(5)狂戦士
討伐軍は王立騎士団三千にワーゼン守護兵団二千、さらに近隣の貴族の城塞から供出された兵をふくめ、一万余に膨れあがった。
王城より出立して、すでに三日。ライエル反乱の報より五日が過ぎようとしていた。討伐軍は王城より東に広がる森とノ-ゼン平原との境目に街道を中心として陣を敷き、迎え撃つ体制を整えていた。
反乱軍はすでにライエル領から王城にいたる半分以上の道のりを踏破している。
もともとライエル領は東のソーレアと国境を接する辺境の地。早馬をつかっても王都ワーゼンまでにはゆうに五日ほどかかる距離にある。それが騎馬兵のみの構成とはいえ、五千の兵の、しかも立ちふさがる城塞を落としながらの移動となれば、驚異的な進軍の速さであった。
「魔法をつかってるって、噂がたつわけだよな」
ファルヴァルトは密かにつぶやいたが、そばに控えていた白髪の老将に聞きとがめられた。副将としてファルヴァルトの補佐につかされたトーラ将軍であった。
かれは今年、齢60となろうしていたが、華々しい戦歴と豊かな経験をもつ歴戦の勇者である。若くほとんど実戦の経験のないファルヴァルトの補佐としては適切な配置であったのだが、それをいいことにファルヴァルトはいままで戦略、戦術の立案をかれに任せたきり、まったく口を挟もうともしなかった。それゆえ、幕僚たちはそんな彼を形ばかりの総指令官として軽んじはじめていた。
もっとも、ファルヴァルト本人も自分の役まわりは兵たちの士気を鼓舞するための精神的支柱、一種のお飾り程度としかおもっていなかったので、幕僚たちの軽侮のまなざしなど痛くも痒くもなかった。
「なんと、仰せられましたか、殿下」
「いや、別に」
トーラ将軍のよく日に灼けた皺ぶかい顔を横目にみやりながら、ファルヴァルトは考えこんだ。
この将軍はたしかに経験と実績をつんでいるが、不測の事態に対応する柔軟性は欠けている。もし、魔法なんていうわけのわからないものに出会えばあっというまに混乱してしまい、それを補なってやらなくてはならないだろう。もっとも彼とて、魔法を前にしていかに戦うかというと、はなはだ自信がなかった。
(まったく、ルジェンだけでも厄介なのに、そのうえに魔法使いだって!)
かれは頭をかかえたくなった。だれかと代われるものなら、代わりたいものだった。
だが、こういう心配ごとをいつまでも抱えたままにしておくには、かれは若く楽天的すぎ、また物事を深く追求することにも慣れていなかった。
(まあ、いいか。魔法使いなんて、いるか、いないかさえもわからないもののことをいつまでも心配したって、しょうがない。いたら、いたらで、なるようになるさ)
眼前のノーゼン平原をつめたい秋風が吹きすぎていく。金色に枯れかかった緑の下生えがゆれ、さざ波が走る。
そのはるかむこうまでのびる灰色の街道の彼方に、ファルヴァルトは土煙をみとめて、静かな声で言った。
「将軍、反乱軍のご到着だ」
陣営はたちまちのうちに緊張につつまれた。
やがて土煙のなかから、赤地に白い鷹のライエル伯の旗を陣頭におしたて、いまや反乱軍と堕したライエル白鷹騎兵、五千がその姿をあらわした。
馬のいななきが風にのって聞こえてくる。馬蹄の轟きが街道をゆるがす。一糸乱れぬみごとな行軍であった。
そして、それはまた不気味な進撃であった。兵士たちは鬨の声ひとつあげることもなく、不吉な沈黙が反乱軍を覆っていた。
「そんな馬鹿な!」
討伐軍の首脳陣は息をのんだ。
ライエル軍はいったん停止して、陣をたてなおすことなく、そのまま突入してこようとしていた。
ふつうはお互いに布陣を敷き、それからおもむろに弓矢の応戦から戦いをはじめるこの時代には、とても考えられぬ戦法である。
