第1章 依存
人間は嫌いだ。いつだって、ボクを虐めるから。
転けたって、石を投げられたって誰も助けてくれない。
「ボクはただ、食材を買いに行っただけなのにっ」
ボロボロになった紙袋。中身はもう床へ転がって無くなってしまった。唯一残っているのは手にある林檎。一口齧れば甘い蜜が広がって、二口齧れば酷くしょっぱくなっていた。止まらない涙を拭っても、溢れていく。あぁ、目の前に伸びる己の影が忌々しい。
「こんな、耳さえなければ……」
頭に伸びる大きな三角形。人と異なる狼の耳。垂れ下がるそれを見ては、また気持ちが沈んでいく。
もう人間の住む街へ降りるのは控えようかな、そう思った時だった。
「だ、大丈夫?どこか怪我してるの……?」
小さな足が視界に入る。思わず顔を上げれば、服の上にたくさんの果物を抱えた女の子がいた。
──これがボクと、彼女のはじめての出会い。
彼女はボクに駆け寄り、その小さな手を伸ばす。殴られると、咄嗟に手を振り払えば乾いた音が鳴って、ボクは初めて誰かを傷つけた。
「あっ……ごめ」
「っ、謝らないで。私の方こそ、驚かせてごめんなさい。あのね、これ貴方に渡したくて」
ころんと手のひらに転がる林檎。「貴方のでしょう?」と微笑む彼女は、怯えた目で見る今までの人間と違った。触れた指先がなんだか温かくて、同時に真っ赤になっている彼女の手の甲につきりと胸が痛む。申し訳なさでまた泣いてしまうボクを、彼女は嫌な顔せずに抱きしめてくれた。優しい、優しい人間さん。彼女から漂う甘い香りに釣られて、そっと背中に手を回せば不思議と悲しい気持ちは消えていった。胸が、お日様に照らされているみたいに温かくなっていく。
それからボクらは、日が暮れるまで話した。川で水遊びをしながら。
「そっか、皆がそんな酷いこと……。姿が違くても、意志を持って生きてることに変わりはないのにね」
「昔おばあちゃんから、人間は弱い生き物だって話されたことがあるんだ。だからボクら獣人を恐れて……」
はるか昔、ある一人の獣人が人間を食べてしまった事件があった。それ以降、人々は豹変する獣人を恐れるようになったらしい。人食いをしたのは獣人の中でも、その一人だけ。だと言うのに、ボクらは皆【獣人】と言うだけで一括りにされてしまった。
人々の不安は恐怖となり、狭ばる思考。そうして、自己防衛という名の正義を建前に暴行を正当化させる。いつかその行為が、逆襲の火種となる可能性すらも落として。
「別に、人間だって強いけどね。私だっていつかはムキムキに」
「なれるの?」
「運が良ければきっと。貴方を守れるくらいには!」
彼女の髪がふわりと柔らかく靡いた。
太陽の下、へにゃりと笑うその顔があまりにも眩しく。気がつけば涙は止まっていた。ボクは目を奪われたように、彼女から視線を逸らすことができなくて。絡み合う視線が、永遠のように感じる。
「今日から私のこと、お姉ちゃんって呼んでいいよ。私がね、貴方をいじめっ子から守ってあげる」
「なんか上からだなぁ……」
「うっ。じゃ、じゃあ守らせて。その、期間限定でいいから!」
なんて言ってボクよりも少し背の高いその子は、自信ありげに笑った。
*
「わっ、ダメだよリウス。着いてきちゃ」
「ヤダ。姉さまの傍が一番安全なんだもん」
それからというもの、姉さまはずっとボクを守ってくれた。約束した日に待ち合わせの場所に向かえば、手を繋いで街案内。石を投げられたって、手当して相手を叱ってくれた。ボクが姉さまを信じれたように、皆にもボクは怖い存在じゃないと知ってもらえば大丈夫だと。そのおかげが、ボクは少しずつ街に馴染んでいけた。
なのに、そのせいで姉さまとの時間は減っていく。ボクはもっと一緒にいたいのに、もう一人で大丈夫だねって。
「なんで、なんでボクをお家には入れてくれないの? ボクのこと嫌いになった?」
「そんなわけ……」
「ボクが獣人だからなの? 酷い、酷いよ……。ボク、姉さまと一緒に居たいのに」
最近、姉さまは笑ってくれなくなった。ボクがお家まで着いていけば、いつも困ったように眉を下げる。だけど怒らないで、部屋に入れてくれるんだ。やっぱり姉さまは優しい。
――優しくて、甘い。
「来年にはね、騎士団として私ここから離れることになるの」
「えっ……」
「だからね会えなくなっちゃうんだ。貴方を守ったように私はもっと多くの人を守れるようになるの! だから、応援してね」
姉さまは笑う。まるで、陽だまりのように。
でもボクは、足場が崩れて落ちていく気分だ。あぁ、嫌だ嫌だ……! 姉さまは、ボクだけを守ってくれればよかったのに。ボクだけを、心配してくれればいいのにどうして?
いや違う。きっと騙されてるんだ。姉さまは優しいから、騎士団に入ればみんなを守れるって。そう、唆されたんだ。そうだ、そうに違いない。
「姉さま」
「ん?」
「どこの騎士団に配属されるの? ボク、姉さまのかっこいいところ見たい!」
「えっとね、私は――」
大丈夫、今度はボクが姉さまを守るから。
まずはその騎士団が、差別をしないいい人かどうか。人の話をきちんと聞ける人か、確認してとかないと。だって、本当に民を守る騎士団ならそのくらい……分かるはずだろ。




