第2章 破壊
「アイツだろ、獣人と暮らしてた女って」
「本当に聖騎士になる気あんのかよ」
寮での暮らしは最悪だった。
すれ違う同僚は、挨拶もしてくれない。私を見ては逃げるように遠ざかって、不審がるような視線も飛んでくる。どうして、こんな事になっているのかも分からない。一緒に暮らしてもいなければ、聖騎士になるつもりでここまで来たのに、どうして誰も話を聞いてくれないの。
「お前さ〜、もう少しアイツらにガツンと言ったら? 騎士たるもの、自分の意見も言えないんじゃダメだろ」
「そうだけど。対話も出来ないんじゃ、相手にされないよ」
「実力は一番なんだけどな。とはいえ、協調性が持てないあいつらの事も神様はきっと見てる。あいつらだけがいい思いすることはきっとねぇから、そこは安心しとけよ」
なんて隣で笑う彼は、同期であり隣の席のソレイユ。お月様のような薄い金髪と緑色の眼。スッと伸びた鼻筋に薄い唇、美麗な容姿をしているソレイユは、私の二個上でもあるお兄さんだ。そして、唯一私と話してくれる存在でもある。とはいえ、誤解を解くのは私自身がやらなくては意味がないと言って、助けてはくれない。
言っていることは正しいし、甘えることもしないけど。そこまでして皆と絆を深める価値も今更見いだせないし、こればかりはソレイユの期待に応えられそうもない。
「私の目標は聖騎士になって、悪を封印すること。誰かに避けられても実害はないからもういっかな。そんなことより、鍛錬鍛錬!」
「お、じゃあお相手しましょう。この俺が」
「やったー!」
そんなこんなで、ソレイユのお陰で何とか私は絶妙に楽しい時間を少しだけ過ごせていた。実技試験も迫っているし、この調子でコツコツ強くなって行こうと思っていた。思っていたのに……。
――パンッ!
「アンタ目障りなのよ! ソレイユ様の傍をうろちょろと!」
「大体、人食いをした獣人と暮らしていた人間が聖騎士になれるわけないじゃない!」
「……それを言うために、わざわざ私を森に」
明日は遂に実技試験。だというのに、彼女達は教師の目につかない隣の森、訓練場に私を呼び出した。話の内容は明日の試験を休めというお願い。断ったらこれである。
叩かれた頬が痛い。彼女たちは数少ない聖騎士希望者なのに、どうしてこんなに私を嫌うんだろうか。嫌われることなんて、したことないのに。どんなに考えても答えなんて見つからなくて、虚しさと悲しみが少しずつ心に穴を開けていく。真っ黒な雫が心を染め上げて、溢れそうになったその刹那。目の前の女の人が、小さな悲鳴をあげた。
「イ、イヤ! 私たちちゃんと貴方の言うことをに従って……!」
「でも、ボクの姉さまを叩いてなんて頼んでないけど?」
「誰……! っん、ぐぅ」
まずい、口を塞がれた。
抵抗したくても、お腹に腕が回されて逃げられない。どうにかしてこの状況を打破しないとと、顔を上げた時くらりと視界が霞んだ。猛烈な睡魔に、身体から力が抜けていく。
(っ訓練用の剣で、何とか……)
薄れ行く意識の中、抜いた剣を太ももに当て痛みを与える。けれど、血は流れるのに痛みを感じない。まさか、睡眠薬だけじゃなくて――麻酔も。冷や汗が頬を伝う。そこまでして、一体何が目的なんだ。遠のく悲鳴と足音。彼女たちが、私のために誰かを呼んでくれることはきっとないだろう。まさか、排除の計画されるほど嫌われてたなんて。
「姉さま、久しぶり。ボクの事覚えてる?」
「っ、え……?」
「あっ、眠いよね。じゃあ後でたくさんお話ししよ。うん、それがいい。フフッじゃあ、まずは……おかえり姉さま」
甘く心地よい声が耳を擽り、ぬるりと生暖かい何かが首筋を這いずった。
切れた麻酔、じくじくと痛む太もも。だけどもう、身体が動かない。重たくなる瞼、視界を閉じる最後に映ったのは大きな耳を持つ影だった。
*
