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独り善がりのその先は

馬鹿な僕は、先生に励まされて泣く

作者: 森山

 真向かいには、担任の小山内(おさない)先生がいる。

 32歳、1歳半になる娘がいるらしい。

 今年この小学校に転任してきて、5年3組、僕のクラスの担任になった。


 机の上には一学期の成績表。


『5年3組2番 雨宮(あまみや)ゆずる


 全体日数 69日 出席日数 42日 欠席日数 27日


 国語B 算数C 理科C 社会C 体育C 音楽C 図工B 家庭科B 総合学習C


 全体評価B´


 総評: 復習をしっかりとしましょう。授業中、ぼーっとしている様子が見受けられます。家庭での生活リズムを整え、元気に学校へ通いましょう。何事も意欲的に取り組み、やり遂げる姿勢を身につけましょう。』


「あのな、雨宮。俺も厳しいことはできるだけ言いたくないんだよ。けどな、小学生の授業内容でこんな成績をとってどうする?」


 どうする、と言われても、「どうしましょう?」もしくは「どうしたらいいんですか?」としか返答できない僕は、結局、へらりと気の抜けた笑い顔をつくる。


 今日は二者面談。

 本当は、各家庭の母親と担任の先生とが話し合うのが一般的なんだけれど、僕の場合は違う。

 保護者兼親権者である叔父さんがどうしても仕事が抜けられないとかで、僕は自分の成績表とにらめっこしながら先生と面談する。


 各教科、最低評価のCばかりが並び、全体評価はお情けでB´がつく程度の成績表。

 

 間違いなくこのクラス、いや、この学年で一番頭が悪いのは僕だろう。

 毎回の事なので特に何も感じなかったけれど、初めて僕を受け持った小山内先生はどうやら違うらしい。


 心底呆れたような顔をして溜息をつき、それから少し怒ったような顔をして熱っぽく喋り出す。


「なぁ、脅しじゃないんだ。先生、雨宮に、本気で頑張ってほしくて言ってるんだ。お前が将来、困らないために言ってるんだよ?…勉強ができなかったらどうなる。考えたこと、あるか?まだ想像できないかもしれないが、これからは、もっともっと人間の知能が重視されてくる。高度化してくるんだ。小学校で習う内容なんて、初歩の初歩にも満たないんだぞ?…雨宮。おまえはやればできる子だって、俺はよ~っく知ってる。だから、もっと意欲を出して頑張ってほしいんだ。先生に、おまえの本気を見せてほしいんだよ」


 言われて、ぼんやりする頭で考える。

 本気、って、どういう本気だろうか。

 分からなかったが、取り敢えず莞爾に笑ってみた。


「…ありがとうございます」


 無茶苦茶なお礼を言えば、先生は調子を狂わされてしまったみたいな顔をする。変に眉を寄せ、口をへの字に曲げ、まるで、「この子は要領を得ていない」と決めつけているような、そんな顔。


 先生は少しの間思案して、僕の何かを見透かそうとじっと瞳を見つめ始めた。

 

 僕は「この先生、綺麗な目ぇしてるなぁ」なんて、全く的外れなことを考えながら、熱い視線を瞳孔の裏側に通すみたいな感覚で、後頭部へと貫通させる。


 しばし沈黙が続いたが、やがて何を思ったのか先生が、

「…雨宮。お父さんやお母さんが、かまってくれないのか?だから今日も来てくれないのか?先生、心配してるんだぞ。ネグレクトって知ってるか?もしそうだったら、先生、おまえの家に抗議しに行ってやるから、気軽に相談してくれたっていいんだぞ」

と言ってきたので驚いた。


…親のことは、自分の口から言っていない。ただし、家庭調査票に叔父さんと2人暮らしだと記入した。確かに、今日の面談にいたっては、「仕事が忙しいらしいのでどうしても無理」とだけ伝えて、誰が来るとも言っていなかったけれど。

 単に家庭調査票を見ていないだけなのか、興味もなにもなく、忘れてしまったのか。


 返事をすることも忘れ、鳩が豆鉄砲くらったような間抜けな顔を晒していると、先生は更に言葉を重ねた。


「なぁ、真剣に考えてやるから。誰にも絶対に喋らないし、内緒にする。…なにか、言いたいことあるんじゃないのか。な?一緒に解決していこう?」


 「はい」とも「いいえ」とも答えられず、僕の口から思わず出てきたのは、


「ふふ」


虚ろな笑いだった。


 先生の眉がピクリと反応して、僕はまずいと思ったから、慌てて顔を引き締める。

 それから、気付かれないようたっぷりと息を吸って、吐くのと同時に、言葉を乗せる。


「僕のこと、真剣に悩んでくれてありがとうございます。けれど、スミマセン。ネグレクトじゃないんです。ただ、仕事が抜けられないから来られないだけなんです」


 きっぱりと言い切ってしまえば、先生は半信半疑の様子で、しかし何も言えはしない。


 一瞬にして冷めてしまった。

「あぁ、この先生はダメだ」、と。


 僕は一度冷めてしまった相手に対しては、とんと単調な、表面的な付き合いしかできなくなる。

 自分の内を晒すことなど、絶対にしなくなってしまうのだ。


 僕は極め付けを言うため、「いい生徒」の顔をつくる。

 光のこもった、やる気に満ちた目をしてみせる。


「先生、僕頑張ります。勉強できないのは悔しいから、一生懸命に」


 そんなこと、絶対にやろうとはしないし、出来る保証もないけれど。

 

 だけど僕がこう言うだけで、ホッとした表情をする大人がいるんだから、何も間違ってはいないでしょう?


