第2章 自立
「それで、お嬢様。今、なんて仰いましたか?」
「えぇと……だから、明日そのか、かか、彼氏とデートに行くから夜ご飯いらないよ、って」
あれれ、おかしいな。今さっきまで、鼻歌歌いながらシチューを煮込んでたくせに。今は視線が刃のように鋭いぞ。思わず両手を上げたくなる殺意すら感じてくる。私、そんな変なこと言ってないのにどうして。
「いいですかお嬢様。年頃の女の子が、男の家にノコノコと上がり込んであろうことか、夜まで一緒に過ごすなど」
「向こうのご両親さんが、夕飯一緒にどう? って誘ってくれてるの! 絶対ネオの思うようなこと起こらないから」
「いーや、ダメです。お嬢様の身に何か起こったら、俺は貴女のお父様に合わせる顔が無くなってしまいます。いいですか、お嬢様。この世に絶対なんて存在しないんですよ?」
なんて言いながらずいっと顔を近づけてくるのは召使いのネオ。真っ黒で艶やかなその髪は鎖骨まで伸びていて、綺麗な深紅のリボンで束ねている。長いまつ毛に、真っ赤な瞳。陶器のような白い肌は、まるでドールのみたいだ。
そして私はその顔に弱い、とても。だけど相手はお父さんが亡くなる前に、私が一人でも生きていけるようにと雇った召使い。私が大人になるまでという契約期間で、彼はここに居る。
つまり、私たちの関係は期間限定。法律上、私は一年後には大人と見なされる歳になってしまう。だから、早めにネオ離れをしなくてはいけないんだ。
「別にネオだって事ある毎に、お嬢様の面倒を見る俺の気持ちにもなって欲しいもんですよ〜。とか言うじゃん。私が遊びに行けば一日休めるんだよ?」
「それはそれ、これはこれです。まさかお嬢様、その恋人のこと本気で好きなんです? この俺がいるのに?」
「うん。だから首突っ込まないで。いい? ネオは私の召使い。ちゃんと立場を理解して。あとお世話と称して、プライベートまで監視するのは仕事のし過ぎだよ」
まぁ、嘘だけど。恋人なんて居なければ、友達の家に泊まりに行くだけだ。それでも、これはネオ離れの第一歩。私はこの日のために三ヶ月前から、コツコツと計画を立てていた。これにはちゃんと理由がある。
一つ目は、もちろん自立。両親もいない私が、ネオにべったりになるのは仕方ない事だった。でも、終わりがあるのなら今のうち一人に慣れておきたい。だから友達に相談して、彼氏がいるという嘘を付き、距離を少し離すよう心がけてもらった。結局、次の日にはいつもの距離感に戻ってしまったけれど。うーん、無念。
二つ目は、ネオを信頼できる人へ紹介。ネオは優秀だから、恐らく引く手数多。けれど、世の中には悪い人もいて人身売買をする貴族もいる。だからこそ、見極めるのが非常に困難。契約終了後にネオと再契約するのは恥ずかしいし、私の元にいるには勿体ない存在だから、サプライズも兼ねて一人行動の時相手を探しているのだ。
そして、最後に三つ目。私が、ネオを好きすぎるから離れたい。以上。
「さ、早くご飯にしよ! 私もうお腹ぺこぺこだよ」
「はいはい。しかし、凄いですね。料理も出来ないお嬢様を、彼女にしたいなんて思った彼氏さんは。よっぽど家庭的とみた」
「煩いよ。そんなこと言うネオには、今日のお土産あげないからね」
机に置いたクッキーを隠せば、ぎょっと目を丸くして可愛く上目遣いしてくる。きゅるるんと、効果音までついてきそうなあざとさだ。仕方ないなぁと、クッキーをあげれば笑顔を浮かべて。するりとしなやかな指先が、手の甲を撫でる。
「これ、お嬢様の手作りですよね? 黒焦げですけど、ありがとうございます」
「食べてさっさとお腹壊しなさい。せっかく作ったのに」
「あはっ、機嫌直して下さいよ。ほら、一緒にご飯食べましょ」
「っわ!」
掴んだ手を引かれ、ガタリと椅子が音を立てる。驚いて顔を上げれば、ちゅうっと柔らかな唇がおでこに触れた。じんわりと熱が顔全体に広がって、咄嗟に離れればクスクスと悪戯に笑うネオ。
あぁ、もう。こんなんじゃ、心臓が何個あっても足りないよ。両手でおでこを隠してから、大人しくシチューを食べればネオは満足そうに目尻を細めうっそりと笑った。
「そうだ、お嬢様。明日のために今日は早く寝てくださいね。……寝坊したら、大変ですから」
