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泡沫

「あぁ、また。また、ダメ……だったのか」


 海底のような薄暗い世界で、一人の青年は水面が映すひとつの世界を一瞥した。陰る眼、冷たい風が吹き抜け青年の髪は川が流れるように靡く。

 パラパラと捲られた本が閉じるかの如く、少女の物語は呆気なく波に攫われるように消えていった。

 まっさらになった水面は、森で眠る少女の絵画へと。感情すらも感じないそれは、冷たく青年を見下ろした。もうその絵画は動かない。ひとつの物語とし、終わってしまったのだろう。

 

「あぁ、どうしたらお前は――」


 縋るように触れていた手を絵画から離し、顔面を覆いながら青年は静かに視線を落とした。震える声、伝う涙。この空間に響くは青年の嗚咽のみ。声も涙も、誰に拾われることなく落ちていく。


 ――ぴちゃん、ぴちゃん……


 冷えた指先で涙を拭えば、絵画の隣で水面が揺らめいた。きらきらとこの空間にはない光を踊らせる、澄んだ水鏡。

 太陽の光みたいに眩いそれは、まるで未知を求む白紙のページの如く。新たなる希望を映し出す一縷の光のように煌めいた。


「っ次は、次こそは……!」

 

 光は消えかけた青年の心を照らす。まだ、諦めるなと。まだ、ここで終わらせるなと。


「大丈夫、大丈夫。大丈夫、大丈夫……俺が、必ずお前を! 今度こそ!」


 祈るように、言い聞かせるように紡がれた言葉。泣いているのか、笑っているのか。その声は震え、悲痛に響き渡る。目尻に浮かぶ涙が溢れても、青年の唇は三日月を描いていた。


 ――ぴちゃん、ぴちゃん……


「やり直そう。もう一度、初めから」


 額の中で水鏡は揺らめき、景色が浮かび上がる。

 そして顔だけ上げた青年は、それを見て力なく笑う。彼はもう知っているのだ。この後の事を。


「あぁ、また。お前の母さんは、病にかかってしまうのか」


 最初は可愛らしい赤子が母に抱きしめられ、嬉しそうに笑い。

 愛されながらすくすくと育つ少女は、母を失う。

 妻を愛していた夫は、悲しみの波に溺れ。そうして母の形見である少女を悪魔への生贄に。

 青年がどんなに願っても、変わらない少女のプロローグ。


 眠いのを我慢し父の元へ向かうのか、お散歩先で邪神が眠る場所に近づいてしまうのか。はたまた、森へ出かけ教会を見つけたり街へ買い物した先で林檎を拾ったり。

 けれど少女は選択は、敷かれたレールの分岐に過ぎなかった。どの選択も、青年が望む結末を迎えることはなかったのだろう。

 

 あぁ、一体この空間に幾つ絵画が飾られたことか。

【鳥籠の少女】【箱庭の少女】【森で眠る少女】全ては少女が生まれ、病が流行するところから始まる。


「――聖騎士になれば、もうこんな悲劇起こらなくなるのかな。防げるのかな。私の命は、せめて誰かの役に立たないと……生きてる価値なんて」


 向こうから、粉雪のように儚い少女の声が落ちた。

 

「ははっ……。もう、いいんだよ。お前は、聖騎士なんてならなくて」


 乾いた笑いが、零れた。

 水鏡に額をくっ付ける青年の髪は、ボサボサに乱れ。美しい眼は虚ろに変わっていく。ズルズルと壁を伝いながら地面に膝をつくその姿は、酷く痛々しく孤独で、時が止まっているかのようだった。


 それでも水鏡が描く世界は止まらない。

 心臓と同じ、止めたい意志とは反対にそれは動き続ける。逸らしたくても許されない時の進み。心の奥ではもう分かっていた。この世界もどうせ支配されて終わるのだと。それでも、どうしてか諦めきれず。青年はただ顔を上げ、いつかくる結末を待ち続けた。

 もう、呆然と見上げる青年の眼から涙は溢れ落ちない。あるのは枯れた笑顔だけ。少しでも運命のレールから外れてくれと祈りながら、重たい瞼を閉じた。


 ――さぁ、今度はどんな結末が描かれるのだろうか。







これにて、第一幕終了です。

ここまで読んでくださりありがとうございました!


第二幕、近頃更新できたらいいなと思います。

まずはここで一区切りということで、完結です。

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