「ぅ、苦しい」
「えへ、ふふっ。姉さま小さい、可愛いですね。あーん」
「ひっ、リウス離して……私帰らないと」
お腹に巻き付く尻尾、後ろから抱きしめるように回された腕。鏡越しから見える己の首には歯型が咲いていた。止めたくても、腕の上から抱きしめられてるせいで塞げない。だからって、このまま放置するのは危険だ。捕まる前に飲まされた薬のせいで、連れ去られる直前の記憶もあやふやだし、どうしたものか。
それに既に起きてから三日は経っている。何度も脱出を試みたけど、いつもリウスに先回りされて連れ戻されるし。成功しても、知らない獣人に「アイツの匂いがするな」と意味不明なことを言われて迷子扱いで連れて返されるし、散々だった。
「あのね、リウス。彼女たちが貴方を人攫いだと思って報告をしたら、貴方の身が危なくなるんだよ? 早く誤解を解かないと、獣人という種族ごと危険視されちゃ……」
「大丈夫だよ。だって決定的な証拠がないし、誰がアイツらの言葉を信じるの? それに、騎士団候補生ってさ訓練に耐えられず逃げ出す者も多いって言うし」
綺麗な藤色の眼が私を見下ろして笑う。銀色の柔らかな髪に、大きな狼の耳。
私たちは別れてから三年会っていなかった。というより、会いにいかなかったが正しい。七歳の頃に出会い、そこから五年私たちは毎日遊んでいた。最初は城下町を歩くことすら嫌っていたリウスも、少しづつ人と関わることに慣れて。「姉さま姉さま」と腕を引く姿が可愛らしかった。まぁ、そのせいで離れ難くなったから早めに別れたのだけれど。
「ふふっ、でも良かった。姉さまの頬、酷く腫れなくて。ね、どうしてあの人は姉さまを叩いたの?」
「えっと、その……。上手く、仲良くできなくて。多分、無意識のうちに嫌な思いをさせちゃったんだと思う」
「……。酷いね。他には何もされてない? あんな怒声浴びせられて叩かれるなんて普通じゃないよ。誰も止める人が居なかったり、守ってくれる人もいなかったの?」
「そ、れは」
開いた口を閉じる。昔、私のヒーローごっこに付き合わせた子に弱音を吐くのが恥ずかしい。黙りこくった私に痺れを切らしたのか、突然膝裏に手が添えられてそのまま視界がぐるりと変わる。
「わっ」
「姉さま、ボクはちゃんと姉さまの話聞くよ。姉さまのこと、大好きだから」
「でもきっと、幻滅すると思う。情けなくて」
「そんなことない。ね、教えて。ボクを助けてくれた姉さまが、一人で抱えてるほうが嫌だよ」
ソファの上でお姫様抱っこされるような体勢へ。起き上がることも出来ず、気まずさで俯けばリウスの大きな手が私の頬に触れた。少しかさついているけれど、温かい。あぁ、人に触れられるのなんていつぶりだろうか。人肌が酷く心地よくて、視界が滲んでいく。
「誰かがね、っ私が獣人と暮らしてたって噂して」
「……大丈夫、続けて。ボク、姉さんの言葉信じるよ」
「リウスとは仲良くしてたし、それは決して悪いことじゃなかった。でも、獣人に対する嫌悪が強かったのかな。誰も、話……聞いてくれなくて。一人だけ味方してくれたけどっ、だけど周りは誰も……」
あれがいじめというのか、分からないけれど。凄く、悲しくて虚しかった。仲良しこよしをしに来ている訳ではない。そんなこと、分かっていたけれど。信じて貰えない孤独さに蝕まれて、いつしか対話も諦めてしまった。
だからこうして言葉を交わせることが、話を聞いて貰えることがすごく嬉しくて。頑張ったねって頭を撫でられる度に、凍った心が溶けていくみたいに涙が溢れていく。昔守った貴方に、こんな姿見られたくなかった。情けなくて、隠したくて。もう、消えてしまいたい。
「辛かったね。大丈夫、もう大丈夫だよ姉さま」
「っ、でもっ。頑張らなきゃ、いけないっ。わたし、こんなんじゃ誰も……」
