血
夢を見ていた。
実際見ていた時間は短かったが、とても長い間夢を見ているようだった。
暗闇に一人、自分だけが立っていた。真っ暗な空間。不思議なことに、自分の体だけは普通と変わらず明るく見えていた。
ここはどこだろう。農作業で固くなりひび割れた自分の手を見ながら男は考えた。
何も思い出せなかった。頭の中が空になったようで考えるのも馬鹿らしくなっていた。
男は歩いた。暗闇の中、どこに行くかも決めず、ただ進み続けた。まるで空中に浮いているかのように体が軽かった。この先に何があるのだろう、という気持ちがよぎったが一瞬で意識は無になった。
男はもう何も考えずに歩いていた。
どれぐらい歩いただろうか、男の眼前に少し明るい場所が見えた。少しセピアがかった光。どこか懐かしい、昔の映写機が放つ光のような暖かい光だった。
男は無意識の内にその光の中へ入って行っていた。男の体は光に照らされ、ひび割れた手はみずみずしく若々しい色に変わり、顔に深く刻まれた皺もなくなり若々しい顔立ちに変わっていた。男の脳裏には自分が生まれてからの記憶と、血液に刻まれた先祖達の見た記憶がなだれ込んできていた。
そしてまた意識は暗闇に包まれた。
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アルフォードは書斎から勝手に赤ワインを持ってきて、リビングルームにあるカウンターで飲んでいた。
「ふむ……なかなかいい味じゃないか。この苦味、堪らんね。」
「堪らんね、じゃぁないぜ。アルフォード。そいつはここにある中で、一番いい酒だったんだぜ」
カートだった。若返り、さっきまでのビール腹のオヤジとは似てもつかぬ青年の姿になっていた。
「ふむ、年月というものは恐ろしいな。このような端正な顔立ちの男があのような腹になるのか。それに口調も少し荒っぽくなっている。さっきのほうがまだ愉快だったぞ」
アルフォードは口に笑みを浮かべ、勝手に用意しておいたもう一つのグラスにワインを注ぎ、カートに手渡した。
「人間は老いるものなんだぜ、吸血鬼は見た目は老いるが精神はジジイだろう?」
「ふむ、確かにそうかもしれんな。だが、成熟した精神を持つと、感情に任せるような行動は取らないから長生きするのだ」
「そうかい、ところでアルフォード」
「言わなくてもいいぞ。あれは皆見るものだ。吸血鬼の血が混じり、元からお前の中にあった人間の血が活性化されて記憶を呼び覚ましたのだ。お前の細胞に受け継がれた先祖の記憶、今の言葉ではDNAというのか、それに刻まれた記憶も一緒に呼び起こされたのだ」
カートは怪訝そうな表情でグラスに口を付け言った。
「なんであんたDNAなんて言葉知ってるんだ?」
「書斎にある医学書に書いてあった」
カートは苦笑いしながらワインを飲み干した。
「もしかして家の中を物色したのか?」
「ん、ああ日光を遮断せねばならなかったからな。心配するな、お前がどんな趣味をしていようと私は興味ない」
アルフォードはそういうと笑ってまたグラスにワインを注いだ。
「チッ……、あれも見られたのか……。いや、何でもないぜ。」
カートは額に手を当てうなだれた。
「私が眠りにつく前はあんなものなかったぞ。あっても対して興奮しない押絵が書かれているだけだった」
アルフォードはニヤニヤしながらカートの肩に手を置いた。
「それに、あの本に書いてあるようなことをしてるやつなんて一人もいなかった。時代と共に人々の趣向も変わってくるのだなぁ。本に載っていた道具……あれ、最初見た時は拷問道具かと思ったぜ。いや、実際ページを捲るまでは拷問道具を集めた趣味の悪い本だと思っていた。まあ、別の意味で趣味が悪かったがね、あれは。」
カートは俯いたまま小刻みに震えていた。
「しかも、あの本の表紙。一見してそういう本だと分からないようにするカモフラージュか?革表紙でお洒落な見た目だったじゃないか。まさかそんなものの中身があんな凄い物だったとは思いもしないぜ」
言い終えるとアルフォードは吹き出し、大声を出して笑った。
カートの体は小刻みに震えていたが、いまは握った拳の指先に力が集中し青白かった手は赤くなっていた。
「おっ……。これはマズい」
アルフォードはまだ笑いを堪えきれずニヤニヤし、今にもまた吹き出しそうな表情で2、3歩後ずさりした。
「アルフォード……絶対に……許さんッ!」
カートは机の上に置いてあった空のワインボトルを中に投げ、落ちてきたワインボトルを殴った。
ワインボトルはバラバラになり、弾け飛んだガラスの破片がアルフォードの方へ飛んで行った。
「ぬおおッ!これはッ……よけれんッ!」
アルフォードは身を左によじり逃げようとしたが無駄だった。
「破片が一つ残らずッ……私の方に向かって飛んでくるッ!こッこれはァ……?!」
全身にガラスが刺さったアルフォードは衝撃でテレビにぶつかった。
「ヌゥウ……なかなかの衝撃ッ!なかなかの威力ッ! なかなか驚いたぞカート……」
ガラスはアルフォードの体内に吸い込まれるように入って行き消滅した。
「今の破片……お前の血液を付着させていたな?人間だったら死んでいたぞ……」
カートはもう落ち着きを取り戻していた。そして口元に笑みを浮かべ言った。
「あのガラス、なんで全部外れずにお前のところに飛んだかわかるか?」
カートは手の甲をぷらぷらと降りアルフォードに見せた。
「ああ……見えていた。そして驚き動きが一瞬遅れたのだ。 お前はボトルを殴った瞬間、手の甲から血管を放出した。そして血管から血液を噴射しガラス片を飛ばしたというわけか……」
アルフォードは自分の手の甲を見つめ、またカートに視線を戻した。
「そして血液を噴射した時、血管の先を細め血液の威力を高めた」
アルフォードは、確かめるようにカートを見つめる目を細めた。
「さすが本物の吸血鬼は伊達じゃないな。あの一瞬で全て見破られるとは思わなかった。昔やったことがあるのか?」
「いや、血管を外に出すなんて真似したやつはお前が初めてだ」
アルフォードがそういうと、二人は目を合わせ、笑った。
「さっきは済まなかった。あんなものを見てしまってはからかってみたくなるものだ」
「ああ、俺も悪かった少し大人気なかったぜ」
「だがテレビは大丈夫だろうか、さっきぶつかった時に倒してしまった」
「壊れてたら新しいテレビを買えばいいさ、最近は3Dのやつとかあるんだからなぁ」
「3Dだと?今そこにあるテレビでも驚いたというのにまだ進化しているというのか……」
カートの家はこの日、今までなかったほど賑わっていた。
カーテンが閉められ中の様子は伺えないが、二人の騒ぎ声は、はるか遠くにまで届いていた。
いつの間に入ったのか、カートの家の排気口から一匹のフクロウが飛んで行った。
そのフクロウは真っ白で、太陽に照らされて輝いていた。
その姿はまるで、白い礼服を着た紳士のようであった。
そして、瞬く間にフクロウは遠くへ行ってしまった。
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