11. やがて
やがて、空いたお腹を余計に刺激するような香りがフライパンから生じる。
それを我慢しつつハンバーグを裏返す。焦げ目を付けたところで火を弱中火にすると、茹でた野菜をもう一度暖めるためにフライパンの隅っこへ入れた。そしてそのまま蓋をする。
ハンバーグを蒸し焼きにしている間に、大急ぎでサラダを作る。水菜を適当な大きさに切って、大根を短冊切りにして水に付ける。トマトを洗って食べやすい大きさに切る。全部切り終えたところで、野菜をザルに上げて、上下に振って水を切る。
時計を見ると、フライパンの蓋をしてちょうど五分ほど経っていた。そろそろハンバーグも出来上がる頃だ。
「なんか、すげぇ豪華」
背後から崇の声が聞こえてきた。ちらりと見ると、やっぱりすぐ後ろに崇がいて、その向こうのコタツの上にはお皿がいくつか並んでいた。さっき私の頼んだことを終えたらしい。
「そう?」
手を休めている暇がなくて、私はサラダをお皿に移しながら答えた。
「こんな夕食、久しぶり。正月は実家帰ったけど、おせちだったし」
「いつも何食べてるの?」
そう言いながら、完成したサラダのお皿を崇に手渡す。崇はそのままコタツの方へ向かった。
「弁当屋に寄って帰るか、コンビニで買うか」
私はまたフライパンの方へ身体を向けると、ハンバーグの焼き加減を確認するために竹串を刺してみた。うん、中まで火が通ってる。いい感じだ。
「それじゃ、栄養が偏るよ?」
「仕方ねぇよ。作るの面倒くさいし。スーパーがやってる時間に帰れることなんて滅多にねぇし」
火を止めて、フライ返しを使ってハンバーグと温まった野菜をお皿に上げる。そして料理酒と中濃ソース、ケチャップ、マスタードを用意すると、フライパンに残った肉汁たっぷりの油の中に適当な量を入れてまた火をかけた。これをかき混ぜて、煮詰めて、ハンバーグ用のソースにする。菜箸、菜箸……あれ? ない?! いいや、フライ返しでやっちゃえ。
すぐにソースが沸騰し始めた。フライ返しでソースをぐるぐるとかき混ぜる。
「あぁ、そうだよねー。いつも電話くれるくらいの時間に帰ってくるんでしょ?」
崇から電話が来るのは、いつも十時とか十一時とか。もう深夜って言ってもいい時間帯だ。スーパーなんてやってるわけない。
「そ。十一時までに帰れたときだけ、明日香に電話してる」
「うん……。はい、できたよー」
料理酒のアルコールが飛んで、適度に煮詰まった。コンロの火を止めて、出来上がったソースを焼きたてのハンバーグに掛ける。
そのお皿を、またキッチンまで来ていた崇に渡した。
「これで終わり?」
「うん。あ、崇、ビール飲むよね?」
「ああ」
私は冷蔵庫を空けると、冷えた缶ビールを一本取り出して崇の後を追った。
座椅子に座り、ようやく夕食の準備が整う。私たちは手に手にお箸を取った。
「美味そうだ。ありがとな、明日香」
「味は保証できないけどね」
私はそう言ったけど、崇は手に持ったお箸を指に引っ掛けるようにしながら、両手を合わせ、料理に向かって目を閉じた。まるで、拝むみたいに。
「いただきます」
大真面目にそう言った崇に、思わず笑みがこぼれる。
たかが夕食で、大袈裟だよ。
崇が箸でハンバーグを切り、初めの一口を口へと運んだ。咀嚼し、喉を通っていくのが見て取れる。問題は味だよね。
「……どう?」
「ん、美味い。すげぇ美味いよ、このハンバーグ」
崇はそう言い、にっこりと笑った。
「本当? よかった」
「おぉ。明日香も冷めないうちに食えよ。そうしないと、オレが全部食っちまうぞ?」
すごい勢いでお箸を動かす崇を嬉しく思いながら、私もハンバーグに箸を入れた。初めちょっとだけ抵抗があって、その後すぐにスッと箸がハンバーグの間に消えていく。ちゃんと、外はカリッと、中はジューシーに、出来上がったみたいだ。ソースの味が、ちょっと濃かったもしれないけど、ビールを飲んでる人にはこのくらいの方がいいかな。自己採点で言うと八十点。
ほうれん草の胡麻和えとひじきの煮物の方にも箸を伸ばしてみる。冷蔵庫に入れていた分冷えていたけど、味は十分浸みていた。こっちは九十点くらい。
崇はさっきからずっと「美味い」って言いながら食べてくれてる。
その食欲は私の想像よりもずっと旺盛で驚いた。学生の頃ならまだしも、もうすぐ私たち三十路なのに。私はお姉ちゃんとの二人姉妹で育ってきたから、未だに同じくらいの年齢の男の人の食欲がよくわからない。気が付いたら、コタツの上に並んだ夕食の大半がなくなっていた。
もしかしたら、量、足りなかったかな? ハンバーグの大きさ、私の分の倍くらいあるんだけど。
私は心配になって聞いてみた。
「足りる? 足りなかったら、何か作るよ」
そう言いながら、冷蔵庫の中を思い出してみる。うーん、卵くらいしかないなぁ。あ、でも、出し巻き卵なら作れるかな。お味噌汁用の出汁を、結局使わずじまいになっちゃったから。
「いや、十分。腹キツい」
立ち上がろうとした私を、崇は手で制した。
「そう?」
崇は返事をする代わりに頷いた。
それからすぐに、お皿がすべて空になる。
崇はお箸をお茶碗の上に並べると、ぱんっと音が鳴るくらいの勢いで手を合わせ、また拝むような仕草をする。
「ごちそうさまでした!」
既にお腹がいっぱいになっていた私も、それに倣って手を合わせてご馳走様の挨拶をする。
そして、使った食器を重ねて台所へと運んだ。洗うのは後にして、水だけ張っておこう。それだけで後から洗うときに随分楽になるから。
「マジ、美味かったよ。腹いっぱい」
私が一回で運べなかった分を、崇が持ってきてくれた。そのお皿も受け取って、同じようにお水を張る。
んーやっぱり、ついでに洗っちゃおう。その方がゆっくりできるし。
私はスポンジを手に取って、洗剤を浸み込ませる。
「あ、オレ洗うよ?」
崇はそう言ってくれたけど、断った。私のせいで迷惑をかけちゃったし、ゆっくり休んでもらいたくて。