「んーん。姉さまは充分頑張ったよ。頑張った。ほら、ぎゅーしよ? 今度はボクが、お利口さんな姉さまをうんと甘やかしてあげるから」
その時ぎらりと、リウスの藤色の眼が光った気がした。
広げられた手、その胸に今すぐ飛び込みたい。リウスの傍にいれば、もう二度とあんな思いしなくていいんだ。戻りたい、こんな辛い思いしないあの頃へ。なのに、手が震える。本能が、飲み込まれるぞと警鐘を鳴らしているのだ。
甘えたい、逃げろ。もう一人はやだ、ここで選択を誤れば二度と街へ降りれなくなるかもしれないんだ。逃げろ、甘えちゃダメだ、聖騎士になるんでしょう私は。
「あ、あっ……」
「ほら、姉さま。選んでよ、ボクを」
砂糖のように甘い声が囁く。
でもここでリウスに甘えたら、ダメだ。あの状況を悪化したのは対話を諦めた私にも非がある。怖いけど、戻りたくなんてないけど、全ては夢のために。夢を、叶えるために頑張らなきゃいけないんだ。
どくんどくんと心音は大きく響く。ここまで良くしてくれたリウスを拒絶すること。そして、あの環境に戻ること。どちらも等しく怖い。だけど、だけど……
「わ、私は。それでも、帰え――っわ!」
リウスの膝の上から退こうとした瞬間、ぐっと肩をソファに押さえつけられた。視界は回転し、天井へ。そして、ぴょこんと動く狼の耳が映る。
「だーめ。帰っちゃダメだよ姉さま。まだ、分からないの? あそこに戻った後のこととかちゃんと考えた?」
「……え」
どういう、ことだろうか。
まだ虐げられる事は安易に想像できるけど、違うのかな。伝えたいことが分からなくて、瞬きを繰り返す私にリウスはクスクスと笑った。そして身を乗り出し、のしかかる体重。森林の穏やかな香りが強くなり、重なる体温に心拍数が上がっていく。降りてと抵抗したくても、肩を押さえつけられてるせいで動けない。
焦る私と反対に、リウスはゆっくりゆっくりと近づき私の肩に顔を埋めた。
「――せっかく狼の獣人の餌にしたのに、何帰ってきてるの? 邪魔だなぁ、居なくなって清々したっつーのに。あの森から帰還とか、もはや化け物なんじゃない?」
「っや、やめて」
「そもそも獣人が人攫ったのヤバくない? でもあの子が戻ってこれるくらい弱いなら――そうだ、獣人全滅させちゃおうよ」
息を吹き込むように、リウスの声が囁く。
それ以上言わないでと首を振っても、涙を零してもただ頭を撫でるだけで言葉を止めてくれない。
「いっその事、喰われちゃえばよかったのに」
「あ、あっ……やだ、やだっ」
「だーれも、姉さまが戻ることなんて期待してないんだよ。誰一人も、ボク以外、姉さまの事なんて想ってないのに。姉さまには、ボクしか居ないんだよ」
わかんない、わかんない。
でも、リウスが言うならそうなのかな。リウスは私の事裏切ったことなんて、なかった。私に酷いこと、一度もしなかった。リウスは、私の事見てくれるし話だって聞いてくれる。
なら、もう……いいのかな。辛い思いしてまで、聖騎士になったってきっと天国のお母さんもお父さんも喜ばまない。民を助けたって、あの人たちみたいに嘘の情報を信じて私に助けられたくなかったって言ってくるかもしれないんだから。
「リウス、リウスの隣が……良い」
「ふふっ、じゃあぎゅーしよ」
「うん」
開かれた手、胸の中に飛び込めばリウスの大きなしっぽがゆらゆらと揺れた。前は私より小さかったのに、獣人の成長は人より早いからかもう私より大きい。大人になったな、なんてどうしようもない安心感に身を委ねその胸板に顔を埋める。埋めて、とくとくと心音に耳を済ませていた時チクリと鋭い痛みが首筋に走った。
「っ、あ……れ」
途端に身体から力が抜け、瞼が重くなっていく。
嫌な予感がして、冷や汗が頬を伝ってももう全てが遅かった。
「マーキング完了。ふふっ、これで姉さまはボクの番……ずっとボクだけの姉さまだね」




