【番外編】tromper sa femme? ~un
tromper sa femme = 妻を裏切る=浮気
ディータが浮気? 結婚後半年ほど経った二人です☆
最近、侍女たちの様子がおかしい。
なんとなくだが、何かそわそわしているような。
シシィと目があったら気まずそうに眼を逸らせたり、無理やり笑顔を張り付けたり。
だからと言って仕事をおろそかにしているわけではない。
寧ろいつも以上にシシィに気を遣い、世話を焼いてくる。
アウイン侯爵ディータと結婚して半年。
今日はパティスリーのお休みの日。
出仕するディータを屋敷の玄関まで見送った後、自室でお菓子のレシピ本を読む。
今度の新作のインスピレーションが得られたら、と参考までに。
陽のよく当たる明るい窓辺近くのソファに寝そべり、パラパラとページをめくる。
色とりどりの華やかなお菓子が目に飛び込んでくる。
夢中で読んでいるところに、
「奥様、お茶はいかがですか?」
侍女がワゴンにお茶を載せてやってきた。
「あら。ありがとう。ちょうど飲みたかったところよ?」
本から視線を外し、「よいしょっ」と起き上がってにっこりと微笑むシシィ。
「ではお淹れいたしますね」
つられて微笑む侍女。シシィが寝転がったせいで乱れたドレスの裾を直しながら座り直していると、今度は違う侍女が、
「お茶菓子もいかがですか? 先ほどマドレーヌが焼き上がりましたの」
と言ってお菓子を持ってくる。
「あら、美味しそうないい香り!! ありがとう、いただくわ」
ほのかに鼻をくすぐる甘いバニラの香りに、幸せな気分が広がる。
侍女からマドレーヌの盛り付けられたお皿を受け取り、甘い香りを胸いっぱい堪能していると、また他の侍女が、
「奥様、奥様!! このお花がとってもきれいでしたので、こちらにお持ちしました!」
と、庭から摘みたての花を持ってくる。
「まあ、これは美事に咲いているわね!」
かわいらしい花の美事さに、感嘆の声を上げる。
他にも侍女があれこれとシシィに構ってくる。
やたらと侍女が寄ってたかってシシィの周りに群がってくる感じだ。
お茶を淹れたり、お菓子を運んだり、花を飾ったり等々は日常茶飯事だが、こんなに一時に押し寄せるようにはしない。
淹れたてのお茶を口に運びながら「?」となるシシィだった。
「ほらほらあなたたち! 奥様に群がってないで他の仕事もなさい!」
難しい顔をして、パンパンと手を叩きながら侍女長がシシィに群がる侍女たちを追い払う。
「「「「はぁい」」」」
蜘蛛の子を散らしたように侍女たちは散開する。
「おくつろぎのところを彼女たちがお邪魔してしまい、申し訳ございません」
困ったようなすまなさそうな顔をして、侍女長が深々と頭を下げる。
「いいのよ。本を読んでいただけだしね? 気にすることないわ」
ニッコリと言うシシィ。それを見てほっとする侍女長。
しかし、シシィがぼんやりしているように見えた途端にまた侍女たちが群がってくる。
そしてまた侍女長に追い払われる。
そんなやり取りが最近よく続いていた。
「ああ、今日も研修だよ。めんどくさいなぁ」
良く晴れた清々しい青空を見上げながらディータが言う。最近研修が続いているらしく、面倒だ面倒だとよくこぼしている。唇を尖らせて、まるで子供のようだ。
「くすくす。大変ね? でも頑張ってくださいませ」
そんな子供じみた仕草につられて笑みになるシシィ。
「シシィが言うなら頑張るよ。今日も早く終わらせるね?」
「はい。頑張ってね?」
朝。
そんなやり取りを行ってからディータは出仕する。
シシィのおでこにチュッと一つキスを落としてから。
赤くなりながらも幸せそうに目を細めるシシィ。
見慣れた光景に、見て見ぬふりをするマダムとだんなさん。
二人は毎朝徒歩で仕事に向かう。
まずはシシィをパティスリーに送ってから、それからディータは王城へ。
警備兵が、二人の邪魔をしないようにこっそりと、周りを警護して。
馬車で行けばあっという間に着くのだが、二人でのんびり手をつないで歩く時間が好きなのだ。
ディータを店の前で送ってから、パティスリーの仕事を手伝う。
「昨日、色々レシピを見てたんですよぉ~」
艶々と新鮮なイチゴをふんだんに飾ったイチゴのタルトを運びながら、シシィはマダムに報告する。まるで『ほめてほめて! おかーさん!』と纏わりつく子供のようだ。
「まあ、研究熱心でありがたいわぁ」
そんなシシィの様子がかわいくてくすくす笑うマダム。
マダムと二人、ショウケースにケーキを並べながらおしゃべりするのも楽しい時間。
「リリィ、リンゴが足りないんだけど、市場に行って調達してきてくれない?」
お昼を過ぎて、カフェの客足が落ち着いてきた頃。
マダムがシシィにお使いを頼んできた。
「いいですよ~」
空いたテーブルを片付けながら、シシィはマダムに返事をした。
お嬢様で、買い物などしたことなかったシシィだが、町娘生活ですっかりへっちゃらになっていた。
エプロンを取り、マダムからお金を預かり市場へ向かう。
