叫ぶ日々。

 だが、叶恵は学校を休む事も辞める事もしなかった。ただじっと耐えて、愛花の側にいた。

 あの優しい父に迷惑をかけてはいけない。悲しませてはいけない。

 中小企業の社長とはいえ、ここの学費はとんでもない出費になるのだ。だが特待生枠は、その全てが無料となる。

 実力でその枠を獲得した時の父親の喜ぶ姿が、叶恵の心の支えだった。

 そして、この学校で偶然に再開した幼なじみの彼を、叶恵は守りたかったのだ。



 大丈夫。

 まだ、大丈夫。



 何度も自分に言い聞かせ、誤魔化し。

 叶恵は自分の心が少しずつ壊れていく音に、気づかないふりをした。






 □ ■ □ ■ □






 理事長室に用事があると言う愛花と別れ、三ヶ月ぶりの教室に入ると、それまでざわついていた空気がピタリと止まった。皆、一様に叶恵に視線を向け、そしてあからさまにヒソヒソと声を交わす。



 何で今頃。

 あんな事件を起こして。

 記憶喪失って本当?

 いい度胸してるよな。



 聞こえるような陰口に、叶恵は笑いをこらえた。


 ああ、何てくだらない。どこにいようと、心無い人間の質というものは変わらないものか。


 それにしても記憶喪失設定がもう広まっている事には驚いたが、あれだけ人通りの多い校門で感動の再会劇を展開していれば当然かと納得する。

 叶恵は陰口に気づかないふりをして、扉の近くにいた生徒に声をかけた。


「ねえ、私の席って何処かな?」


 何の脅えもなく声をかけるその姿は、今までの叶恵からは想像もつかない事だった。予想外の行動に驚いた生徒は声も出せず、何とか視線を後ろに向けてその場所を指し示す。


「後ろね。ありがとう」


 礼をして、叶恵はゆっくりと歩き出した。その背筋は真っ直ぐで、眩しいぐらいに清廉に見える。

 だが、席に近づきその現状を目にして、叶恵は少しだけ眉を寄せた。

 叶恵の机に書き込まれた罵詈雑言。醜いまでの憎悪が、そこに刻まれていた。

 無言で机を眺めている叶恵の姿を見て、傷ついているのだと判断した生徒達はようやく動き出した。


「どうしたんだよ、芹沢。お前の机じゃないか」

「そうそう。お前にぴったりの席だよなー」


 クスクスクスクスクスクス。


 笑い声が教室に広まる。

 見下し、笑い物にしようとする姿はとても歪んでいた。

 さあ、芹沢叶恵はどのような行動に出るのだろうか。生徒達の心は期待で高まる。いつもなら肩を震わせ、おとなしく席につくのだが。


「確認。これは確かに、私の席であっているの?」


 だが、叶恵から発せられた声は、何の感情も見えない問いかけだった。

 その、叶恵らしからぬ行動に生徒達は驚き、誰もが答えられず、静寂だけが教室を満たしていく。


「ん?聞こえなかったのかな。これは、私の席であっているの?」

「お、おう。そんな汚い机、お前のに決まってるじゃないか!」

「ふーん、わかった。ありがとう」


 再度問いかけた質問に何とか答えた生徒を一瞥し、叶恵は制服のポケットから携帯を取り出し、カメラモードに切り替えて机を写していく。

 突然の行動に誰もが無言で、その様子を見ていた。

 やがて満足する写真が撮れたのだろう、叶恵はうんうんと頷き携帯をポケットに収めた。


「じゃ、私、今から新しい机を取りに用務員室に行ってくるから」


 シュタッ、と右手を軽く上げて周囲に伝えると、叶恵は颯爽と教室から出ようとする。


「ま、待て待て待て!今、何をしていたんだ!?」


 だが、やっと現実に戻ってきた生徒が声を上げ、その足を止めさせた。


「何って、写真を撮っていただけなんだけど」

「だから、何であんな机の写真を撮るんだよ!」

「んー、状況証拠?みたいな?」

「…証……拠?」


 叶恵の言っている事が理解できず、生徒はその単語を繰り返して呟く。


「うん。だってこれって所謂、虐めってヤツでしょ?しかもこんなに明確な形で残っている物なんて貴重じゃない。だから証拠写真を残しておこうかなー、て。ご丁寧に文字で書かれてるから、筆跡もバッチリ!」


 筆跡、という言葉に何名かの女子生徒がビクリと震えた。あまりのわかりやすさに、叶恵は笑みを浮かべる。


「ある程度溜まったら、教育委員会とかマスコミとかに流してみようかな。駄目でも、ネットとかで流すだけだし。今って便利な世の中だよね。情報なんて、すぐに全世界に拡散されるんだから。……うん?何でみんな、そんなに顔色悪くしてるの?まさかクラスメイトが虐めに荷担してるなんて、そんな訳ないものね」


 叶恵から発せられた言葉に、誰もが顔を青ざめた。


 誰だ、これは。

 これは本当に、あの、芹沢叶恵なのか?


 生徒達は今までとは違う、異物を見るような表情で叶恵を見ていた。

 逆に叶恵は、そんな生徒達を見て満足そうに微笑むと、新しい机を受け取る為に教室を出て行った。



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