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(1)令嬢と第二王子

 ルシニア湖を金色に輝かせていた昼の光の名残りは去り、湖面は闇のなかに隠された。湖の波音の囁きが、風に乗って運ばれてくるだけの穏やかな夜だった。

 王城の湖側に張りだしたテラスの一つに灯かりがともった。なんの装飾もない白い大理石のテーブルの側の男女が照らしだされる。

 女のほうは十五、六くらい。まだ少女と呼ばれるのにふさわしい年代である。ルーメリア人特有の黒髪に黒い瞳、やや浅黒い肌。大きなくるりとした瞳が印象的である。

濃緑色のゆったりした簡素なドレスを身にまとい、立ったままいらいらと早口でしゃべり続けている。つやのある長い髪は大人っぽく結いあげられていたが、勢いのある髪質のせいで、今にもほどけおちてしまいそうだった。

 男の方は二十二、三くらいの精悍な青年であった。くつろいだふうに椅子に座り、少女の話をうとんじる風もなく、逆におもしろがっているような表情を浮かべて、聞き流している。こちらも少女とおなじ黒髪と黒い瞳であったが、やや茶色がかり、肌の色も白い。純粋なルーメリア人とは言いがたく、異国の血を感じさせる。体つきは特別がっしりしているほうではないが、華奢というかんじはない。むしろ、よく鍛えあげられて、むだな筋肉がそぎおとされている感じだ。

 黒ずくめのなりをしていたが、腰にさげられた剣のつかの宝石が、テラスのひさしからさげられたランプの光を反射して青い炎のようにかがやいていた。

「兄様なんか、大キライ! 館にどこの馬の骨かわからない女を引き入れたのよ。しかも、正式な奥方にするんですって。それは、私よりは少しばかりキレイな人だわ。髪なんかまるで金でつくったみたいだし。だけど、あんな高飛車で傲慢な女のどこがいいの? ううん、そんなことはどうでもいいわ。これはわが伯爵家はじまって以来の醜聞だわ」

 この少女の兄、ライエル伯爵ルジェンはこの春、父の後を引きついでその位についたばかりだった。ライエル伯爵家自体は長い歴史を誇る名家で、王族との親交もあつい。また若きライエル伯爵は勇猛果敢な武将として名を馳せていた。

 男はややつくりが大ざっぱなものの精悍な顔に好奇心を閃かした。

「いったい、その人はどういう人なんだい、ノエル」

「まあ、ファルってば、わたしの話をぜんぜん聞いてなかったのね」

 ノエルはきつい一睨みを彼にくれてやると続けた。「兄様がどこからか、拾ってきたの。狩りの途中かなにかで。どこか異国の人ね。青い瞳に金色の髪をしてる。白くてとてもきれいだけど、薄気味悪いわ。それにあの瞳。あれは何かをたくらんでる目だわ。きっと、お兄様の財産と地位をねらってきたのよ。それなのに、お兄様ときたらあの人にぞっこんなの。ついには結婚するだなんて言い出して、お屋敷じゅう大騒ぎだわ」

(あのカタブツがやるもんだ)

 ファルは―――正式の名をファルヴァルトという―――心のなかで呟いた。ライエル伯爵とその妹をまじえて、彼ら、王家の兄弟とはよい幼なじみで遊び友だちだった。だから、伯爵の人となりはよく理解していた。実直で朴訥な人柄の彼は女性が苦手で、きれいな女性を目の前にすると、ただオロオロするばかりだったのだ。それが、身分違いの女性と結婚するのだという。彼らしいといえば、彼らしかった。

「ねえ、どうしたら、いいのかしら。なにを言ってもお兄様は聞いてくれないの。レルドリック様ならなんとか諫めてくださらないかと思ったのに、会ってくださらないし。こんな話、手紙や人を介してっていうわけにはいかないのに」

「俺じゃ、頼りにならないってわけか」

 ファルは憤慨するようにつぶやくと、ノエルがそれを聞きとがめた。

「ファルなんてダメよ。おもしろがって、問題を大きくするのに決まってるもの。今だって、ちっともマジメにとりあってくれてないじゃないの。でも、あなたのお兄様のレルドリック様はちがうわ。あの方は特別だもの」

 ノエルの大きな黒い瞳がきらきらと輝く。彼女はルーメリアの王太子レルドリックの許婚であった。

 その婚姻は異国の姫を母に持つ王太子の国内での立場を強化するはずであった。また、ライエル伯爵家としても王家とのつながりが深まり、その国内の地位をゆるぎなきものにするであろう。

 だが、そういう双方の家の思惑があるとはいえ、彼女は許婚である王太子を純粋に慕っていた。だから、もちろん、彼女の言い分には少しばかりの娘らしい幻想が混ざってはいたが、レルドリックは『特別』と言われるだけの人物であることは、彼の弟であるファルさえも認めずにはいられないものであった。それが証拠に、彼自身も心から兄を敬愛していた。

「よくご存じで」

 ファルは茶化すように両手を広げてみせ、立ち上がった。「この件は兄上に伝えておこう、ノエル」

 急にマジメな顔になって言った。

 ノエルは一歩進みでると、ほのかに頬を染め哀願した。「どうしてもレルドリック様にお会いできないのかしら」

 ファルは決心をつけかねるように彼女をみやり、ためらいがちに言った。「君は兄上の婚約者だ、知る権利はあるとおもう。父上が病に弊れた。兄上は国王の代役を果たさなくてはならない。私的なことに費やす時間はあまりないんだ」

「国王陛下が……」

 ノエルはその場に硬直してしまった。

「まだ公式発表はしていない。君もライエル領に帰ってもこのことはしばらく内密にして欲しい。兄上が国王としての責務を滞りなく、引きつげるだけの時間が稼げればいいのだが」

「お悪いの?」

「よくはない。いまは落ち着いておられるが。侍医の話ではいつ容体が急変してもおかしくないそうだ」

「まあ!」ノエルは口元に右手をあてた。「あなたは国王陛下の側についてなくてはいけなかったのね。それなのに、わたしのくだらないおしゃべりにいつまでもつきあって下さったのね」

「くだらなくはないさ、ノエル。君や君のお兄さんの消息を聞くことは俺にとっても、兄にとってもうれしいことだよ。少しは気も紛れるしね。それに俺がそばについていても、容体がよくなるというわけではないんだからね」

 なだめるようにおだやかな口調でファルは言ったが、その茶色がかった黒い瞳に悲しみの色を認めて、ノエルは胸をつかれ、慰めの言葉を口に出そうとした。

 と、ファルはふいにノエルを背にかばうようにして、テラスの出入り口を厳しい声で推可した。「だれだ!」

 腰をかるく沈め、右手が剣の柄のうえにおかれた。



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