伏せられた赤い目。落ちた声は、どこか無に近い声色に感じた。もしかして、少しだけ妬いてくれたのかな? なんて都合のいいことを考えては、頭を振り思考を飛ばす。
「それじゃあ、ご馳走様でした。おやすみ、ネオ」
「はい、おやすみなさい。お嬢様」
一つ目のミッションは終わった。
後は、明日友達と一緒に買い物行って可愛い髪飾りを買う。その後は、お泊まり。ふふっ、ネオにもお休みをあげられるし、私の将来も少しは安心してくれるはず。
「よし、じゃあ寝よう」
そうして通信端末に目覚ましをセットし、私は一人ふかふかな布団の中で目を閉じた。
*
チュンチュン。
鳥のさえずりが聞こえてくる。薄ら瞼を開けて寝返りを打っても、まだ部屋は暗い。まだ二度寝できるかな? なんて欠伸をした時、カーテンの隙間から朝日が入り込んでるのが見えた。
「ぅ、あれ……? ぁさ、朝!?」
眠気が飛びほどの衝撃に、がばっと布団から起きてカーテンを開ける。すると、冬なのに太陽はもう空高くに昇っていた。なんてこと、寝坊確定のお知らせ。
「ど、どして。目覚ましかけたのに……ネオも起こしてくれたって。い、いや、その考えはダメ。早く連絡して、着替えないと!」
せっかくこの作戦の提案者であり協力してくれる友達を、待ちぼうけさせるわけにはいかない。とにかく電話を……!
「って、あれ!? なんで、画面付かないの。ど、どうしよう。叩けば……っだめだぁ。なん、えぇ……ネオォ!」
即座に着替えて、リビングに下りたけれどネオの姿は見当たらない。時計を見れば待ち合わせの時間まであと三十分。このままご飯を作って食べる余裕はもうない。朝ごはん諦めるしかないかと肩を落とした時、机の上に置かれているパンが視界の隅に映った。
『お嬢様へ、朝食くらいはお仕事させてください♡』
〜っ、なんって、出来る召使いなのネオ!
えーん、大好きと心の中で感謝感激をしながら、サンドイッチを口いっぱいに頬張って私は家を飛び出した。目指せ時計塔、最速ダッシュで駆け出せ私。
「にしても、今日くらいチョーカー外してもいいかな。恥ずかしいし」
このチョーカーはネオから貰ったお守り。子供の頃の記憶がない私に、ネオが忠誠の証ですと首につけてくれた。いついかなる時も、外しちゃダメですよ? と言われたから、いつもは着けてるけど今日はネオも休みだし。私も一日お泊まりだから、外しても問題ないはず。
走りながらカチャっとチョーカーを取れば、時計塔はもう目の前だった。けれど、あの子の姿が見えない。
「あ、あれ……?」
待ち合わせの五分前。私は無事、遅刻確定だった未来を素早い走りによって回避できた。しかし、時計塔の下で待てど待てども友達が来ない。
もしかすると、風邪でも引いたのかな。それとも、遅刻? 困ったな、端末がつかないせいで連絡が来てても分からない。
「入れ違いしたら嫌だしなぁ。あと一時間だけ待って、うん。来なかったらあの子の家に行ってみよう」
そう決めて待ち続けたけれど、結局あの子は来なかった。真っ暗な端末は、よく見ると少しだけひび割れている。寝ている時に、ありえない寝返りでも打ったのかな。
今日だけはお嬢様ではなく、普通の女の子として遊べると思ったのに幸先が悪い。帰った後のネオの反応も楽しみにしてたのにな。でもまぁ、風邪を引いてたら大変だし早く家に行こう。
「ふふっ、でも新鮮だなぁ。一人で外を歩くなんて」
たとえあの子と今日一緒に遊べなくても、私にとってこの日はとても貴重な日だった。
だっていつも、外に出る時はネオが必ず隣にいたから――
*
「……あれ、留守?」
扉を叩いても誰も来ない。おかしいなと辺りを見渡せば、全ての部屋のカーテンが閉まっていた。もうお昼なのに、そんなことあるのかな。
まるでこの家だけ、時が止まっているみたいにおかしい。なんだか胸騒ぎがする。
震える指先でドアノブを掴めば、呆気なく扉は開かれた。ほんの一瞬射し込む日差しは、すぐに閉ざされ闇が訪れる。
「お、お邪魔します……」
パタンと閉まる扉。頬に触れる空気は冷たく、鉄のような匂いが漂ってきた。異様なほど静かな部屋に、心音は鼓膜を揺さぶるようにどくんどくん大きく鳴る。