 …この先生は多分、簡単なのが好きだ。

 

 それは分かり易い生徒で、かつ、扱い易い生徒。

 「頑張れ」と発破をかけられると、「頑張る」と答え、一生懸命努力する生徒のこと。

 「そんなのじゃダメだ」と気合を入れられると「悔しい」と感じ、巻き返そうとする生徒のこと。

 「応援するぞ」と肩をたたかれると「嬉しい」と思い、自分は1人じゃないと信じる生徒のこと。


 僕は、僕が知らないところに絶対に枉げられない信条というものを持っていて、それは、ちょっとやそっとじゃ、けして折れない。

 理解しているからこそ、タチが悪いのだ。


「頑張れよ、雨宮!!」

僕の肩をボンと叩いた先生は、満足そうに笑っていた。


 僕は成績表を掴み、ランドセルを肩にかけ、教室を後にする。

 引き戸を開け、廊下に出て、後ろ手で扉を閉める。

 クラスメイトが、母親とともに廊下で待っていた。


 もう、我慢が出来ない。


 僕の顔がくしゃりと歪む。

 腹の底から、モソモソと這いあがってくる。

 背を丸める。口を押さえる。


「くくっ、」


 唇の間から洩れた声は、一気に僕を愉快な気分にさせた。

 ついに堪らなくなって、僕は天を仰ぎ、思い切り笑う。


「ははっ、あはははは」


 周囲の視線なんて気にならない。

 愉快で愉快で仕方がない。


 長い廊下を歩きながら、僕は目に涙まで溜めて笑い続けた。

 

 時折すれ違うクラスメイトとその母親が、奇異なものを見るような目でこちらをうかがっていた。

 もともとクラスでも浮いた存在だったから、こういうのも、もう、どうだっていい。


 親子の話題の一つにでもなるでしょう?だったら、いいじゃないかそれで。貢献してあげてるじゃないか、家族の語らいというヤツに。


「ふふふっ…」


 ひとしきり笑って、随分と気持ちが落ち着いてきたところで、僕は「はぁっ」と短い溜息をつき、もう一度天を仰ぐ。

 青く青く、迷いのない綺麗な空。入道雲さえまっさらで、微塵の汚れも知らない。


 僕は何を思ったのか、自分でも分からないままにその場へ立ち止まり、じっとくすみのない空を見上げ続けた。

 肩の力が段々と抜け、情けないことに膝の力さえ抜けそうになる。

 見えない力に引っ張りこまれそうだった。

 カクンと沈みそうになった身体をギリギリで支え、両の脚でなんとか踏ん張る。

 まるで、魂が昇華されてゆくみたいだ。


 僕は、僕の脚で、僕自身を支えなくちゃいけない。


 一瞬にして、そんな事実が僕の頭をよぎった。

 そのことを、理解した途端。


「ふっ、ぇ……」


 何故か突然息が詰まって、わけが分からぬままに変な声を出した。

 思わず舌根で気道を潰し、歯を食いしばる。

 しかしどこから湧いて出てきたのか、奥底からせり上がってきた熱い塊が、鈍く、重く、喉を圧迫し始めた。

 だんだんと鼻の奥が痛くなり、目の前がぼやけて歪む。


 …さっきまで笑っていたのに、一体何が悲しくてこんなことになってるんだろう。


 僕は考えて、しかし明確な答えは一向に出ぬまま、解放を求める訴えだけが、さざ波となって僕をさいなむ。

 目に宿った透明な滴は、瞬きすると零れ落ちそうなくらいにいっぱいいっぱいだったので、何とか空を見上げてやり過ごそうとした。

 しかしそうすればするほど、切なさが心を締め付け、ついには息をすることさえ苦しくなった。


「~~~~~~っ……」


 僕はぎゅっと目を閉じる。溢れだした涙が頬を伝う。

 天を見上げながら、歩き始めた。わんわん泣きながら、歩いて行った。


 道行く大人が、通り過ぎる子どもが、嗚咽混じりに泣く僕を不思議そうに見つめていた。


 はやく、はやく、家に帰ろう。

 誰も抱きしめてはくれないけれど。出迎えてもくれないけれど。

 家に、帰りたい。

 帰ったら、手を洗ってうがいをして、冷蔵庫の中からゼリーを出して食べるんだ。それからTVをつけて、お風呂の仕度もしよう。シャワーで浴槽を流すついでに、顔を洗ったっていい。疲れたなら部屋に上がって、気持ちのいいベッドに沈む。

 叔父さんが帰ってくるまでには涙を拭いておこう。でないと、自分が、惨めで惨めで仕方がない。

 だから、それまでに泣いてしまおうか。

 家に着くまでに、涙を枯らしてしまおうか。


 この溢れ出るしょっぱい体液が、今までどんなに邪魔だと思ったことだろう。面倒くさい、必要ないものだと感じたことだろう。

 けれど、誰の力でも止めることが出来ないのだ。後から後から頬を伝って、自分でも何が悲しいのか、悔しいのか、辛いのか、分からないままに泣いてしまうのだ。


 僕は、僕の両脚で僕自身を支えて、立ち上がって、歩いて行かなければいけない。転んだって、泣いたって、嫌になったって、きっと。

 手探りで道を探しながら、それが正解なのか間違いなのか、そもそもそんな答えが何処にあるかも分からないままに。


ご覧いただきありがとうございます。

シリーズで管理しておりますが、執筆したのは随分昔です。

が、書いたときのもどかしさが何となく分からないでもない、今日このごろ。


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