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(8)夜明けの夢

 夜明けちかく、まだ薄暗い天幕のなかでファルヴァルトはめざめた。夢の内容はたちまちのうちに、ざるで水をすくおうとするかのように記憶から欠け落ちていったのに、その名残りは澱のようにからだのなかに滞って、不吉な予感を残した。

 額ににじんだ寝汗を手の甲でぬぐう。

 しばらく、毛布のなかで怠惰なときをむさぼってみるが、どうにも目が冴えてねむれない。しかたなく身を起こすと、猫のようにしなやかな伸びをした。

 薄い鎧下しか身につけていないために、かれの意外にたくましい身体つきが、薄闇のなかにさらされる。

 折りたたみ式の簡易ベッドが、彼の下できしんだ。

 討伐軍一万、いや今は八千に打ち減らされているが、その総司令官であるルーメリア王国第二王子の天幕といっても、みるからに簡素なものであった。騎士たちのそれとくらべても、やや大きいにすぎない。なかは等分に2つに仕切られ、片方をかれの従者が使っている。

「お目覚めでしょうか」

 薄い仕切りをあけて、その従者が寝ぼけまなこの顔をだす。隣の気配に気づいたのだろう。

 従者はまだ十五、六くらいにしかならない子どもぽさののこる少年だった。じつによく気のきく子で重宝していたが、同時に気がききすぎて鬱陶しくもあった。

「ああ、すまなかった。起こしてしまったか」

「いえ、なにか、お持ちしましょうか」

「いや、いい。まだ朝まで間がある。寝ておけ」

 かれはぼさぼさのルーメリア人の平均からいえば、ずいぶんと茶色がかった髪をかきまわしながら眠そうな声でそう告げ、毛布にもぐり込んでみせた。

 少年はその彼をなにかまぶしいものでもみるようにみつめていたのだが、そう命じられると、安心したように自分に割り当てられた区画にさがり、眠りについた。

 ファルヴァルトの方はねむれるとは思っていなかったのだが、やがてその若さにふさわしい深い眠りがかれを捕えた。


 ファルヴァルトの朝食はこのところ毎日のトーラ将軍とともにしていたため、それは一種、私的な軍議の場と化していた。

 朝食それ自体は、たいてい暖かなスープと、固いパン、それにたまに干した果物がつくことがあるという、粗末なものであったが、量だけはふんだんにあった。

 若い健康な食欲で、ファルヴァルトはそれらのものをたいらげながら話をはじめた。

「いったい、どういうつもりだろうな、ライエルは。時間が立てば立つほど、補給線がのびきっているぶん、不利になるはずだ。どうして動こうとしない」

 緒戦以来、ライエルは陣を構えたまま、ほとんど動こうとしなかった。

「はい、ライエルに勝機があるとすれば、それは一撃必勝であったはずです。一気に攻めのぼってこそ、かれらの進撃に価値があったはずです」

 トーラ将軍はまぎれもない敬慕のまなざしをファルヴァルトにむけて言った。

 かれは最初の戦いより、すっかりファルヴァルトに心酔し、個人的に忠誠を誓いもしたのだった。

 まだ若く、それほど世慣れているとはいえないファルヴァルトは、このようなほとんど無条件の忠誠を、しかも、かなり年配の実力のある人物から受けることに慣れてはいず、当惑し、うっとうしくも感じたが、同時にかれの冷静で打算的な一面がこの忠誠を受け入れるほうが得策だとうながした。

 しかし、困るのはそれ以来、トーラ将軍は軍議でもなんでも彼に一歩ゆずるようになったどころか、自ら考えることをほとんど止めてしまったので、ファルヴァルトは立案された作戦を今までのようにただ「異存ない」と言っているだけではすまなくなったことだった。

 けっして能力がないわけではないが、本来働くことがきらいな怠け者の第二王子には重い荷でもあった。

「どうせなら、あと二日、動かないで欲しいな」

 二日中にはトリアス伯の率いる五千の援軍がとどく予定である。そうなれば、兵の士気はあがるだろうし、なによりも数の上でかなり凌駕することになる。敵よりも多くの戦力を整えることは忘れられがちであるが、戦略の基本でもあった。

「まあ、トリアス伯の力を借りるのは、あまり気乗りしないが、奴らの尋常でない戦いぶりを考えると、数で圧倒するしかない。もっともライエルにしてみたら、それは先刻承知のはずだ。そう簡単にいかせてくれないだろうな」

 トリアス伯はルーメリア国内ではライエルにつぐ有力な貴族だった。この戦いにかれの率いる援軍によって勝利がもたらされれば、彼の国内での地位は飛躍的に高くなるだろうし、一方、総指令官として討伐軍を率いているファルヴァルトの立場はなくなるだろう。しかし、だからといって、ファルヴァルトはこちらから無理に戦いをしかけようとはしなかった。それは、血気にはやりやすい若者らしくない行動ではあったし、功にはやる好戦的な者たちの中には、その彼を臆病者とそしるものもいた。が、トーラ将軍の目には自分の利害に惑わされない高い視野をもつようにうつり、ますます敬慕の念を深めさせていった。

 もっともあまり権勢欲の持ち合わせのないファルヴァルトは、戦いが楽であればあるほどいいと、単純に考えているだけだったのだが。

「ライエルは援軍が到着するまえに、動き出すと?」

「それがセオリーっていうものだろう? あるいは」

 かれは固いパンをちぎる手をとめて、宙をにらんだ。「あるいは、援軍を待っているのは、奴らのほうなのか」

「まさか!」

 老将軍は黒い目を見開いて、小さく叫んだ。かまわず、ファルヴァルトは将軍に問いかけた。「ライエル軍は、騎兵のみの構成だ。残りの兵はどうしたと思う」

「自領の護りに残したのでは?」

「そうだといいんだがな。とにかく、戦闘体制を整えておいてくれ。この二日間が勝負どころになるぞ」

「はっ!」

 しかし、それはすでに遅きに失していた。

「殿下!」

 天幕に飛びこんできた衛兵が、反乱軍の急襲を告げた。


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