4. 近くに好きな人がいる人たちを
近くに好きな人がいる人たちを羨ましいと思ってたけど、近かったら近いで、いろいろと悩み事は尽きないのかもしれない。
そう言えば私も、大学生の頃にしていた恋では無駄にいろいろと悩んでいたもんね。今にして思えば、若かったなぁって言葉で納まっちゃうことばかりだったけど、当時の私にはすごく大きな問題だったりとかして。
人それぞれで、立場それぞれで、思うことっていろいろと違うんだろうな。
私だって、今、親に言ってないことを後ろめたいって思ってるし……。
「明日香ちゃん、未だ時間かかるの?」
お仕事終了を告げるチャイムが鳴ったのが三十分ほど前。
仕事のキリがつかなくてずるずるとこなしていた私に、順子先輩が声をかけてくれた。その手にはハンドバッグとお弁当袋が提げられている。もう帰るんだ。
「あ、すみません。これ終わらせたら帰ります」
ディスプレイに表示されているものを指差しながら私は答えた。
今は取引先との購買情報を会社のシステムに入力している真っ最中。先方様から紙面で送られてくる一か月分のデータをまとめて入力するから、結構な量になる。毎月中旬に発生する業務だ。
今月は、今週末までに終わらせてくれって経理部に言われてる。いつもなら明日もお仕事だから余裕で終わらせられるんだけど、でも、私は明日休みをいただくことになっている。だからって、放っておいていいものじゃないし。
順子先輩は隣にやって来ると、私のやっている作業を確認した。
「あ、これか。どこまでやったの?」
「えっと、ここまでです」
私は手元の紙を指差した。完了した分をチェックしながらシステム入力してるから、何かの事情で作業が中断されても、現時点がすぐわかる。
「まだちょっとあるね。あと三十分くらい?」
「ええ」
本当は、あと一時間くらいかかるかなって思ったけど、順子先輩に話を合わせておくことにした。
「そっか。まぁ、あんまり遅くならないようにね。明日、久しぶりに彼ピと会うんでしょ? 寝不足でクマとかできてたらかっこ悪いよ?」
「あ……」
私は自分の目の下に触れてみる。確かに、肌が疲れている感じがした。
「ま、あと三十分しても終わらないようなら、どこまでやったかメモして、私の机の上に置いておいて。あとはやっておくから。だから、今日くらい、早く帰ってね」
「あ、ありがとうございます」
私がお礼を言うと、順子先輩は唇の両端を持ち上げて片目をパチリと瞑って見せた。
「いつも明日香ちゃんには私の仕事手伝ってもらってるからね。これで、今までの借りは帳消しよっ。あ、あと、お土産よろしくね」
順子先輩は手を振りながら更衣室の方へと去って行った。
ふざけているようにしか聞こえないけど、私に対する気遣いが見える。ありがたい先輩だなぁ、と思う。
それから、やっぱり一時間くらいかけてシステム入力を完成させた私は、やっと帰れるとため息をついた。
しかし、ほっとも束の間。営業部の人がやってきて、明日の朝イチで開く会議の準備を手伝ってほしいと頼まれてしまった。人手不足で、猫の手も借りたい状態らしい。それに、会議室の管理は総務部の仕事。
でも、そのとき既に、総務部で残っていたのは私だけ。
「いいですよ。何をお手伝いすればいいですか?」
女の私でも居ないよりはマシなはずだ。
数十人規模の会議室。参加者全員が入れるよう、会議室の机を並べ替え、椅子を設置し、プロジェクターがちゃんと動くかどうか確認する。それだけで小一時間かかってしまった。
やっと開放されたときには、順子先輩に言われてから既に二時間が経過していた。
家に帰り着いたときにはもうへとへとだった。だからこそ、家族が家にいるっていうのはほっとする。父さんも母さんも、お疲れ様と家に迎えてくれた。
母さんの作ってくれていた夕食をいただき、お風呂に入って疲れをある程度癒すと、私は自分の部屋に向かう。
エアコンで部屋を暖め、パソコンを起動し、ケータイをテーブルの上に乗せると、押入れから大きめのバッグを引っ張り出してきて明日からのプチ旅行の準備を始めた。ネットで週末の天気予報を確認しながら、衣類とお化粧品をバッグに詰めていく。
準備を始めてしばらくしたとき、ケータイが短くなった。
私は慌てて手を止め、ケータイに手を伸ばす。崇からメールを受信していた。
『あと五分後くらいに電話する』
チラリと時計を見る。電話はちょうど十一時くらいにかかってきそうだ。
ちなみに、電話って言うのはもちろん、テレビ電話のこと。
私は姿見の前に行き、ほとんど乾き切った髪が上手くセットされているかとか、パジャマとその上に羽織ったパーカーが変じゃないかとか、簡単に全身をチェックする。お風呂上りだもん、スッピンなのは仕方ないよね。
パソコンの前に座ってテレビ電話用のソフトウェアを起動する。カメラの角度を直しつつそわそわしながらで待っていると、着信を知らせるアラートが上がった。一呼吸置いて、受信する。
ディスプレイに崇の姿が映った。
「ただいまー。お疲れ」
画面の向こうで、崇が言った。
「崇こそ、遅くまでお疲れ様。お帰りなさい」
私もそれに答えた。
崇は未だスーツを着てるみたいだ。スーツのままテレビ電話をして来るのは初めてな気がする。顔は高校生の頃と全然変わらないのに、大人びた(?)格好のせいで、別人みたいに見えた。首元に指を引っ掛けてネクタイを緩める仕草に、何か色気を感じてドキリとする。
「おぉ、ホントに今帰ったトコ。家に着いて真っ先に電話してるからな」
「そんな急がなくてもよかったのに」
「いや、あんまり遅くなると寝不足になるだろ? 明日も仕事あるし」
「まぁ……うん」
笑顔で言う崇に、私は曖昧に頷いた。
明日はお休みを取ってるけど。でもそれはサプライズだから。未だ崇には内緒。
崇が手を伸ばして白っぽい何かを手に取り、操作した。多分、エアコンのリモコンだ。今帰ったばかりなんだとしたら、きっと部屋の中はすごく冷たいはず。
だけど、崇はそんなこと感じさせない笑顔で、体を左右に小さく揺すっている。
「やっと明日だ。夜まで待てっかな、オレ」
崇が言った。
そんなに、私に会えるのを待ち遠しく思ってくれてるんだ。
私も、やっぱり、画面越しじゃ物足りない。崇に会いたい。
「待ってもらわなきゃ困るよ」
「つーか、今夜眠れるかどうか心配」
「なんで?」
「明日が楽しみすぎて。興奮して眠れないかも」
「崇って、子供の頃、遠足の前日に眠れなくて、当日体調崩すタイプだったでしょ?」
「あぁ、そうかも」
「やっぱりね」
「うるせー。あ、そうだ。明日、何時くらいになりそう?」
「仕事終わるのが五時半で、それからすぐに駅に出たとして……早くて九時かなぁ? 新幹線に乗ったら、連絡する」
「そっか。オレは一応、明日は残業する予定はねぇから。早く来いよ。待ってるからな」