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2. 私は

 私は、母さんの用意してくれた朝ご飯を食べて、身支度をし、コートを羽織って玄関へと向かった。

 父さんの靴は、とっくになかった。父さんは通勤に時間がかかる分、私より一時間も早く家を出てるから。

「じゃあ、母さん。仕事行ってくるね」

「あ、ちょっと待って」という声がして、母さんがキッチンから玄関まで出て来た。「明日香、行ってらっしゃい。あんまり遅くまで残業しちゃだめよ?」

「はーい」

 私は笑顔で答え、パンプスに足を通すと、手袋をした手で玄関の扉を開けた。


 二月の中旬。雪こそ降らないものの、外は冷たい。私はいつものようにバッグを肩にかけ、首元に巻いたショールを手で押さえつつ、家から最寄のバス停へと向かった。


 お正月にあった同窓会から、もう一ヶ月以上経つ。

 崇はあの翌日、東京へと戻って行った。

 本当は新幹線に乗る時に見送りたかったんだけど、崇にわざわざ来なくていいって言われてしまった。何でって尋ねたかったけど、聞きたくない答えが返って来るのが怖くて、やめておいた。どっちにしても、私の方の親戚付き合いがあって行けなかったし。

 だから、あの同窓会の翌日、バスターミナルで「またね」って言ったのが、崇に会った最後。そして、私の遠距離恋愛の始まり。


 崇と付き合い始めてわかったことだけど、遠距離恋愛って言っても、一昔前のイメージとは随分違ってきている。

 ケータイがあるから、すぐに声が聞けるし、メッセージを送り合える。崇とはケータイのキャリアがたまたま同じだったから、通信料もかなり抑えられてると思うし。

 むしろそれは当たり前で、それ以上のツールも今はある。つまり、最近の文明の利器の進歩はすごいってこと。

 だって、ある程度以上の速度でインターネットに繋がるパソコンがあれば、テレビ電話ができるんだもの。

 テレビ電話なんてそれまでしたことなかったんだけど、崇に教えてもらいながら、ウェブ・カメラを買ってきて自分のノートパソコンにセッティングした。

 崇は本当に仕事が忙しいみたいで、毎晩って言うわけにはいかないけど、それでも二日か三日に一度ずつ、五分とか十分とか時間を割いてはテレビ電話をくれる。

 まず崇から私のケータイにメールか電話が来る。それで私の都合と合えば、指定された時間にパソコンを立ち上げて崇からの着信を待つって具合。自分の部屋でインターネットができるようにしておいてよかったって思う。

 それでももちろん、寂しいなって思うこともある。画面の向こうに崇の顔を見るたびに、物理的には距離があるんだって実感しちゃうから。

 そして時々、ふと考える。もし、私たちが大学に進学した頃に既にこういったものがあったら、もしかしたら崇は――ううん、それは、考えるの、よそう。


 家の最寄りのバス停で、街に向かうバスを待つ人の列に並んでいたら、ハンドバッグの中が震えた。

 メールかな? 誰だろう?

 私は左肩に掛けていたバッグに右手を突っ込み、ケータイを取り出した。想像していた通り、メール着信を告げるサブライトが点滅していた。

 ケータイを開き、メールの受信ボックスを確認すると、崇からのメールが届いていた。


 『やっと木曜日だ。明日が待ち遠しい』


 崇らしいシンプルな文面に、つい笑みが零れる。

 すぐに返信を打とうとした矢先、周りの雰囲気が変わった。顔を上げると、交差点のすぐ向こうにバスが見えた。信号が変わったら、もうすぐ着く。私は右手の手袋を外して、急いで一言だけ打った。


 『私も』


 目の前にバスが止まった。手袋をし直して、既に混んでいる車内にできるだけ身を細くして滑り込む。バス停で待っていた客全てがなんとか乗り込むと、バスはゆっくりと発進した。


 そういえば、あの同窓会の日も、このバスに乗って会場まで行ったんだっけ。

 まさかあんなことになるとは思ってなくて、私は両親に「同窓会に行ってくる」とだけ告げて家を出ていた。

 一度電話で話したものの、それ以降連絡もないまま真夜中になっても帰って来なかった私を、両親はたいそう心配したらしい。翌朝ケータイを確認したときには、何度も着信が入っていた。マナーモードにしていたせいで、私は全然気付いてなかったけど。

 私が電話に出ないと余計に心配して、両親はお姉ちゃんにも電話していた。私がよくお義兄さんのバーに顔を出してるってことを知ってたお姉ちゃんは、お義兄さんへ電話。

 お義兄さんは、状況からなんとなく事情を察してくれて、自分が面倒を見ているから、両親にはそう伝えておいてくれ、とお姉ちゃんに言ってくれたそうだ。

 だから、両親に対しては、あの日私は、お義兄さんのバーで酔い潰れて、お姉ちゃんの家に泊まったってコトになっている。ホテルで起きてケータイを見たら、お義兄さんからそうメールが入っていた。だから、お父さんとお母さんにぼろが出ないように気をつけなさい、って。

 お義兄さんは、お姉ちゃんとお付き合いしてる時に、そういう件でやっぱり苦労してきたから、私に味方してくれたんだと思う。

 でも、お姉ちゃんには口裏合わせのために真相を知っておいて貰わないといけなくて、正直に話した。真相を知ったお姉ちゃんに、私とお義兄さんは二人揃ってすっごく怒られたけど。

 最後に、相手が崇だって知ったお姉ちゃんは「ふーん……」と言って黙った。お姉ちゃんも同じ高校に通ってたから、覚えてたのかもしれない。私が崇のことを好きだったってことも。

 とはいえ、お義兄さんからも釘を刺されている。

「明日香ちゃんも彼も、もういい大人だ。だから、二人のお付き合いのスタイルに、僕は口を出したくない。だけどね、物事には順番があるんじゃないかな? 未だ結婚もしてないような娘さんが外泊するなんて場合は特に、ね」

 本当に、そうだよね。

 真面目にお付き合いするなら、年齢的にも、お互いにきちんと親には会っておくべきだと思う。

 だけど崇は今遠くにいるし、毎晩遅くまで仕事をしてる崇に、それだけのために帰って来れないかって言うのも酷で……未だ、言えずにいる。


 ううん、違う。多分、それは自分に対する言い訳。

 本当は、怖いだけ。


 親に会って欲しいって言ったとき、崇が嫌そうな顔をするんじゃないかって。

 そして、それがきっかけで、私たちが距離に負けちゃうんじゃないかって。

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