「だ、だれかっ。居ませ──ひゃっ!」
突如、前方から音もなく何かが飛んできた。滑らせた足にそのまま尻もちをつけば、頭上を銀色の光が通り過ぎカチャンと冷たい音が落ちる。
「あーらら。この俺が外すなんて、今日は調子が悪いなぁ」
今飛んできたものがナイフだと悟れると同時に、闇の奥から聞こえる人の声。脳が警鐘を鳴らす、早くここから逃げろと。暗闇からぬっと現れた足は、静かにこちらへ近づいてくる。
「や、やだ……」
逃げたくても、足が竦んで動けない。どうしようどうしよう。こんな事になるなら、一人で外になんて出なければよかった。ネオを呼んで、そこから友達の家に行けばきっとこんな事にはならなかったのに。
だけど後悔してももう遅くて、足は目の前まで来てしまった。怖くて、息もできない。ポロポロと溢れる涙は、袖を濡らしていく。
「やだ。殺さないで、た、たすけて……ネオ」
「っ! あっれ。もしかして、お嬢様?」
「も、もう死ぬのかな。うぅ、ひっく、えぇん。殺すなら一思いに……」
「ちょ、ちょっ!」
こんな時でも、彼の名前を呼ぶなんて本当に子供だ。幻聴まで聞こえてきたよ。今日は記念すべき自立への一歩だったのに。なんでこんなことになっちゃったんだろう。友達は無事なのかな。お願いだから、すれ違いであって欲しい。だって、きっとこの匂いは。
「おーじょーうーさーま。顔を上げて、ほら泣かないでくださいよ」
「んぅ……っ!? な、えっネオ!」
ぐいっと顔を持ち上げられれば、真っ赤なその眼と視線が絡む。真っ白な肌に、肩に流れる黒い髪。良かったネオだと手を伸ばし、ぎゅっとその腰に抱きつけば、べちゃりと何かが頬についた。
「ぁ、うっ……」
強い血の香り。嘔吐きそうになるほどの濃い香りに、ガンガンと頭が痛くなる。モヤがかかった内側から、何かを起こそうとするみたいに痛む。霞む視界。あまりの痛みに、ネオの服を掴む手から力が抜けていく。
霧がかかる記憶の中。その奥部で浮かんだ、闇夜に光るあの赤眼。知っている、私はあれをどこかで。どこ、か……で。
「お嬢様、お嬢様! どこか具合が……」
「あな、た。まさか、ぱぱを……あの時 」
「っ、あーはは♡ どーして、首輪取っちゃったんです? 俺、取っちゃダメですよって言いましたよね。お嬢様」
ぴとっと、冷たい指先が首に触れる。愛おしいものに触れるみたいに、その指は優しく首筋を撫で鎖骨を滑りゆっくりと私の顎をすくい上げた。
強制的に絡められた視線。その赤は、私を飲み込むように見下ろした。フラッシュバックをするように、記憶の写真が一枚一枚掘り起こされる。逃げ出したくても、腰に回された手は強く顔も逸らせない。
「せっかく、お嬢様には人間らしい生活を送らせてあげたいなって沢山調べたのに。まさか、こんな終わりになるなんて」
「どうして、ぱぱを殺したの……?」
「えぇ? もー、お嬢様。終わった過去なんて知って何になるんです? そーれーに。そんなに怯えないでくださいよ。取って食うわけじゃないんですから」
ネオは、いつもの笑顔で返した。
私の家族を殺した過去を、返り血で濡れたその顔を拭うことなく、笑う。怖くて小さく首を振るっても、あやす様に頭を撫でられるだけ。涙が零れれば、舌で舐めて優しいキスを落とす。
その胸板を押して友達の安否を確認したいのに、体が動かない。恐怖なのか、それとも。
「さ、お嬢様帰りましょう? あんまり長居したら気分悪くなっちゃいますから」
「友達、無事なの……? 私、今日……」
「まだそんなことを。無事なわけないじゃないですか。人のモノ奪ったんですよ? それ相応の罰は与えないと」
ネオは、笑う。まるで悪魔みたいに。可愛くうっそりと悍ましく。
チャリ……と外したチョーカーが首に張り付いて、重くなっていく瞼。ダメだと唇を噛んで、睨みあげてもネオは優しく頭を撫でるだけ。
「――それに、ペットに怒っても仕方ないですもん。優しい俺が、環境から変えてあげてるんですよ」
「な、ん……」
「おやすみなさい。起きたらまた、俺の事大好きになってくださいね。――ちゃん♡」
薄れる意識の中、初めてネオに呼ばれた気がした。
ううん、いや私は過去に一度だけ彼に――。




