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9. 今

 今、私はカフェを後にして、そのカフェのすぐ目の前の駅の切符売り場の前にいる。

 さっきまでずっと、マスターが淹れてくれたグァテマラのコーヒーを飲みながら、話を聞いてもらっていた。


 マスターは、他のお客さんがとっくに帰って、お店を閉店した後も、親身になって私の話を聞いてくれた。娘と同じくらいの年齢の私に、親近感を覚えてくれたみたい。

 マスターはすごく話させ上手で、私は気がつくと、ぽつりぽつりと自分のことをマスターに話していた。崇とのことも、将来のことも、今が不安だらけだってこと。

「結局……私、怖いんです。崇に嫌われるのが。でも、今の状態は、父や母を裏切ってるみたいで、それもすごく嫌なんです」

 そう私が締めくくると、マスターは相槌を止め、腕を組んで静かに目を閉じた。

 しばしの沈黙の後、マスターが言った。

「君がそう言うなら、もう答えは出てるんじゃないのかい?」マスターはまたにっこりと笑った。「言いたいことがあるなら、きちんと相手に言わないと伝わらないよ? 僕が君から話を聞いた印象だと、その崇君は、ちゃんと君に向き合ってくれるいい青年だと思うけどね」


 私は、改札口の脇にある時計を見た。もう十時を回っている。随分と長い間、カフェにお邪魔してたみたい。

 マスターには、勇気をもらった気がする。

 崇に会ったらお願いしてみよう。一度、私の両親に会って欲しいって。私だって、崇のこと、本当に好きだから、こそこそしたお付き合いなんてしたくない。

 今日は、崇は残業で疲れてるだろうから。明日聞いてみよう。


 そんなことを考えながら、私は切符の自動販売機の上に貼られた時刻表と路線図を確認する。この私鉄も、次に来る電車が今日の最後みたい。十分後だ。五つ先の駅に、割と大きめの街があるから、そこに行けば今夜を過ごすことのできる宿も見つかるはずだ。

 私はあっという間に冷えてしまった手に、はぁと息を吹きかけながら、千円札を券売機に滑り込ませた。

「行キ先ヲ、押シテクダサイ」

機械的な女性の声が、券売機から聞こえてくる。

 えっと、駅名は……と。


 ジリリリリリン、ジリリリリリン、ジリリリリリン……


 まさに駅名のボタンを押そうとしたとき、ケータイの着信音が鳴り響いた。閑静な住宅街。周りが静かだから、余計に音が響く。

 私は慌ててハンドバッグの中からケータイを取り出し、画面もろくに見ずに受話ボタンを押した。

「もしもし?」

「――明日香?」

耳に押し当てたケータイから聞こえてきた声に、私は息が止まった。

 その声の主は、崇だったから。崇からの電話は、出るつもりなかったのに。失敗した。

「明日香、聞いてるか?」

いつになく鋭い崇の声に、私は言葉に詰まった。

「う、うん……」

「お前今どこにいる?」

「え? えっと……」

 ピピー、ピピー、ピピー……

 ブザーの音がして、券売機から入れたはずの千円札が吐き出されてきた。発券しないまま放っておいたから、リセットされちゃったんだ。

「駅か?」

その音が、崇にも聞こえたらしい。

「うん……」

「どこの?」

「えっと……」

答えを考える。だけど、嘘をつくには証拠を残しすぎてるってことにすぐ気が付いた。

 この崇の声。きっと、崇は家に帰って来たんだ。それで、家の中を私がいろいろと弄ったことに気が付いて、それで電話を掛けてきたんだ。

 そうか。そういえば私、お泊りセットを崇の家に忘れてきちゃってたんだっけ。それを見たら、私が来たことなんて、一目瞭然か。

「最寄駅か?」

崇の方が先に言った。仕方なく頷く。

「うん」

「わかった。絶対そこ動くなよ? いいな?」

崇は、そう言うと電話を切った。

 私は、券売機に挟まれたままだった千円札を財布に戻した。

 その直後、電車がやって来る。そして、いったん止まった後、すぐに線路を軋ませながら去って行った。やがて、サラリーマン風の人たちが何人か、改札を通って出て来る。

 乗客が全員いなくなった後、また静けさが戻って来る。

 私は小さくため息をついた。

 電車、行っちゃった……。


「明日香」

 その直後、名前を呼ばれてた。私が振り返ると、そこには、スーツを着たままの崇の姿があった。未だネクタイも外してない。なのにコートを着ていなかった。マフラーも、手袋もしていない。

「崇……」

 そんな格好じゃ、風邪引くよ?

 そう言おうとしたら、いきなり腕を捕まれた。崇はそのまま私をぐいぐいと引っ張りながら歩く。

「ちょっと、崇、痛い……」

「いいから来い」

 崇は私の方を見ようともしない。私は大人しく従った。

 引っ張られるような格好のまま、私は崇の表情を盗み見た。深く皺の寄った眉間ときつく結ばれた口元から、怒ってるのだと想像するのは容易かった。

 崇の歩く方向には、崇の家がある。家に着くまでの間、お互いに一言も話さなかった。

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