幕僚たちの目がいっせいに実質的な指令官であるトーラ将軍にむけられた。
しかし、かれは長年の経験に逆にとらわれ、狼狽え、策を見うしなっていた。
それを見てとって、ファルヴァルトは小さく口のなかで舌打ちした。
(しょうがないな)
反乱軍は予想以上に迅速に行動している、こちらもはやく対処しなければ、このままではやすやすと中央突破されてしまう。
数のうえでは圧倒的に勝っているものの左右に展開しているぶん、討伐軍の布陣は薄くなっている。しかも、そのまま反乱軍が駆け抜けていくようなことになれば、面倒な事態になりかねなかった。
この地より王城までの兵のほとんどをかき集めてきたのだ。当然、ここより王城にむかう道はほとんど無防備と化し、王城そのものも通常に較べれば、ほとんど兵をおいていないに等しい状態であった。
しかも、騎馬兵のみの構成である反乱軍にたいして、討伐軍はその半数以上が歩兵。機動力に差がありすぎ、追いすがるには無理がある。なんとしても、ここで彼らの進撃を阻まなければならないのだ。
「あの進軍のはやさじゃ、左翼、右翼の兵をあつめてても、間にあわないな」
ファルヴァルトは何気ない様子でいった。
トーラ将軍が不思議なものをみるように怪訝げに王子をみやった。いままで、かれが軍議に口を挟んだことはなかった。
ほかの幕僚たちも同様である。
だが、その視線にも動ずるふうもなく、王子はいつものとぼけた調子でつづけた。
「むしろ、側背を左右からうたせ後続を断ち、先鋒部隊を中央本隊で叩く。これで、いいのかな、将軍」
ちょうど問をあたえられた生徒がそれに答えたというふうに、将軍に問いかける。
老将としての誇りを傷つけられずに救われた形となったトーラ将軍は、皺ぶかい顔を輝かせた。
「仰せの通りです、殿下」
その歴戦の勇者の瞼の奥になかば隠れた黒い瞳には、深い敬慕の色がめばえた。
伝令が行きかい、戦太鼓がとうとうと打ちならされるなか、両者が激突した。
かかげた盾で弓矢の攻撃をふせぎながら突撃してくる反乱兵を本隊がうけとめる。
このあいだに左翼と右翼の部隊が側面にまわりこみ、後続部隊を絶った。孤立した形になった反乱軍の先鋒部隊は合流した左翼、右翼の兵にとりかこまれるかたちになり、そのほとんどが殲滅された。
しかし、それは実際のところたやすい戦いどころではなかった。またむろん戦記に描かれるような麗々しくも気高い戦いでもなかった。むしろ、陰惨かつ醜怪な酸鼻をきわめる戦いであった。
反乱兵の戦いぶりは異常であった。
かれらは傷を負っても負っても立ちあがってきた。致命傷を帯び血を傷口から噴出させながらも、まったくそれを気にするふうもなく、戦いを挑んできたのだ。
戦いをやめさせるには、その息の根を完全に絶たねばならなかった。
それはまさしく自らの死以外でしか戦いをとめられない、伝説の狂戦士以外の何者でもない。そんなものが、団体であらわれたのである。厳しい規律に律せられたルーメリア騎士団を軸としていなければ、討伐軍はあっというまに瓦解していただろう。
分断された反乱軍の後続部隊はすみやかに撤退し、平原に陣を敷き、左右に展開した。討伐軍もそれにあわせて、布陣を開き、相手の出方をうかがう。圧倒的多数により先鋒部隊をたいらげ、反乱軍のこれ以上の進撃を阻んだものの、全軍は八千ほどに討ち減らされていた。それに対して反乱軍は五百の兵を失ったにすぎない。
彼らの尋常でない戦いぶりは、討伐軍を震撼とさせ、戦いの出足をにぶらせていた。
そして、ライエル反乱軍のほうは、なにかを待ち受けるようにその場から動こうとせず、戦線はそのまま膠着状態に陥った。