【番外編】tromper sa femme? ~deux
ねぇ? その美人さんは誰?
やっぱりあなたは浮気者だったの?
信じてって言った言葉は、やっぱり嘘だったの?
目の前を楽しそうに横切る夫と美女。
なす術もなく立ちすくむシシィ……
「――!!!」
ハッと目が覚めた。
嫌な夢……
じっとりと汗をかいていた。
目を開けてぼんやりしていたら、涙も一粒、こぼれていった。
眼の前には見慣れた、そして懐かしい天井。
と。
「シシィ!!! 気が付いた? 大丈夫?!」
血相を変えたディータの顔があった。
「ディー……」
緩慢な動きで首を横に向けるシシィ。
シシィの手はしっかりとディータに握り締められている。
「シシィが倒れたって聞いて、慌てて飛んで帰ってきたんだ!! 今朝はどうもなかったのに、急にどうしたんだろう? 早く帰って医者に診てもらおう? 今日は僕が移動魔法で連れて帰るよ」
矢継ぎ早にまくしたてるディータ。
普段はあんなに冷静なディータが、今は余裕も何もない。
アメジストの瞳を揺らしている。
そんなディータを不思議なくらい冷静に観察しているシシィ。
脳裏に昼間の光景と夢の場面がフラッシュバックしてきた。途端にまた悲しみがこみ上げてくる。
「……いい。帰らない。しばらくここにいるから、ディーだけ帰って」
目をつぶり、ディータの顔を見ないようにして告げる。
「えっ?」
シシィの発言が信じられないといったように目を見開くディータ。
「どういう……」
「いいの。しばらくここにいたいの」
ディータの言を遮るように言い放ったシシィは、頭を元に戻し、
「疲れちゃったから……眠るわ。さよなら、ディー」
そう言って目を閉じてしまった。
「さよならって、どういうこと? ねえ? シシィ!!」
なおも手を離さずシシィに詰め寄るディータだったが、
「今日はもう疲れたみたいなのでそっとしておいてあげて?」
と、マダムにやんわり言われて部屋からつまみ出された。
しばらくわめいていたディータだったが、呼ばれて来たアウイン家の執事や警護兵に強制送還されていった。
「何があったの? ディーさんものすごい荒れ様だったわよ?」
夕飯にと、マダムがオートミールの粥を作ってきてくれた。
「お話しますから…… その前にこの部屋に結界を張ってもらえませんか? 強力なものを。私くらいの魔法なら、ディーならやすやすと突破しちゃうから」
「あらあら、どうしたの。ディーさんを締め出し? う~ん、まあ待ってなさい。魔女様にお願いしてくるわ」
困った子ねと苦笑しながらマダムは部屋を出て行った。
しばらくすると、部屋に結界が張られたのがわかった。
これならさすがのディーでも突破できないだろう。さすがはプロ。
「マダム、どこの魔女様にお願いしたのかしら? 私ならこうもいかないわ。これならディーも突破できないわね」
まじまじと見ながら、感心しつつ一人ごちるシシィ。
そこに、
「はい。お望み通り結界を張ってきたわよ?」
にこやかにマダムが部屋に入ってきた。
「ありがとうございます。これでようやく落ち着けます」
起き上がろうとするシシィを押しとどめたマダムが、
「ならよかったわ。気分はどお? まあ! お夕飯、手も付けてないじゃないの。大丈夫? 今日はもう寝てしまう?」
手も付けられていない夕飯の載ったお盆を見つけて、マダムはやれやれと肩をすくめる。
無理には聞き出そうとしないマダムの気遣いに、また涙が溢れそうになる。
「少し落ち着きましたけど…… やっぱり、明日、お話ししていいですか?」
「いつでもいいのよ? 話して楽になるなら話せばいいし、話したくないなら無理には聞かないわ」
優しく微笑みながらシシィの手を取り、包み込むマダム。
「ありがとう、マダム。おやすみなさい。あ、ディーが来ても絶対に通さないでくださいね!!」
これだけは伝えておかねば、とマダムに顔を向ける。
「ふふふ。はいはい。わかったわ。おやすみ」
そう言うとマダムは、優しくシシィの頭を撫でてから布団を整えて、冷めてしまった夕飯のお盆を手に、部屋を出て行った。
なんだか外が騒がしいなぁ……
誰かが外でわめいている。
その声で目が覚めたシシィ。
この声は、ディーだ。
声の主に思い当たり、きゅっと目を閉じるシシィ。
しばらくして、その喧騒が遠ざかっていったと思うと、部屋のドアがノックされた。
「はい」
「おはよう、シシィ」
そう言ってドアから顔を出したのはマダム。今朝も美味しそうに湯気を立てているお粥と、瑞々しい果物を載せたお盆を手にして部屋に入ってきた。シシィはゆっくりと起き上がった。
「おはようございます。さっき騒いでいたのって、ディーですよね?」
「ふふふ。聞こえてた様ね。ええ、泣きそうになってたわよ? 移動魔法も結界に阻まれてあえなく断念したみたいだし?」
くすくす笑うマダム。ディータ、女々しいぞ。
「すみません」
何故だか謝っておかないと、と思ったシシィ。
「今日も執事さんと警備兵さんに連行されていったわ! おほほほほほ!」
思い出してさらに笑うマダム。
「なんだか目に浮かびます」
容易にその姿が想像でき、何だかいたたまれなくなったシシィ。
「さ、朝ごはんは食べられそう? 昨日は結局食べなかったでしょう?」
マダムは少しシシィを睨む。
「うう…… ごめんなさい。今朝も食べられないかも……」
目を伏せたまま告げるシシィ。伏せられたまつ毛が小刻みに震える。
「ふぅ。困った子ね? これじゃダーリンのお菓子も入らないわねぇ?」
「食べたいのは山々なんですけど……」
胸が一杯で食事どころではないのだ。
「そう。わかったわ。果物は?」
「今はいいです」
「もう、ほんとに困った娘だわ」
肩をすくめるマダム。
「あの、マダム? 聞いてくれますか?」
それまで伏せていた視線をマダムに向けて、意を決したように口を開いた。
「……そんなことがあったの。つらかったわね? いいのよ、今はゆっくりなさい?」
昨日の出来事をマダムにすっかり話してしまうと、少し気分が軽くなった気がした。
マダムは静かにシシィの話に耳を傾けてくれていた。そして、話を聞き終えてから、優しくシシィの髪を撫でてくれた。
「ありがとうございます」
その手のぬくもりにほっとしつつも、アクアマリンはずっと伏せられたまま。
そんなシシィの顔を覗き込みながら、
「で。少しは食べれそう?」
マダムは問うたが、
「無理です」
頑なに拒否するシシィ。
「もうっ!」
この娘は~と、恨めし気にシシィを見るマダムだが、
「もう少し寝ます。起きたら食欲が湧いてくるかもしれませんし」
そう言うとシシィはもう一度頭から布団を引きかぶった。
~パティスリー前にて~
「弾かれたんだよ? 僕の移動魔法が!! シシィじゃないよね? あんな結界張れるの!」
「はいはい、ディーさん、落ち着いて」
「マダム! これが落ち着いていられますか!!」
「リリィのお願いなんですよ。ディーさんを締め出してって」
「そんなぁ~!」
「さ、ディータ様。出仕のお時間でございます。このままでは遅刻してしまいます」
「遅刻くらい結構だ!! シシィ~~~!!」
「だめですねぇ。警備の者、これへ」
「はっ!」
「引き摺って行きますよ」
「はっ!」
ずるるるるるる……
「シシィィィィィ……」
「やれやれ」
今日もありがとうございました!