市場は噴水大広場を挟んで北に位置している。
ほんの少しの距離だ。
目的の果物屋も、市場の入ってすぐのところ。
シシィは小走りに果物屋へと向かった。
「こんにちは~。美味しいリンゴくださいな~」
果物の甘いいい香りに包まれた店内を覗き込みながら、シシィは声をかける。
「まあ、リリィちゃんたら!」
奥から出てきたマダムは、シシィの言い草にプッと笑う。
「ここの果物はどれも美味しいんですけどね! その中でもとびきりのを下さいな!」
こちらもとびきりの笑顔でお願いするシシィ。
「はいはい、ありがとうね。いくつ御入り用?」
ガサゴソと紙袋を開けながら、果物屋のマダムが聞いてくる。
「10個だそうです」
シシィは手近にあったレモンを手に取ってクンクンしながら答えた。
「毎度ありがとうね~」
「おじゃましました~」
リンゴ10個と、手にしていたレモンを「おまけだよ♪」といただいて、店を辞去したシシィ。
噴水のところまで鼻歌交じりに戻ってきた時だった。
「――?」
眼の前を、ディータが横切った。
正確に言うと、噴水を挟んで向こう側とこちら側の開きはあったのだが、シシィにははっきりとディータだと判ったのだ。
今朝着ていた服まで同じな、よく似た他人などいないだろう。
「ディー……」
その場に立ちつくし、小声でつぶやく。
声をかけられなかったのは、ディータが女性と一緒にいたからだった。
金色の美事な髪は腰の長さまであり、ふわふわと煌めきを放っている。
長身のディータと並んでも遜色のないすらりとした背丈。出るところは出、締まるところは締まったキレのある身体。
キリリとした目元は凛とした美しさを醸し出している。
決して見たいものではないのに、食い入るように夫の隣の女性を見てしまう。
遠目に見ても美女。
そう。結婚するまでディータが侍らせていた女性たちのように。
地面に縫い止められたかのように動かない足。
この場からさっさと逃げてしまいたいのに。
見たくない場面なのに、アクアマリンはディータの姿を追い続ける。
ディータと美女以外の、すべてのものが色彩をなくしたように感じる。
美女はディータの腕に自分の腕を絡ませて楽しげに微笑んでいる。
ディータもそれに応えて微笑みを向ける。
何て、お似合いな二人……
私、あんなに綺麗じゃない……
二人を見送る視界が急激に曇ってきた。
知らず頬を零れ落ちる雫。
ガサッ! コロコロコロコロコロ……
手からリンゴとレモンを入れた紙袋が滑り落ち、中身が散逸する。
ああ、拾わなくちゃと思うけれど、動けない。
立っていられなくなって、その場にうずくまる。
「どうされました!!」
慌てた声がして、若い男の人が駆け寄ってきた。
「あ……立ちくらみです。大丈夫です」
泣きながら立ちくらみと言うのもどうかと思われたが、そうしか言えなかった。
シシィがうずくまっている間に、その男の人はリンゴとレモンを素早く拾い上げ、元の紙袋に入れてくれる。
「さ、帰りましょう。歩けますか?」
手を引かれ立ち上がらせてくれるが、足に力が入らない。
ふらふらしていると、
「失礼いたします」
と言ってシシィの肩を抱き、泣き顔もついでに周囲から隠してくれる。
「……すみません」
「いいえ! さ、お送りいたしますので」
そう言うと、シシィをパティスリーまで連れて行ってくれた。
自分がどこの者かなど一言も言ってないのに、パティスリーに運ばれたのを疑問にすら思わないほど、シシィはショックを受けていた。
「リリィ!! どうしたの!!」
ただならぬ様子のシシィがパティスリーに運ばれてきた途端、マダムが血相変えて飛び出してきた。
「立ちくらみがして……ごめんなさい、マダム……リンゴ、落としちゃった……」
男の人の腕の中で、顔を伏せたままマダムに告げる。
「そんなことどうでもいいわ!! さ、お部屋で休みましょう? あなたの部屋、そのままだから」
男の人からシシィを受け取ると、マダムは、シシィが以前使っていた部屋に連れて行った。
「顔色が悪いわ。今日はもうお手伝いいいからここで寝てなさい」
マダムはシシィに布団をかけながら言った。
「ごめんなさい……少し、寝ます……」
泣いて腫れた瞼を閉じるシシィ。
「ゆっくり寝るのよ? 何かあったら呼ぶのよ。いいわね?」
マダムは念を押すように言い聞かせる。
「はい……」
素直に目を閉じるシシィだった。
~奥様を尾行中~
買い物に出られた奥様を遠巻きに尾行していたら、噴水のところで突然立ち止まられたかと思うや否や真っ青になり、買い物袋を取り落し、その場に蹲ってしまわれました。
尾行は後回しに、慌てて奥様をお助けに参りました。リンゴとレモンを拾い、奥様をパティスリーにお連れする。華奢なお身体が小刻みに震えておられるのもおいたわしゅうございました。よほどご気分が悪くておられたのでしょう。
マダムに奥様をお預けして、私はその足で王城におられる旦那様の元へと報告に参りました。
ええ、もちろん警備は他の者がおりますよ?
読んでいただいてありがとうございました(^^)